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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◆ 一章一話 池田屋の桜 * 元治元年 六月
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ちらつく残像

 ――そのほうが『駒』として、使い勝手がいいからですか?


 訊けるはずもない言葉が喉元にせり上がり、斎藤はとっさに息を止めた。一拍を置いてから「……どうも」と当たり障りのないひと言で誤魔化す。


「待ってください、私は聞きたいです!」


 その時、沖田が身を乗り出して手を挙げた。


 見れば、沖田は何故か仲間はずれを嫌う幼子のような、拗ねた表情を浮かべていた。


 驚いたらしい土方が、少々困ったように片眉を上げる。沖田は「何ですかその顔」と再び不満をたれた。


「また斎藤さんを見習えって言いますか?」


 しかし土方は苦笑を浮かべて「言わねえよ」と頭をかいた。


「何だよ、随分と突っかかるじゃねぇか、らしくねえ」

「らしくないって……でも、いつも言うじゃないですか、斎藤さんを見習えって」

「俺はお前に『もうちょっと考えろ』と言ってるだけであって、考え方そのものを変えろとは言ってねえよ。そうじゃなくて、知りたきゃ教えてやるってのに、何をそんな拗ねてんだか……」

「そうだぞ、総司。何もムキになることはない」


 近藤が、横から優しく諭すように言った。


「確かに斎藤くんは普段から落ち着いているし、総司からすれば見習うべきところは多いだろう。だが、物事の捉え方は人それぞれだ、それが各々の人格というものだ。そういうところは、比べるものではないよ」

「そうそう」


 近藤の言葉に頷きながら、土方はからかうように口の端を引き上げた。


「お前こそ妬いてんじゃねえか。俺が斎藤を買ってるっつったから」

「別に、そういうんじゃないですよ」


 沖田は硬い声で答えたが、ばつ悪そうに視線をさ迷わせていては説得力がない。


「総司、斎藤くんは斎藤くん、お前はお前だ。わかるだろう?」


 近藤の言葉に、沖田はわずかに目を見開いた。それから首をすっこめるようにして顔を俯ける。己が幼さを恥じ入るように、頬が上気していた。


 ただ、斎藤が横目に窺うと、その口元には薄っすらと笑みも浮かんでいた。恐らく、羞恥を感じた以上に嬉しくもあったのだろう。


 慕う相手に『個』を認めてもらえる幸せは、斎藤にも覚えがある。


 ――『(はじめ)は一だもん、おれが知ってる』


 脳裏に、懐かしい声が響く。


 古い記憶にまぶたを伏せ、斎藤は沖田のいるほうとは反対隣に視線を流した。誰もいないそこを眺め、考えるよりも先に、意識が『過去』に引っ張られそうになって――


「……斎藤さん、『誰』を見てるんです?」


 横から飛び込んできた言葉に、斎藤は小さく肩を揺らしてしまった。


 首を回すと、いつの間にか顔を上げていた沖田の、真っ直ぐな瞳と視線がぶつかった。曇りの欠片もない澄んだ目に気圧されて、瞬きさえ忘れて唇を引き結ぶ。


 ――何を知るはずもない黒茶の瞳に、何故か一瞬、すべてを見透かされたような気がした。


 けれど、


「何言ってんだ、総司。そこは普通『何』を見てるんですか、だろうが。誰って何だ、誰って」

「はっはっは、そうだぞ。斎藤くんが幽的なものが見えるだなんて話は聞いたことがない」

「つーか、そんなもんが俺の部屋にいるわけもねぇ」


 土方達の言葉に、沖田はきょとんと目を丸くして斎藤から視線を外した。


「え? ああ、まあ確かに土方さんの部屋なら、幽霊やあやかしの類も裾まくって逃げそうですけど」

「ンだと総司、どういう意味だコラ!」


 土方は目を三角にして膝立ちになり、沖田の喉元を締め上げた。


「痛ッ、ちょっ、ゲホッ、土方さっ、苦し、やめ……ッ」


 そんなやり取りを横目に、斎藤は、密やかにそっと詰めていた息を吐いた。


 知らず鼓動が早くなっていたことに気付き、生唾を飲み込む。


 ――『誰を見てるんです?』


 単なる言葉のあやだろうか。それとも……。


 改めて隣を窺う。沖田はすっかり普段の調子に戻って、土方と言い合っていた。子供のようにはしゃぐ様子からは、先刻の、人を見透かすような鋭さは感じられない。


「――局長、副長。報告も済みましたので、私は先に下がらせてもらいます」


 斎藤は静かに深呼吸をして、手短に告げた。


 土方が「ん? ああ」と気の抜けた声を返す。


「斎藤、今日は悪かったな、非番のところ」

「いえ、構いません。明日は夜勤ですから、昼の内に休ませていただきます」

「そう言ってくれると助かるよ。ありがとう斎藤くん、ご苦労様」


 近藤の言葉に頭を下げて、立ち上がる。


 踵を返し、置いてあった刀を拾い上げて部屋を出た時、ちらと室内に視線を流すと、また一瞬だけ沖田と目が合った。


 ――『誰を見てるんです?』


 先の問いかけが、再び頭の中を廻る。


 ……誰、って。


 部屋から離れたところで、斎藤は小さく「……(かづら)様」とその名を呼んだ。


 けれど四年前(ヽヽヽ)()死んだ(ヽヽヽ)人間から、返事がくるはずもなく――。


「……馬鹿らしい」


 代わりに返ってきたのは、果てのない自己嫌悪と、すっかり蝉の声も収束した、束の間の黄昏の沈黙ばかりだった。

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