永倉の覚悟
「斎藤先生も、永倉や原田さんと同じように?」
島田が窺うように口を開く。
斎藤は瞬き一つで永倉から視線を外すと、頷くようにあごを引いた。
「私は……永倉さんより、島田さんや尾関さんと意見が近いですね。近藤局長には江戸で世話になった恩がありますから否定しづらい部分はあるのですが、それでも今回の一件は少々呆れましたし、今後を思えば憂慮すべきかと」
憂慮すべきはこの集まりが存在していることである、という本音を建前にくるんで抑揚なく答える。
言葉に本音を混ぜると、嘘に真実味が増すので便利だ。以前、憤慨しきりで訴えてきた時のように永倉自身が動揺している場合は別だが、通常であれば永倉ほどの人物を相手取るのは厄介でしかない。だからこそこういう時、この話法は重宝する。長年日陰者として生きてきた中で身に着けた、一種の処世術だった。
周囲の反応を窺いながら、斎藤は続けて付け加える。
「ただ、憂慮すべきとは思いますが……実質これといった手立てが思い浮かぶわけでもありませんので、どう折り合いをつけたものかと悩ましいところではありますね」
現状の『穏便に収める』というのは、どこを終着点にすべきだろうか。それこそを悩ましく思いながら視線を巡らせると、ここまで口をつぐんでいた永倉が、含みのある笑みを深めてようやく沈黙を破った。
「そのやきもき感をね。どうしたものかなって俺も悩んでたんだけど……そんな時にさ、葛山が面白い案を持ってきてくれたわけなのよ」
「面白い案?」
思わず反復する。
永倉は片眉を上げて、先ほどは受け流した斎藤の視線に改めて答えるように頷いた。
「会津侯に、建白書を差し上げる」
――呼吸が一瞬、止まった。
「皆に集まってもらったのは、この建白書に署名してもらえないかって相談したかったからなんだよね」
永倉は事も無げに言って、葛山に視線を流す。
葛山は厳めしい顔をしたまま懐から書を取り出し、円座の中央に広げた。
それには神経質そうな字で、訴えが書き連ねられていた。最近の近藤が、仲間と共にお国を盛り立てるという初志を忘れているのではないかということ。これにより、立場の違いはあれど、本来隔てなく働くべき同志を蔑ろにしているのではないかということ――など、それらしく言葉を整えて、全五か条にまとめ上げられている。
文末には既に永倉を筆頭に、原田、葛山の署名と拇印が揃っていた。
「葛山は字が上手いからね、書くのは任せたんだ。まあ、知っての通り葛山は元会津侍ってこともあって、多少伝手もあるみたいだしね」
永倉が葛山を許容していた理由が知れ、急速に喉が渇いていく。
——穏便に、どころの話ではなくなった。このままいけば、ただでさえ心労の多い容保の手を、新選組内のいざこざでわずらわせることになる。
先の禁門の戦の後始末も一段落した先日、会津と新選組には揃って幕府老中から戦の功績を称える賞状が下された。池田屋、明保野亭、禁門の戦、そしてそれぞれの後始末。一つ一つを共に乗り越えてきた両者が着実に、かつ急速に親密さを増しているのは間違いない。頼り頼られ、改めてより良い関係を築いていこうと距離を縮めている最中なのだ。
が、それと今回の一件とはまた話が違う。斎藤は内心で頭を抱えずにいられなかった。
会津が新選組と良い関係を築こうというのであれば、それは結構なことだ。斎藤は従って尽力するのみだが、だからと言って新選組で起きた火の粉を会津に飛び火させても良いかと問われれば、それは否やしかない。
しかもこの月半ば、会津には幕府からの賞状ばかりでなく、先の戦の元凶であった長州を諸国と共に征伐せよという朝廷からの命も下されている。そんな中、容保の肩には先の戦で不安を抱かれた帝の警護ものしかかっているのだ。ただでさえ病弱な体を押して右へ左へ奔走する容保に、どうしてさらなる負担をかけようというのかと頭の芯が痛くなる。
「あ……」
が、そうして言葉を詰まらせたのは何も斎藤だけではなかった。同じく今初めて聞かされたのであろう他の二人も、さすがに動揺を隠しきれない様子だった。
「あ、会津侯へ直接建白書を差し上げるなど……いくら何でも畏れ多くはありませんか」
「永倉、本気か?」
生真面目な尾関だけでなく、島田も不安げに永倉を見る。
永倉は口元に笑みを浮かべたまま、瞳を爛々とぎらつかせて答えた。
「本気だし、正気」
「……永倉さん。下手をすれば切腹ものですよ」
斎藤が言葉を継ぐ。
けれど永倉は、それでも迷いのない目で頑然と言い放った。
「腹を切れと言われるなら、どの道それまでだよ、斎藤。むしろその覚悟もなく建白書なんか差し上げられるもんか。これくらいしないと、今の近藤さんには伝わらないんだよ」




