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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◆ 一章七話 至純の涙 * 元治元年 九月
83/212

元通り?

 月が替わった九月の初め、屯所前で馬に乗った永倉が、気負いのない表情で斎藤を見下ろして微笑んだ。


「じゃ、行ってくんね。平助にはよろしく言っとくから、改めて山南さんにも伝えといて」

「ええ。お気をつけて」


 斎藤が抑揚のないながらも神妙な声で頷くと、永倉の隣で同じく馬に乗った近藤からも、斎藤に並び立つ沖田へ向けて声がかけられる。


「総司、くれぐれも留守を頼む」

「はい、先生。任せてください」


 そうして近藤と永倉は、二人揃って江戸へ発っていった。伊東何某(なにがし)という弁の立つ男を新選組に引き入れたいのだ――そう言って先発していた藤堂を追う格好だ。


 一介の道場主でもある伊東は責任感が強く、新選組への入隊も簡単には頷いてくれないようだ。ゆえに応援を、と望む藤堂の文が届いてから、わずか三日後のことであった。何とも慌ただしいが、こういう時は早く動いたほうが良いだろうとの土方の進言があったらしい。


「俺らが帰ってきたら、存分に労わってくれていいからねー」

「はーい。お土産、楽しみにしてますねーっ!」


 馬に乗って遠ざかっていく二人に、沖田が大きく手を振る。


 斎藤は言葉なく神妙に一礼するに留め、そこそこに頭を上げた。


 隣を見やれば、沖田は名残惜しそうにいつまでも近藤の背中を見つめている。


「……沖田さん、中に入ろう。あんたがずっとそうしてると、門番達が頭を上げられない」


 しばらく経っても変わらない姿勢の沖田に淡々と声をかければ、門の両脇に立つ二人の年若い隊士達が、上体を下げたまま苦笑いを浮かべて互いの顔を見合わせた。


 沖田は「あ、そうですね」と、はたとした様子でぼんぼり髪を揺らし、照れくさそうに笑う。


「お仕事のお邪魔をしてすみません。引き続き、門番よろしくお願いしますね」

「はいっ」


 隊士達は、背筋を伸ばして明るく瑞々しい返事をした。先月入隊したばかりの新人ゆえか、元気は有り余っているようだ。


 使命感に溢れ輝く瞳を一瞥し、斎藤はむず痒いようなどうでもいいような、何とも微妙な気持ちを持て余しながら踵を返した。


 屯所に入り玄関を上がると、後ろからぱたぱたと軽い足取りで沖田が追ってくる。


「本当、建白書の一件自体は色々と複雑でしたけど……近藤先生と永倉さんは元通り以上に仲良くなっているみたいですし、ひと安心しました」

「ああ、まあ……そうだな」

「何事もなく収束して良かったですね」

「――俺が何事もなく終わらせると、本気で思ってんのか?」


 不意に行く先の濡れ縁の角から、抑揚のない低く掠れ気味の声が割って入ってきた。


 隠す様子もない気配に斎藤達が足を止めれば、そこから土方が、何の感情も読めない無表情でぬっと姿を現す。


「あれ、土方さん。お見送りに来ないなーと思ったら、何してるんですか?」

「見送りなんざ、お前らがやれば充分だろ。それより二人とも、俺の部屋に来い」


 沖田の疑問を軽くかわし、言うだけ言って土方はすぐさま踵を返した。随分と涼しくなり始めた秋風が吹いて、その艶やかな濡れ羽の髪を冷たくたなびかせていく。


 斎藤は一つ瞬くと、ちらと最低限の動作で隣の沖田に目を向けた。


 沖田は斎藤のいわんとしたことを的確に察した様子で、ふるふると子供のように首を大きく左右に振る。なるほど、どうやら呼ばれた理由を、沖田もまったく知らないらしい。


「うーん、何でしょうね……」


 首を捻りつつ、沖田は言葉と裏腹の軽い声音と足取りで土方を追って歩き出す。


 さて、また何がどうなるやら――小さく息を吐いて、斎藤もそのすぐ後に続いた。

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