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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◆ 一章七話 至純の涙 * 元治元年 九月
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些細な、いら立ち

 土方に言われたから、というわけでもないが――どの道、先の沖田の様子も気になったし、相変わらず愁介のことはわけがわからないままだ。容保(かたもり)に、愁介のことを見定めろと命じられてから早三月(みつき)。未だに容保の真意は知れないし、斎藤自身どう愁介と接すればいいのかも、結局は依然として探りあぐねたままでいる。


 二人は斎藤が後ろに下がったことには気付いていたようだが、元々一人でいる性質(たち)であることを知っているため、特に気にした様子はなく会話を続けていた。しばらくはそのまま河上彦斎について何やかんやと語らっていたが、次第に話は逸れていき、普段の稽古の話だとか、刀の手入れについてだとか、最近読んだ本やら食べた菓子やらがどうだったとか、いつものように雑多な内容に変化していく。


 見ている限り、違和感はない。本当にただの友人同士の会話だ。


 しかし言い換えれば、その程度、と言えるような話ばかりだ。それこそ沖田であれば、他の誰とだってそんな話はできるだろう。近藤や土方はもちろん、聞く限り永倉となら似た内容で落ち着いて話せるだろうし、落ち着くだけでなくはしゃぎたいと言うのなら、藤堂がいる。実際、沖田とそれぞれが今のような会話交わすところを、斎藤自身何度も見かけたことがある。今でこそ近藤も永倉も藤堂も江戸に出ていて近くにいないが、むしろそれまでは自分達が江戸にいた頃から近くにいたわけで、わざわざ愁介を選ぶ理由はない。


 そういう意味では、違和感しかない。


 斎藤は嬉しそうに言葉を弾ませる沖田を眺め、次いで愁介に視線を移した。


 愁介も声を転がし、楽しげに感情をあらわにして沖田と話している。高く結わえた豊かな濡れ羽の総髪が笑う度に揺れ、流れ、震え、後ろから顔が見えなくとも満面に表情が浮かんでいる様が想像に難くない。


 ――ふと、先の山崎の話がよみがえる。


 愁介が現れた途端、涙ぐみ、抱擁したという容保と敏姫のこと。


 これも、本当によくわからない。


 例えば、実は結局愁介が(かづら)だった、というなら理解できる。理解できてしまう。本当にそうだったなら、仮にその場にいたのが斎藤だったとしても間違いなく同じ反応をした。


 だが、違うというのだ。山崎が言った「女ではないだろう」という話には納得ができたし、やはり葛が成長したにしては、愁介は背丈が伸びて、骨格もしっかりしている。第一、すぐに咳をしては倒れ、いつ死ぬともわからないと言われていた葛が、あのように元気に日の下を歩けるわけもない。池田屋でそうあったように、修羅場を生き抜き屋根の上を駆けて跳んで帰れるような体力だって、あるわけもない。


 ならば、()なのだ。


 愁介に対し、既にこれまで何度も湧き上がったことのある疑問が、また強くなる。


 密やかに息を吐き、視線を足元に下げる。


 相変わらず二人は止まることなく会話を続けている。その明るい声の合間を、どこかの家か寺社の庭で木の実が熟れてきたらしい、わずかな甘さを含んだ秋風が吹き抜けていった。


 *-*-*-*-*-*-*-*


「――ねえ、斎藤さん。愁介さんのこと、ずっと見てません?」


 河上彦斎(げんさい)の捜索を始めて、早くも三日が経った日。木屋町の飲み屋筋で聞き込みを続けていた折、ふと沖田が斎藤にそんなことを言った。


 律儀に毎日同道している愁介は今、店の奥で飲み屋の主人と笑って話している。小さく狭い立ち飲み屋で、場を愁介に任せ、斎藤と沖田が店の外で待っていた時のことだった。


 斎藤は静かに目を瞬かせ、沖田を見返した。


 沖田は、不機嫌とは言えないが妙に感情の読みづらい静かな表情で斎藤を見据えている。


「ずっと、というか……」


 いくら密やかに観察していたとしても、さすがに連日続けば沖田の目は誤魔化せないかと溜息をこぼす。


「……俺が土方さんに何を言われているか、あんたなら大体の想像はつくだろう」


 口を濁して誤魔化すと、沖田は少しばかり拗ねたように唇を尖らせて「ふうん」と気のない返事をした。


「愁介さんの警戒ついでに、私とあの人の関係でも改めて調べて来いって言われましたか」


 あまりに的確な推察に、内心で舌を巻く。表情には出さないよう瞬き一つで受け流したが、それを沖田がどう捉えたかはわからない。


「でも、それだけですか?」


 斎藤が答えず黙していると、沖田は訝るように斎藤をじっと上目に見た。


「それだけ、とは?」

「本当に、土方さんに言われたから見ているだけですか?」


 質問の意味がわからず、斎藤は眉をひそめた。


「他に何があると思うんだ」

「質問に質問で返すの、止めましょうよ」


 沖田は苦笑を浮かべたが、その言葉尻に珍しくいら立ちのようなものを感じた気がして、斎藤はゆるく首を傾けた。連日、任務をこれ幸いとばかりに無邪気に愁介と会話していた時の明るさが、ほんの一瞬ではあるが鳴りを潜めていた。


「……沖田さんがそういう物言いをするということは、そういう物言いをせざるを得ない何かがあんた達の間にあると解釈できてしまうが、それでいいか」


 思わず切り返せば、沖田は途端、ばつ悪そうに唇を引き結んだ。「意地の悪い」と独り()ち、それまでより感情を隠さず露わにして、気を損ねた子供のような顔をする。


「私は別に……ただ、斎藤さんが――……」

「お待たせ! 何かちょっと前、買い出しの時にそれっぽい人を見たらしくって――」


 沖田が何か言いかけた時、聞き込みを終えた愁介が駆け足で戻ってくる。


 と、場に流れる微妙な空気をいち早く察知した様子で、困惑気味に上がり眉を下げた。


「……祇園社(八坂神社)のほうらしいんだけど。行ってみる……?」


 ぎこちなく方角を指差され、斎藤は小さく息を吐いて「そうですね」とあごを引いた。


 沖田が何を言いかけたのかは気になるが、愁介が戻って来ては話しもしづらい。むしろ沖田のほうが先に釣れる(ヽヽヽ)とは少々予想外で、斎藤はまたいつぞやの沖田の冷たい視線のことを思い出していた。


 良くも悪くも土方への報告事項が増えてしまったな、と視線を流す。


「総司、行こう」


 先に歩き出した斎藤の後ろで、愁介が沖田に声をかける。


「ええ。『当たり』だといいですね」答えた沖田の声はいつもの人好きのする穏やかなものに戻っていて、特にこれといった動揺や感情の波は、すっかり窺えなくなっていた。


 また後で話すとして、あの沖田のことだ。煙に巻かれなければいいのだが……。


 この三日の停滞がようやく動き出した感触に、斎藤は静かな深呼吸をした。

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