不意の視線
斎藤は少々困ってしまい、視線を当てもなく室内に泳がせた。
容保から「愁介を傷付けるな」と命じられている立場として考えれば、今回の愁介の助力の申し出は正直、断るべきものだった。斎藤と沖田がいる上で万が一など起きることはないと思うが、相手は既に何人も会津や新選組の人間を殺している人斬り。危険は危険で、護るべき人間なんて遠ざけるに越したことはない。
が、新選組隊士としての立場で考えると、逆に愁介の申し出を断る理由が――本当に困ったことに、何も思いつかないのだ。
今件は早期解決を求められており、新選組は人手不足。当然、腕利きの助力は、断るどころか歓迎すべきだ。
斎藤自身は愁介の実力を、先の一撃以上に明確に知っているわけではない。が、当の愁介が池田屋での死闘において無傷で生き残ったことは事実。その上、沖田をはじめ永倉や藤堂など、共に池田屋に踏み込んだ者達がこぞって実力を認めているのだ。特に、経験も豊富で年配でもある永倉の客観的な言は、斎藤も普段からかなりの信用を置いている。なのに、今回に限ってこれを無視するというのは、とてつもなく不自然になってしまう。
「……あ。もしかしてオレの助太刀、邪魔だったりする?」
どうしたものかと思考を巡らせていると、隠し切れなかった渋面に目ざとく気付いたようで、愁介がひょいと下から斎藤の顔を覗き込んできた。
斎藤は思わず軽く身を反らし、「ああ、いえ」と抑揚のない声を返す。
「邪魔、ではなく……ただ、私は愁介殿の実力をろくに知らないので」
「それなら大丈夫ですよ。愁介さんの腕に関しては、永倉さんのお墨付きですから」
言い訳がましく口を濁せば、案の定、沖田が無邪気に言葉を添えた。
「永倉さんの目は確かだって、斎藤さんも充分ご存知でしょう?」
やはり返す言葉が見つからず、斎藤は曖昧にあごを引いた。結局、わずかに眉尻を下げて「まあ、沖田さんがそれでいいなら」と情けなくも責任逃れするしかなくなってしまう。
「河上は、佐久間象山の暗殺以降、単独行動ばかりらしいから……正直あんたと俺だけで手は充分だと思うんだが」
「あ、そっち?」
斎藤の返答に、何故か愁介が驚いたように丸い目をぱちくりと瞬かせた。
そっちとはどっちだ。訝る視線で見返せば、愁介は失言だったとでも言うように、手のひらで自身の口元をぺちんと塞いだ。そのまま、もごもごとくぐもった声で話す。
「いや、ごめん、えーっと……何か、ちょっと前の斎藤だったら、オレが助太刀することで自分が河上と手合わせする機会を奪われるのを嫌がったんじゃないかな、とか思ったりしたんだけど」
誤魔化すような物言いに、斎藤は小さく片眉を上げた。
――要は、以前の斎藤なら「河上と戦えば死ねるかもしれない」くらいのことは言いそうだったのに、という意味だろうことを理解してしまった。沖田がいる手前、多少は誤魔化してくれたようだが。
否定できなかった。同時に肯定もできず、酷く苦い気持ちが湧いた。
実のところ、無意識だった。確かに今の斎藤は、己と沖田が勝利をおさめ、また日常に戻ってくることを疑っていなかった。いっそ自信過剰とも言えるほどの確信すら持って。
「あは。オレとしては、邪魔じゃないなら本当ありがたいけど」
斎藤の胸中を見透かすように、愁介が明るくはにかむ。
お陰で余計に苦みを味わって、斎藤は眉間に薄くしわを寄せてしまった。
……別に、葛の元へ逝きたい気持ちがなくなったわけではない。とはいえ愁介が、斎藤の知らない葛の情報を相変わらず握ったままでいるのも確かで、無意識でも生きようとしているのは、きっとそれがあるからで――……なんて、つらつら考えたところで栓ないし、余計に虚しくなるだけだった。
「……沖田さん。念のために、土方さんにも愁介殿のことを報告してくる」
無駄な会話を切り上げるように、斎藤は愁介には答えず、そのまま沖田に目を向けた。
途端、何故か一瞬、普段の斎藤以上に無感情な、冷めた沖田の瞳と視線がかち合った。
驚いて思わず目を瞠る。動きを忘れて小さく息を呑むと、逆に沖田は瞬き一つで普段通りの毒のない微笑みを浮かべ、「あ、それもそうですね」と爽やかに小首をかしげて見せた。
「じゃあ、お願いできますか? もしかしたら土方さん、愁介さんが絡むとちょっと不機嫌になっちゃうかもですけど。お小言を避けるのは私より斎藤さんのほうがお上手ですし、お任せします。私と愁介さんは、先に玄関口へ行って待ってますから」
「あ、ああ……」
見間違いだったかと思うほど、いつもと何一つ変わらない反応だった。
愁介も、今の沖田の様子には気付いていなかったようだ。こちらは本当にいつもの通りの明るさで、沖田の傍らに並んで「共闘は池田屋以来だね、実はちょっと嬉しい」なんて与太話をし始める。改めて刀を腰に差した沖田も「そうですよね!」と嬉しそうに言葉を返し、そのまま二人して笑いながら部屋を出て行ってしまった。
斎藤は少しの間、その場から動けなかった。
自分の見たものの意味が本当にわからず、狐にでもつままれたような気分だった。




