記述主義者と自殺の論理。
3日連続で短編アップ!
先日友人から、こんな話を受け取った。
――日本人の自殺率を低下させる研究者になるにはどうしたらいいんだろう?
なるほど、遠大で素敵な夢を描いたものだ。
私も少し考えてみよう。
厚生労働省と警察庁の共同資料によると、日本の2022年の自殺者は2万1881人いたらしい。うち、男性1万4746人、女性7135人。男性は13年ぶりに増加、女性は3年連続で増加。男性の自殺者は女性と比べ約2.1倍。
これだけでは理解しづらいので、ハインリッヒの法則を当てはめてみよう。
ヒヤリ・ハット対策で、思い出す人もいるかもしれない。
重大な事故1件の裏側に、軽微な事故29件が存在する。
そして、さらにその背景には事故未遂が300件ほど起きている。
この比率について異論反論もあるだろうけど、全体のイメージをざっくり掴むのには非常に便利だ。とりあえずやってみよう。
2022年の自殺者が2万1881人いる。
2022年の自殺未遂者はその29倍? 63万4549人と推定できる。
2022年の「死にたい」と呟いた人の数は300倍? 656万4300人ぐらいかな?
別資料では、2022年の日本総人口は1億2494万7000人と報告されている。
ざっくりと言って、人間誰しも生きていれば、20年に1度ぐらい死にたいと思う瞬間がある。日本人の平均寿命が80歳を超えていることを思えば、決して他人事とは言えないと分かる。
先の厚生労働省・警察庁の発表では、自殺には多様な原因があるとしている。
健康問題、経済・生活問題、家庭問題、勤務問題、学校問題、交際問題と大きく6つに分類していて、それらをいくつも抱え込んだり、連鎖的に巻き込まれたりして自殺行動を取ってしまうと分析しているようだ。遺書や家族の証言などから、健康問題がもっとも多く、ついで経済・生活問題と家庭問題がそれに次ぐ。そして、勤務問題や学校問題、交際問題と続く形だ。
学校問題は少なく見えるが、少子化の影響もある。決して軽んじることはできない。
交際問題も少ないが、晩婚化や生涯未婚率が増加の一途をたどっている現状、甘くみることはできないだろう。
様々な理由で、人は自ら死を選ぶということだ。
†
興味深い資料だったけれども、これは脇に置いておく。
引用したのは、「他人事じゃないんだなぁ」って意識を共有したかったから。
死にたいなんて、さして珍しい愚痴じゃないでしょ?
問題のひとつやふたつ、誰だって抱えているでしょ?
客観的で信頼のおけるデータだ。
自殺者の置かれた環境をパターン分類する辺り、よく自殺を観察していると思う。
ただ、これでは自殺者の内面を捉えているとは言えないのでは?
確かに、官僚組織や警察組織は民衆に環境を提供する側だ。この資料は本当によくできていると思う。
人々の行動を、外側からよくよく観察している資料だ。
けれどもそれゆえに、私や君の立場に寄り添ったものではないと思う。
情報収集力で巨大組織と競っても息切れを起こすだけだ。
ゆっくり、呼吸を整えるように、自殺心理と向き合ってみよう。
†
私は、自殺にはおよそ4つのパターンがあると考える。
ひとつ。苦痛に耐えかねて。
ふたつ。虚無感に潰されて。
みっつ。自分が嫌になって。
よっつ。自分に納得いって。
およそ、この4つに分けられるのではないかと思う。
先に挙げたものほど一般的でイメージしやすい理由だ。
逆に後に挙げたものほど珍しいパターンだと考えている。
それ以外の自殺があるのか、今の私には分かりかねる。
あと、実際には事故や殺人であったにも関わらず、自殺と誤認されるケースもあるかもしれない。ただ、これは本人にとって自殺ではないので、ここでは除外した。注意深く生きてくれとしか言いようがない。
†
まずは『苦痛に耐えかねて』自殺するパターン。
一番イメージしやすい自殺かもしれない。
ここで大事なのは、苦痛のあまり死んでしまったのではなく、自殺を選んでいる点だ。
苦痛と自殺の合間に、何らかの判断をしている。それはどういうものか?
――『生の苦痛>死の苦痛』
およそ、こんな考えだろう。
功利主義の負の側面か、ときに人はこんな哀しい計算をしてしまう。
極めて個人的な死生観になってしまうけれど、恐らくこの計算は正しくない。
なぜかと言うと、『現時点の私』から『死んだ状態の私』に移り変わる。
いつどのように死んだとしても、苦痛の変化は同じだろうからだ。
つまり、私は『生の苦痛=死の苦痛』という恒等式を信じている。
ただ、仮に私のこの主張が正しかったとしても、正しさでは人を救えやしない。
目前のこの苦痛こそが、死を選ぶ理由になる人にとって、正しさなんてクソくらえだ。
家庭内暴力や、超過労働、エスカレートするイジメ問題や、あらゆる差別、身体や精神の訴える苦痛を前にして、理想は無力だ。
このような状況で、耐え続けるか、自殺するか。
それ以外にも、まだふたつの選択肢があることを思い起こそう。
殺られる前に殺るか、逃げるかだ。
そして恐らく、そんな状況で自殺を選びそうになっている人は、つらい環境に比べて弱い人か、並外れて優しい人だと思う。
相対的な弱さを抱えている人は、その弱さを武器に替えよう。弱さを認め寄り添える、優れた感性を持っている、今はそれを誇れずとも、ただ認めよう。優しさの芽生えを自覚しよう。
そして、その身に宿るかけがえない優しさに気づいた人には、逃げるという選択肢をおすすめしたい。
そして、逃げた先で助けを求めること。助けに応えてくれる人が居ないようなら、もっと逃げてしまえば良い。そしてまた助けを呼ぼう。
もうひとつ、苦痛に苦しんでいるのが自分だけではない場合。家族、同僚・仕事仲間、イジメられる友人、被差別の同胞。大切な人がいるかもしれない。
構わず逃げよう。遠慮してはならない。
何故ならば、お互い遠慮しあった結果、誰も逃げ出せない状況、膠着状態に陥っているからだ。
自らが模範となるべく、率先して逃げよう。真っ先に、距離を味方につけよう。
案ずることはない。正当防衛と緊急避難は、不当な苦痛から逃れるために誰しもが持つ権利である。まずは逃げる。今後の話はそれからだ。
また、一生逃げ続けるわけではない。苦痛に対しては、まずは応急処置として安全を確保し休息を取ること。落ち着いて冷静さを取り戻したら根治の方法を考えること。
当たり前と言えば当たり前なんだけど、苦痛の最中ではその当たり前を思い出すのは難しいはずだ。繰り返そう。まずは逃げる。今後の話はそれからにしよう。
さて、ここまで原因の分かりやすい苦痛について考えてきた。
まったくもって不当な苦痛からは、逃げて当然。そして遠巻きに安全圏から対処すべきだ。
だけど、もし不当な苦痛ではなかったらどうだろうか?
正当な苦痛などあるべきではないが、不当ではなく、当たり前の苦痛というのも考えられるのではないだろうか? もしくは、原因不明の苦痛にはどうすれば良い?
もしそれが、先天的な……生まれついて、物心ついた頃からずっと続く生きづらさ。しかもそれがイジメや差別などではない場合。自身の内側から沸き起こるどうしようもない不快感、居心地の悪さ。そういうものであったらどうか?
この場合も、戦略的撤退を考えよう。ただし、大きく遠くに逃げる必要はない。むしろ小さく、色々と逃げてみよう。今とは違う環境や状況に身を置いてみよう。
楽になっただろうか? かえって辛くなっただろうか? 自分にとってよりマシなのはどんな場合だろうか? それは何故だろうか?
もしもそれで苦痛が和らぐのなら、という条件付きだが、小説や漫画、アニメやドラマや映画、動画サイト、ゲームなどにのめり込むのもおすすめである。
真剣にエンタメやアートと向き合っている制作者には失礼な話かもしれない。それでも逃避場所として理想的であれば、緊急避難だし仕方ないと思って頂こう。しゃーなし。
大切なのは、冷静に自分と向き合う時間、そしてさまざまな知識に触れることだ。
何故こうも生きるのが苦しいのか、その原因を探り続けること。
また、医者にかかるのも方法のひとつだ。
ただし、1人の医者に期待しすぎないこと。問題が見当たらない、気にしすぎだ等々の診断が出るのが普通である。なぜなら、自分自身にさえ不可解な『原因』というのはかなり珍しい症例であるからだ。医者はそういう症例に詳しいが、それでも全ての症例を知っている人間なんて存在しない。数当たろう。ヤブ医者とやたら高額な治療を勧める医者でなければ、色んなお医者さんに話を聞くのが良い。
考えられる理由としては、色覚異常、視野狭窄、難聴、聴覚過敏などの五感にまつわるもの、何らかの過敏症、食品アレルギー以外でも金属アレルギーや日光アレルギーなんてのもある。他にもダウン症や境界知能、ギフテッドなど知能にまつわるもの。
他にも繊細さん、性的少数者、精神に関わるものは多様性に富んでいる。
平均値や中央値、最頻値から外れている何かに気づくこと。まぁ、平均通りの人なんて実在しないので誰もが何かしら外れているものだけど、外れ方は人それぞれである。
必要なのは、気づくこと。そのために色々やってみるのが良いと思われる。
先天的な話は大体尽くしたと思うので、後天的な生きづらさについて。
まず、怪我や病気なら素直に医者に頼ろう。万難を排してでも、頼りに行こう。
そして、身体のみならず、心にも気を配ること。
進級や進学、就職や転職、退職などのやむを得ない環境の変化、ストレスの影響を甘く見ないこと。
身体と心は人生の両輪、どちらも軽んじては走り出せない。
また、日常に溶け込んでいるが故に気づきにくいのが、食事と睡眠の大切さ、あとは休息と休養も。
慢性的な栄養不足や睡眠不足は体調も判断も狂わせる。人間の集中力は何時間も続くようにはできていない。多忙も続けば、精神的な視野を狭める。
学校なら休もう。職場なら有給を申請する。道理が分からない相手なら知ったことではない、遠慮なく逃げ出そう。
日本人にありがちな睡眠不足なら、しっかり寝よう。爆睡だ。目覚まし時計やアプリは全て止めてしまおう。13時間ぐらいならいけるいける。その翌日も13時間余裕。翌々日ぐらいからは13時間も寝てられなくなって、自己ベストな睡眠時間に近づいてくるだろう、たぶん。後のことは、健康で明晰な自分を取り戻してから考えよう。まずは人生最高の自分に会いに行くことだ。
どれだけ量を求めても、1日は24時間しかない。しかし、人生の質はいくらでも高めることができるのだから。
†
次に、『虚無感に潰されて』自殺するパターン。
超未来的には退屈が人を殺すのかもしれないが、人類がそこまで行き着く気配はまだまだしてこない。現状であるとすれば、死に至る病、すなわち絶望によるものだろう。
絶望について詳しく知りたければキルケゴールの著作を読めば良い。
とまぁ過去の偉大な哲学者にぶん投げるのもあれなので、また個人的な見解を示すのだけども。現代の絶望はおよそ2パターンに分けられるのではないだろうか?
ひとつ、言い知れぬ将来への不安が募り、無力感に拉がれる場合。
ふたつ、代わり映えのしない日々が続き、閉塞感に苛まれる場合。
まず、不安と無力感が問題であればどうか。
寝よう。ふて寝でも何でもいいので、まずはしっかり寝よう。
確かに、激甚災害、感染爆発、物価上昇、経済危機、AIによる大量失業、三次大戦、地球温暖化、海洋汚染、水質汚染、大気汚染、森林破壊、凶悪犯罪、少子高齢化、などなど諸々の社会問題。
話を広げすぎたので、逆に個人レベルでみれば、給与が上がらないとか、結婚できそうにないとか、進路とか就職・転職先とか、老後に2000万いるとか年金が本当に貰えるのかとか。
そしてこれらの問題は、しっかり良く寝て、ゆっくり起き出しても解決はしていない。
どうにもならないものを、一体全体どうしたら良い?
問題を棚上げしよう。心の保留箱にでも仕舞い込もう。
良く寝て起きても妙案が浮かばないようなら、それは現状解けない問題だ。
もっと解けそうな問題から考えていこう。学校のテストと同じだ。
大切なことは、ひとりじゃないこと。同じく問題に取り組む仲間がいるということ。
周りを見よう。カンニングを咎める先生はいない。好きに相談したら良い。いつの日か、散々な回り道をした後で、答えに辿り着けると信じよう。私たちなら、それができる。そうやって、人類はここまでやってきた。これまでと同じように、これからも大丈夫だ。
そして次に、閉塞感に押し潰されそうな場合。
まずは背筋を伸ばして、顔を上げよう。肩の力を抜いて、深く息を吸い込もう。
閉塞感を感じているということは、幸運にも自分を見つめる時間があるということだ。
自分がどこにいて、どんなチーム、組織に所属しているのか? 同調圧力を感じているのか? 集団のルールに馴染めない? 共感も賛同も、理解もできない?
または、どういう流れの中にいて、逆らえずにいるのか? 運命かな? 時流かな?
自分の置かれた境遇に、何故納得がいかないのか?
真綿で首を絞められているような気がしてしまうのはどうしてか?
まず考えられるのは、何かが足りないからではないだろうか?
自分の心の中にあるものだろうか? 自信や自己肯定、有能感が足りないのか?
心の外に広がるものだろうか? 人間関係に物足りなさ? 不都合さを感じてる?
それとも物質的なもの? カネが足りないなら分かりやすい。手に入らないモノがあるのだろうか? 当たり前が、何故手に入らない?
そうでないのなら、逆に何かが多すぎる可能性も考えよう。
有能? でもそれ以上にやらなければいけないことが多すぎる?
高いコミュ力? 多くの人に振り回されてばっかり?
必要のないもののために頑張りすぎていないか? そこまで貯蓄のために切り詰める必要があるか? 買いたいと思うものは本当に必要か?
閉塞感は、安心感と紙一重ずれた感覚だ。自分がこの場所に適応できていない。
そばに居るはずの誰かは、まるで共感してくれない。同じ境遇のはずなのになんで?
自分は不適応、隣は順応? 圧倒的自由を前に感じる不自由? どういうことだ?
周りを見よう。自分を閉じ込める檻の正体を探ろう。檻の外側に思い馳せよう。檻を抜け出す方法を考えよう。
えんえんと続く、ではなく、時間はあると考えよう。
閉じこもって思い詰めるのではなく、顔を上げて視野を広げることだ。手がかりは外にある。すぐ隣ではなく、少し離れたところに檻の鍵が見つかるだろう。
自力でなんとかするのが難しいようなら、専門家のカウンセリングを受けるのもいいかもしれない。「いのちSOS」「よりそいホットライン」「いのちの電話」などの相談サービスもある。世界は広いし、案外優しさも出回っている。どう強がったところで、独りで生きていけるように人間はできていない。さっさと諦めて助力を願うことだ。
抱いたのが不安感にせよ、閉塞感にせよ、人はなんらかの檻の中にいる。
その檻が人間社会そのものであったなら、全員が同じ檻の囚人だ、協力して脱獄しよう。それよりも小さな檻であったなら、すでに脱出している元囚人がいるはずだ。協力して貰って脱獄しよう。困ったときはお互い様だ。
まぁただ、気がかりなことがひとつある。
時間はある、と書いておいてなんなんだけども、時間があると思えているうちは確かに問題ないんだけども、このタイプで一番怖いのは「魔が差す」ことだ。
ある種の交通事故に巻き込まれるような不運。
不安感や閉塞感に呑まれているときに、ふと魔が差すのが一番怖い。
不安感や閉塞感だけなら、ストレスで早死にするかもしれないが、それだけではなかなか自殺まではいかない。そんな魔が差した瞬間に踏み止まれるかどうか。それが事の明暗を分けるかもしれない。
はてさてどうしてくれようか?
簡単である。ふいに魔が差すのが怖いというなら、敢えて安全を確保した上で、魔が差す状態を疑似体験しておけば良い。ワクチンを打てば解決だ。完璧だろう?
というわけで、「魔が差す」をテーマに掌編を書いてみよう。作中作、はいどうぞ。
†
私は満足げに溜息を吐いた。
存外に長く生きたものだ。思えば、幸せな人生だった。
こうして目を閉じれば、君の笑った顔を思い出せる。
君の声。君の横顔。君の言葉。
ロクでもない人生と、悲嘆にくれたこともあったけれど。
終わりが近づいてみれば、望外の幸福に満ちていたことが分かる。
あの頃の自分に教えてやりたいぐらいさ。
真っ直ぐ生きられたら良いと思っていた10代の頃。
どうして真っ直ぐ生きられないのかと嘆いた20代の夜。
誰もが曲がりくねった道を行くと、ようやく気づいた30代の私。
人生は悪くない。悪くなかったよ。生きるというのは、ただ素晴らしかった。
思い詰めた私に、悩み過ぎた私に、考え込んだ私に伝えてやりたいよ。
君に逢えた。それだけで私は報われた。
ただ。
ダメだな、最近はもう、頭にもガタが来てしまったらしい。
正直に言うよ。
君の名前を思い出せない日がある。
君と私がどういう関係か、分からなくなることがある。
君との大切な思い出が、思い出せなくなるときがある。
流れる月日には勝てない。それだけだ。
これでも、平均寿命を優に10年も超えて頑張ったんだ、もう充分だろ?
思い遺すことは、あると言えばあるけれど、些細なことだ。
君を残して先に逝くことだけ。なあんて、ね。
まぁでも、今日はとても具合が良いんだ。
いつもの悪い冗談も、君との記憶も、その笑顔も、完璧に思い出せるよ。
なんなら、今日は人生最高の1日だ。また自己ベストを更新しちゃったぜ。
意識も、思考もはっきりしている。いつぶりだろう。
ここは終末期医療のための病室。
私の余命は数週間だったか、数ヶ月だったか。
22世紀になってなお、命の終わりを正確に予測することはできていない。
私の気力次第ということらしい。根性論かよ、結局は。
まったく。いやでも、少し安心してるんだ。
どれだけ文明が進歩しようとも、世界は手加減してくれない。
死に場所に辿り着いてなお、未来には憧れが詰まっていることに。
すげぇよ世界、人類、未来、命。
思わず天を仰ぐ。白い天井。そらそうか。
視線を横にやる。窓の外には、澄み渡った蒼空。綺麗だ。
暫し空を眺め続けた私は、やがて視線を戻す。
ふいに気づく。
左腕に繋がれたチューブ。
私の生命維持に多少なり貢献しているであろう、それだ。
明日の私はどうだろう?
君のことをちゃんと思い出せるだろうか?
この1年、君のことを思い出せる日はどれだけあった?
確率は? いやいや、ここ1ヶ月は、1週間は、さらに悪くなってるだろう?
なあ、明日、私は君のことを思い出せるのか?
今なら。
いや、分かってるさ。
22世紀だぜ? 遠隔できちっとモニタリングされているさ。
そんなことをしたって、医者や看護師が飛んでくる。今やAIドクターなんかも普通にいるんだぜ? そんなことしたって、結果は見えてる。
ああ、困った患者さんだな、で終わりだ。
未遂で終わる。30回やったら、29回は未遂で終わるんだ。
でも。
あと1回は、死ねるんじゃないだろうか?
君のことだけを思いながら、死ぬチャンスが目の前に転がっている。
だって、ほとんどノーリスクだぜ?
人生の末期をほんのちょっと汚すだけで、約3%、理想的な結末が手に入る。
やらない理由、ある?
きっと今だけだぜ?
右腕にもなんとか力が入る。君のことを思い出せる。
今なら、まだ自分の自由意志で選べるんだ。
勝率たった3%のデッドオアアライブガチャ。
だってさ。
怖いんだよ、死ぬのって、滅茶苦茶怖いんだよ!?
たとえ、君が看取ってくれたとしても。
私は、君が誰かも分からなくなってるかもしれないのに!
君の涙を拭うことも、その手を握り返す力もないかもしれないのに!
君の手を、離すことが、ただ怖い。ほんの未来が恐ろしい。
呼吸が乱れる。心音が荒れる。
誰か様子見に来るかもな、はやくしないと、3%も怪しいかもな。
そして私は、残った力を振り絞り――。
†
はい、終わりー。
こちら、「理想的な死に方」をテーマに、じゃなかった、違う違う、「魔が差す」をテーマに書いてみました。いかがでしたか? 皆、長生きしようぜー?
ええと、情緒がジェットコースターなんですが、頑張って書きあげましたよ。
よくよく考えてみると、突っ込みどころ満載というか贅沢言いすぎてる感ありますね。少なくとも私、120歳近くまで生きてませんか、これ? 君はそれ以上とかほんとパネェ。
――「それでも、最期まで生き抜くんだ」と叫んだ。
そんな、やべー患者になれますように。
堪らない不安感や、閉塞感の最果てで、不格好にも胸を張れますように。
心に免疫がついたなら幸いです。
†
さてと。もうそろそろ歴代最長クラスの短編になってない? と思うんですが。巻いていきましょうか。
3つめ。『自分が嫌になって』自殺するパターン。
恥の多い生涯を送ってしまったりするやつだね。そして身を投げる。
足りないのは自己肯定感で、きっとそこまで自己嫌悪ができるということは、自分のことをよくよく見つめた上でのことだと思います。
原因は根深いものでしょう。また、双極性障害(躁鬱病)などであれば、専門機関で治療を受けるべきです。本当にふわっとしたことしか書けません。ごめんなさい。
というのは、その状態に至った経緯は、人それぞれ過ぎるからです。地道に個別対応していくしかない、一般解がない事例。
なんで、下手なこと言えません。実を言えば、ちょっと考えたんですよ、いっそ恋愛でもした方が自己肯定感得られるんじゃないかとか。ただ、考え進めていった結果、心中しかねないことに気づいたんで、これもおすすめできません。
なので、ひねくれた方法を考えます。
根本的な解決は、プロに任せます。1対1で向き合わないと解決なんてできません。
なので、その根本的な解決が間に合うように、時間稼ぎだけ考えます。
ロクでもないです。自己嫌悪を抱えさせたまま、身を投げるまでの、地獄のような猶予を引き延ばすことだけ考えます。書いてて自己嫌悪で死にたくなりますねこれ。
苦痛でも無力感でもなく、自己嫌悪で自殺を考える。
それって本当は、自殺したいんじゃないですよね?
死にたい、なんてカケラも思ってない。言葉選びを間違えている。
自己嫌悪し尽くした先にある、純粋な願い。
消えたい、って思っているはずです。
私のことは忘れてよ。
なんなら最初から居なかったことにしてよ。
そんな哀しい想いは、決して叶うことはありません。
現代日本において、そんな都合の良い、究極の自殺はできません。
戸籍が、防犯カメラが、目撃者が、遺体が、知人や友人や家族が、SNSが、自己嫌悪の根源を無遠慮に暴き立て、その年の自殺者カウントをひとつ増やします。
自己嫌悪しているなら、むしろ自殺は悪手。嫌悪している自分が注目され、あまつさえ記録に残されてしまうからです。
だからむしろプライバシーに配慮のある、公的機関や医療機関に頼る方が目立たず気楽に居られますよ。
――という論法で、時間稼ぎに徹します。
†
さて、最後に4つめ。『自分に納得がいって』自殺するパターン。
本当にこれは激レアなやつです。実際これができる人はそうそう居ない。
どんなに満足しても、口では「もう死んでも良い!」と言ったとしても、本当に実行するとは思えないでしょう?
なので、ほとんど考慮する必要はありません。
というか、周りもまさかそんな人が自殺するなんて信じないでしょうから、止める手立てがありません。どうしましょうね?
そもそも、そんな人が実在するのか? そんな疑問もごもっとも。
実在します。超有名人で、どっかで聞いたことあるんじゃないでしょうか?
ソクラテス、という古代ギリシャの哲学者が、2400年以上前にやっちゃいました。
彼は理不尽な死刑判決を受けました。そして牢に入れられます。
ちなみに鍵は普通に開いていて、逃げることができます。逃亡・亡命を勧めてくれる、できた友人もいます。それでも彼は自ら毒杯をあおり、言葉を遺します。
――『悪法もまた法なり』
なんて、時代が古すぎて文献も定かではなく、本当にそう言ったのかは分からないのですが。それぐらい古い言葉が、彼の行動と結びついて今に語られています。
すごいとしか言いようがありません。
普通、自分が死ぬってことは、この世の終わりのように感じられませんか? 自分にとっての、何かしらの結論のように思いませんか?
しかし、彼の死は世界に疑問を投げかけた。答えではなく、問いを示した。
悪法を法と認めて本当にいいのか? それで果たして納得できるのか?
現代においては、憲法という、法律を縛る法律がある。多くの国々が憲法を採用していて、悪法ができるのを防いでいる。日本にも、日本国憲法がある。
彼の自殺が、今も世界に生きているということ。不思議な感じがしませんか?
死ぬというのは、ただの動詞に過ぎない。
世界構造に解けゆく行為でしかない。
死んで終わりなどということはないし、世界はそれでも続いていく。
こんな至高の自殺を止めようなんて、無粋でしかないのかもしれない。
ただ、敢えて言うならソクラテスの二番煎じだから止めておけ、というぐらいだ。
私たちは、生きて、もがいて、あがいて、生き抜いて。
死に方を選ぶこと。
生き方を探すこと。
この2つが、同じ意味だと言うのなら。
それらが重なる最果てで、君と健闘を称え合いたい。
どうか喝采を、もっと光を、愛した音楽を、ありふれた感謝が集まる場所で、また逢えますように。
追伸。親愛なる友人へ。
君の夢は必ず叶う。
私たちは皆、死にゆく自殺者に過ぎない。
救い甲斐のある自殺者たちだ。救いたいだけ救ったら良いんだよ。
世界の全てをひっくり返せと、ただ心の赴くままに、ね。
†
……とまぁ、前回短編に準えてなんか良い感じに文章を締めようかと思ったんですが。
番外編、自殺じゃないのに自殺と勘違いされるパターンについて、書いてなかった。
誰も書くと思ってなかっただろうけども。
筆者の体験談込みで蛇足話もしておきます。作中作パート2。
†
あれは中学1年の夏、7月初旬頃だったように思う。
まるで今年の夏みたいに、うだるような暑い日だった。
アスファルトの蜃気楼が揺らぐ、学校からの帰り道。
見た目だけは涼しげな夏服を着ているが、日差しを存分に浴びて灼ける熱さだ。
背負った黒い通学鞄。その重さと、たっぷりとこもる熱量がさらに体力を奪っていく。
家まで、あとすこし。
最後の横断歩道、押しボタン式の待ち時間は永遠のよう。
太陽は爛々と輝いていて、じりじりと、首筋を焦がす。
人混みの暑さもある。同じ方面の生徒が十数名は居ただろうか。
ふつと、意識が途切れる。
日射病、今で言うところの熱中症だ。
そのまま車道に倒れ込――。
「あぶなっ」
「あ。ありが……」
直後、大型トラックが通り過ぎる。風音が言葉をかき消した。
男性の声だったように思う。
声色に聞き覚えはなく、クラスメイトではないのは確実だ。
声の低さや体格から考えたら恐らく先輩。
ただし、別の小学校を上がってきた別クラスの1年の可能性もゼロではない。
彼が背中の鞄、その取っ手を慌てて引っ張ってくれたらしい。
その力強さや反応の早さを思えば、運動部の人だろうか?
私は彼に命を救われた。
ただ、私は意識がもうろうとしていて、まともにお礼も言えなかった。
何が起きたのかしっかり理解したのも、家に帰り着いてからの話だ。
今でもときたま思う。
あの日、彼がとっさに死の淵から引き上げてくれなければ、今の私は居なかったろう。
例えば、私が鞄を手に持っていたら?
片方の肩だけで背負うような崩し方をしていたら?
もう20年以上前の話だ、トラック転生なんて言葉もなかった時代。
冗談抜きにしても、まぁ普通死んでるよね、この状況。
たぶん、コイントスに命を賭けるより分が悪いんじゃないだろうか?
そして、もし死んでいたとしたら。
これは、飛び込み自殺と判断されてもおかしくない状況に思えるんだ。
母校に対してこう書くのもなんなんですが、当時は荒れに荒れた中学校でした。
市内に数十ある中学校のうちで、一番やべーと言われる程度には、やんちゃな生徒が多かった。念のため付け加えると、私がやんちゃしてた訳ではないのであしからず。
私もこの2ヶ月ほど前に、3年のボスみてぇなやつにボコられた事案があって。胸の肋骨の辺りを全力で踏みつけられると死ぬほど苦しい、ってことは忘れられない経験だよクソったれ。学ラン越しでも、胸に足跡のかたちの痣ができるって信じられる? 1週間ほどで消えてくれたけど。陸で溺れるというのは本当に苦痛だ。痛すぎて呼吸ができない、混乱と恐怖は凄まじいものがある。
まぁ、私が在籍した3年間で学校から死人は出なかったのは本当に幸運だった。少年院行き程度なら噂話で聞いたりはしたけど、ホントかどうかはよく分からない。
そんな前提を踏まえると、自殺と判断されても文句言えないんじゃないかなと。
ロクでもないことはままあるが、それでも、全てが悪いことじゃなかったよ。
助けてくれた謎の先輩(?)には感謝しているし、ケラケラ笑って生きているよ。
ありがとう。
†
とまぁ、そんな感じで、文章を書けてるのも結構な幸運の賜物だよなぁと。
これ以来、ホント熱中症って怖いなと思うようになり、横断歩道や電車に乗るときなど、夏場や季節の変わり目には気をつけるようになったという話。
私の職場は直射日光こそ当たらないものの外気温とほぼ同じ暑さですが、今のところは問題なく熱中症対策ができています。
ちなみに対策方法はこんな感じ。
ひとつ。睡眠をしっかり取ること。
ふたつ。朝にプロテイン入りのチョコレートバーを食べておくこと。
みっつ。自作ドリンクを凍らせたものをクーラーバッグに入れて持っていくこと。
まず、睡眠不足は論外。
プロテイン入りのチョコレートバー(1本満足バー、ギガプロテイン)はプロテインに加え、ビタミン類をバランス良く補給するため。
自作ドリンクのレシピは、2リットルのミネラル水(いろはす)を開けてコップ1杯分ほど飲んで、ポッカレモンの原液を適量、塩(アルペンザルツ岩塩)1グラムを加えます。
ペットボトルを軽く潰して空気を抜いてから、キャップを閉め、冷凍庫に半日~1日放り込んで凍らせれば完成。
注意点は、水は凍らせると体積が1割近く増えるので、詰めすぎれば破裂します。空気を抜くのも必ずやらないと、破裂して冷凍庫が悲惨なことになります。
プロテインバーだけだと、水分と塩分とクエン酸、各種ミネラルが不足するため、必要なものを加えたレシピ。凍らせるのは、体温を下げるのと、午前中で飲みきってしまうようなペース配分ミスをしないため。
とりあえず、これだけ取っておけば、他に朝食・昼食を摂らなかったとしても熱中症は防げるようです。35℃ぐらいまでは耐えられる模様。
なお、気温40℃近く、かつ火を扱う作業をした場合も試しました。
追加でもう1本自作ドリンクを凍らせずに持っていき、凍ってないものを午前中に、凍らせたものを午後の間に飲むことで完全に攻略してやりました。
ちなみに格好は作業着上下、長袖のジャケットと長ズボンですね。上はもう1枚、長袖のポロシャツを着込んで、怪我しないようにがっちりとガード。
クーラーや空調服が使えない環境でも、睡眠と栄養とこまめな水分摂取、体温管理さえきちんとできていれば、なんとかなるようです。人体すげぇぜ。
熱中症そのものも危険ですが、倒れるタイミング次第では事故で即死もありえます。そも、熱中症になりかけるだけでも精神的に不安定になりますし、気の迷いで魔が差してもつまらないですし。皆様もどうぞご自愛ください。
その他注意書き:
ひとつ。塩1グラムって、小さじ5分の1程度。2つまみ程度の量です。レモン果汁を入れる前に味見をして、しょっぱさがなんとか分かる? かも? 程度で充分。
ふたつ。3日とか凍らせると、レモン果汁が分離して、味が偏り飲みづらくなる。凍らせるのは最大でも1日ぐらいで充分。
みっつ。凍らせたドリンクを飲むときは、溶けた部分を全部飲むと、残りの氷が溶けにくくなるのでペース配分を考えましょう。
よっつ。近いうちに妊娠を希望する女性や、妊婦、小児の場合は、プロテイン入りのチョコレートバーは止めた方が良いかもしれません。ビタミンAの取り過ぎが害になる場合があるので、製品の栄養価・注意書きをチェックしましょう。
いつつ。作中のレシピなど、()内は作者が試したもの。タイパ重視で使い勝手が良いものをチョイスしました。
むっつ。財布に気をつけて。これ、月20日働くとして1万近く飛ぶorz 検証費用検証費用(自己暗示中)
ななつ。高血圧の場合は塩分を控えるなど、自身の体質に応じてレシピは調整してください。
やっつ。空調の効いた部屋で働いている場合は凍らせない、量を減らすなど。体調を最優先に。
明日の更新はさすがに無理です><;; お盆もあるので、その辺で……件のエタってる長編とか再開できないかなーなんて。
あとがき下のところから、評価を頂けると作者のテンションが爆上がります。よろしくね!^^