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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◆ 一章七話 至純の涙 * 元治元年 九月
88/212

微妙な心持ち

 すっきりしない気持ちを抱えつつ、再度副長室へ向かう。その途中、離れに渡ったところで背中に「ああ、斎藤先生」とやわらかい大坂弁で呼びかけられ、斎藤はゆるりと足を止めた。


「山崎さん。お疲れ様です」


 振り返れば、濃茶の着物袴を身に着けた監察の山崎(すすむ)が、同じく渡り廊下を歩いてきたところだった。今日も変装はしておらず、頭も総髪に結わえ上げて武士らしく落ち着いた格好をしている。


「お疲れ様です。先生も、副長室へ向かわれるんですよね? ちょうど良かった。ご一緒しても構いませんか」


 隣に並び、穏やかに瞳を和ませた山崎に、斎藤は一つ瞬きを返した。


「私は構いませんが……逆に、そちらこそ問題ないのですか?」


 副長の元に上がる監察方の報告を、斎藤まで一緒に聞くことになる――という状況への疑問に、思わず首を傾ける。


 が、山崎は「むしろ、ありがたいですね」と目尻に浮かぶ小さなしわを深くした。


「ちょうど、前に斎藤先生からもお願いされてた『調査』の報告ですから」


 返ってきた答えに、斎藤は一瞬ばかり何のことかと目を細めかけて、


「……ああ」


 愁介についての調査報告だ、とすぐに思い至った。


 ――()(つき)ほど前。会津から新選組に助力に来ていた、(しば)(つかさ)が腹を切って間もなかった頃。愁介が、(かづら)について何か知っているらしい、と斎藤が初めて明確に察した頃。確かに斎藤は、近くに居合わせた山崎に、愁介の調査を密やかに頼んでいた。


 忘れていた、とは言わないが、会津侯の落胤(らくいん)を名乗る相手の調査だ。通常の任務の合間に調べるとなれば、それなりの時がかかることは当然覚悟していたのだが、むしろ()(つき)で報告が上がってくるのは、早く感じるくらいだった。


 さすが、と言って差し支えない仕事ぶりに、斎藤は薄く口の端を上げる。


「助かります」

「こちらこそ。報告が二度手間にならんで助かりました。っていう言い方したら、ズボラみたいで良くないですかね?」


 茶目っ気を含ませて笑う山崎に促され、改めて並んで副長室へ向かう。


 そうして声をかけて部屋に足を踏み入れれば、見慣れたとは言い難い組み合わせに、土方も少し驚いた様子だった。丸くなった切れ長の瞳に、斎藤がまず河上彦斎(げんさい)討伐について愁介の助力を受ける旨を告げれば、沖田が想定した通り、その目は普段以上に据わって剣呑な色を滲ませる。


 しかし今日は隣に山崎の存在があるお陰か、土方は一応のところ落ち着きを崩さず、「で? 山崎はどうした」と苦いへの字口から先を促す言葉を投げかけた。


「私は、命を受けておりました、松平殿の件についてご報告に上がりました。時がかかってしまい、申し訳ありませんが」


 山崎が丁寧に畳に手をつき、文机の前であぐらをかいている土方へ頭を下げる。


 と、土方は「ああ、それか」と頷くようにあごを引きかけて、それからピタリと動きを止めた。


「……んあ? まさか斎藤(おまえ)も同じことを頼んでたのか」


 その辺りの報告は受けていなかったらしい土方が、しかし状況から即座に察して、斎藤に訝るような目を向ける。


「ええ、まあ」と首肯を返せば、土方の目にあった剣呑な色が薄れ、再び驚いたような、一種のあどけなさみたいなものが滲んだ。かと思えば、次いですぐ、酷薄めいた苦笑いを整った顔に浮かべて見せる。


「お前ら、最近は割と仲がいいようにも見えたが?」

「普段会話を交わすことと、内心で信用が置けるか否かは、全くの別問題ですので」


 簡潔な土方の問いに、斎藤は軽く肩をすくめて答えた。


 土方は何故か機嫌を直した様子で、いからせていた肩を下ろした。そうして愉快げにハ、と唇で弧を描く。


「やっぱりお前は俺に似てやがる」


 どう反応して良いものか迷う言葉に、斎藤はいったん口をつぐんだ。


 けれど隣から、ふ、とささやかに笑う声が聞こえ、わずかに片眉を上げてしまう。


 ――山崎は大坂者としてひょうきんな一面を持つものの、普段あまり余計なことは言わない性質(たち)だ。だからこそ、ある意味で素直なその反応は肯定に他ならず。斎藤はやはり、これをどのように受け取っていいものか図りかねて、沈黙するしかできなかった。

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