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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◆ 一章七話 至純の涙 * 元治元年 九月
92/212

思いがけない相手

「まぁいい。とにかく、今回は助かった。正体がわからないままってのはスッキリしねぇが、それでも愁介が会津様にとってどういう立場の人間なのか、片鱗が見えただけでも、今後何かしら役に立つことがありそうだ」

「ありがとうございます。そう言っていただけたら、動き回った甲斐もありますね」


 土方が区切りをつけると、山崎は気負いなく微笑んで一礼した。


「では、特にご質問や追加の(めい)がなければ、私は下がらせてもらいますが……」


 頭を上げた山崎が、そう言って土方と斎藤の間で一度、視線を往復させる。


 斎藤は何も気付かなかった体裁でゆるく首を横に振り、山崎と同じように土方へ視線を流した。


「ああ、下がっていい。ご苦労だったな」


 土方が軽く手を払うように答える。山崎はふわりと目元をほころばせ、再び一礼してから副長室を出て行った。


 斎藤はそれを見送って、「私もそろそろ行かなければ」と呟く。


「あまり戻りが遅すぎると、玄関先で待っている沖田さんと愁介殿に言い訳が立たなくなりそうですね」

「ああ……河上の件、頼んだぞ。つーか、断る口実もねぇから同行は許すが、そもそも愁介の野郎、足は引っ張らねぇんだろうな?」


 改めて苦言を呈される。視線を返せば、土方はまた苦々しい渋面に戻っていた。


「腕に関しては、沖田さんと永倉さんの折り紙つきですから問題ないと思います。むしろ愁介殿が加わるなら、私が抜けてもいいのではと思うくらいですね」

「おい、勘弁しろ」


 間髪容れず言って、土方は頭痛を堪えるように頭を抱えた。


「その面子でお前に抜けられると、何をしでかすかわかったもんじゃねぇ」

「さすがにお二人とも、河上彦斎(げんさい)の討伐任務で遊ぶことはしないと思いますが……」

「そうじゃねぇ。よしんば河上を討ったとして、総司の奴、近藤さんに直接の被害がなけりゃ問題ないってなモンで、愁介にそのまま手柄を渡しちまいそうだ」


 確かにあり得そうだ、とは口に出せず、斎藤は曖昧に薄く口の端を上げた。


「……それだけはないように注意します」

「頼む」

「ただ、失礼する前に一つだけ、土方さんにお訊ねしておきたいのですが」


 斎藤がゆるりと首をかしげると、土方は不思議そうに目を瞬かせて顔を上げた。


「何だ?」

「ふと思い出したのですが……愁介殿と初めて(まみ)えた折、土方さんは愁介殿を誰かに『似ている』とおっしゃっておられましたよね」


 そう、あれはまさに、池田屋の一件があった当日。池田屋へ向かった近藤組とは異なり、斎藤は土方と共に鴨川東岸へ御用改めに向かっていた。その道中、土方が吐き捨てるように言ったのだ。


 ――『あの顔は腹が立つ。気味が悪わりぃ。似すぎだ、うざってぇ』


 今日(こんにち)まですっかり忘れていたが、今思えば、色々と引っかかる言葉だ。


「どなたに、似ているのですか」


 斎藤の問いに、土方は静かに、いやにゆっくりと目を瞬かせた。


 言葉を探すように、声もないまま薄っすらと口を開閉させるので、


「先ほど、愁介殿を女と疑ったことに関係するのかと思いまして。『気にするな』とはおっしゃいましたが、思い出してしまった以上、やはり気になるなと」


 畳みかければ、土方はばつ悪そうにむう、と唇をすぼめた。


 ――しかし、その視線にも無言を返し、答えを促す。だって、仕方がない。斎藤は愁介を、どこか(かづら)に似ていると感じている。土方が忌避するのと同じほどに「似すぎだ」と思っているわけではないが、それでも『似ている誰か』の話は、どうしても気になってしまうのだ。


 じっと見つめていると、ゆうに数十を数えるほどの間を置いてから、土方は根負けしたように嘆息した。


「……許嫁(いいなずけ)

「は?」


 まったくの想定外に一瞬、理解が追いつかず、斎藤はついぽかんと口を開けてしまった。


 土方は、もごもごと低い声で「いや、まあ……」と何故か弁明するように言い連ねて、


「正式に家同士で婚約してたってな相手じゃねぇが。とにかく昔、そいつなら嫁に取ってもいいと思える女がいたんだよ。で、互いに口約束で」


 今度は、斎藤のほうが数拍の間を空ける番だった。何しろ、江戸にいた頃から女を取っかえ引っかえしていた土方しか知らない分、まさに寝耳に水の話である。


「えっ……」


 思わず、言葉を返しあぐねてしまった。さすがに今くらいは、うっかり平静を失ったことも許されたかった。


 絶句していると、土方はさらに眉間のしわを深くして、チッと遠慮のない舌打ちをする。


「山崎といい、お前といい……俺を何だと思ってやがるんだ、お前ら」


 この場に沖田がいれば、きっと間違いなく「自業自得です」「胸に手を当てて考えればわかりますよ」と口を挟んだはずである。


 斎藤は噛み切れないものを口に放り込まれた気持ちで空気を食んだ。そこからさらにしばらくの間を空けて、ようやく「……すみません」と言葉を取り戻す。


「さすがに……思いがけませんでした」

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