二 猫も杓子も
刑事で上司で恋人の楡松明希警部が猫になってしまった、突然の事に嘆き悲しむ関根環巡査部長。果たして明希は人に戻れるのか?
「すでに管轄内だけで、三十件以上の被害が報告されています」
捜査会議の冒頭、後輩の岩尾君が事件の概要を説明し始めた。
「被害者の名簿はお手元の資料をご覧ください」
ざっと見る限り、知ってる名前もあれば、知らない名前もある。
「次項に被害者の性別、年齢、職業等をまとめています」
手際よく纏められた資料によれば、性別では六割男性、四割女性。その他の属性に至っては、全くのバラバラだ。
「特に偏りがないと言うことかね?」
課長が、ほぼ全員の感想であろう事を指摘した。
「まあ、そうなりますね……」
岩尾君は、頭を掻きながら続けた。
「被害者は警察官から、年金生活者まで幅広い分野に及んでいて、唯一突出している会社員は人口構成上の事であって、狙われた訳ではなさそうです」
岩尾君は困惑した顔で、あたしの横にいる明希を見た。
「全くの五里霧中です」
その言葉を合図にしたように、会議室内の視線が一斉に明希を見た。
「私だって知らないよ」
明希はぶっきらぼうに答えると、高箱座りになった。香箱座りは、前脚を体の中に入れるかなり芸術点の高いおててナイナイな座り方だ。
「心当たりとかないかね?」
「ないですよ。大体猫は好きじゃないですし」
そうなんだ。
「名簿に見覚えは?」
「個人的な知り合いと、仕事上の付き合いが何人かいます。でも、合わせても十人いませんよ」
あたしの知る限りでも、大体同じぐらいしか知った名前はない。
「やはり無差別テロか」
課長が難しい顔をした。
「一つ聞きたいのですが」
あたしは、おずおずと発言を求めた。
「何だね?」
「人を猫にするのは犯罪になるんですか?」
会議室の全員が首を捻った。
会議室に貼られた看板には、『多発猫化事件捜査本部』と墨書されていた。
「社会の騒擾につながるので、警察としては捜査しなければならないが……」
課長はそこで言葉を切った。
「根拠法はだねえ、その、あれだ、暴行? 傷害罪?」
いや、聞いてるのはこっちだし。
「ん、まあその、そのあたりは地検とかとこう、アレだ、相談していく!」
『相談』を断言されてもなあ。
何ともしまらない会議は、当面の所は被害者への聞き込みを中心に進める事を決めて、お開きになった。
「軽犯罪法かな……?」
「軽犯罪法ですか?」
明希の独り言に、あたしは思わず聞き返した。
「どの条文を適応するんです?」
「他人の業務をいたずらなどで妨害した罪」
「業務の妨害……」
あたしの釈然としない顔を見て、明希は少し拗ねた様に言った。
「少なくとも私の仕事は妨害された」
「私達ですね」
そう言いながら、あたしは明希を抱き上げてデスクに降ろした。
「じゃあ警部、聞き込みに行きますよ」
「それはいいが、何でデスクの上に?」
明希は、不審そうにあたしを見上げた。
「色々あるといけませんから、ちょっと動かないでくださいね」
そういいながら、あたしは猫用のハーネスを明希に取り付ける。
「おいおい、私は犬じゃないぞ」
「そうですよ、警部は猫ですから。驚いて急に走り出すと危ないですからね」
ハーネスが外れないか、確認するとあたしは明希を抱き上げた。
「じゃ、行ってきます」
胸元でぶつくさ文句をいう明希を無視して、あたしは刑事課の部屋を出た。
「別にこんなものつけなくても、家ぐらい帰られる」
「野良犬とか、子供に追いかけられたらどうするんですか?」
「それくらいは、こう、何とか出来ると思う」
流石の明希も、経験した事のない危機には対応方法が湧かないらしい。
駐車場に向かう道すがら、署に人が多い事に気がついた。どうやら、家族が猫になった人達のようだ。
中には猫になった本人とおぼわしき猫までいて、署内はカオスじみていた。
「これは大騒ぎだな」
駐車場から、あたしの肩越しに騒ぎを見ながら明希が皮肉を言った。
よくもまあ、自分の事を棚に上げて。あたしは、黒猫をとりあえず助手席に放り込むと、車のドアを閉めた。
「車の中ぐらい、外してもいいのでは?」
「いいのではじゃないよ、人が心配してるのに」
人の目が一旦途切れた車内で、あたしは『彼女モード』で切れた。
「た、環」
「明希、いい、何かに驚いて走り出しても人じゃないから、よけてもらえないよ」
「よけるって?」
「車に決まってるでしょ。人ならともかく猫は車に轢かれたら、死んじゃうよ!」
あたしは明希を持ち上げると、その目をじっと覗き込んだ。
「いい。しばらくは、おとなしくしてね」
「わかった、わかったから下ろしてくれ」
流石に持ち上げられるのは嫌なのか、明希は珍しく素直に言うことを聞いた。
明希を持ち上げて見ると、意外と体が長い事に気がついた。
みょーん。
「長い、やっぱり猫は長い」
「そんな事はどうでもいいから、下ろしてくれ」
「ああ、ごめんごめん」
あたしは、そっと明希を助手席に下ろすと車を発進させた。
「今日は、どのあたりを攻めるんだ?」
明希は助手席で丸くなりながら、聞いた。
「旧市街、住宅街になってるあたりを中心に行くつもり」
「しかし、共通点なんて出てくるかな?」
「現場百回だよ、何か出てくるかも」
「現場なら家でいいじゃないか」
明希はぶつくさ言いながら、目をつぶった。
「着いたら起こしてくれ」
と言うと、寝息をたて始める。
まあ猫だしね、寝ないとね。
次回は12月11日の月曜、8時更新予定です