言い争い
――頭が上手く回らない……。
再び気絶するほどでないにしろ、不安定な心地は少しも消えてはいなかった。
そうして戻った新選組の屯所で、藤堂と共に土方の部屋に巡察の下番報告へ向かった時のこと。離れに渡りきったところで、不意に言い争うような声が聞こえてくる。
「ん、何だろ?」
副長室から聞こえるのは土方と山南のもののようで、藤堂の足が速くなった。
「――土方くん、君の言い分もわかるにはわかるが、さすがにそれでは隊士の不平不満が募ってしまうと私は言っているんだよ」
「不平不満たって、実際に奴らは働いてねぇんだから、報奨金の分け前がないことァ当たり前じゃねぇか」
「そうだが、夏風邪で臥せっていた者はともかく、局長や君の命で屯所番として残っていた隊士だって数名はいるじゃないか」
部屋に近付くと、そんなやり取りがはっきり耳に入る。
すぐに察した。要するに、藤堂も話していた池田屋の報奨金――その分配でもめているのだろう。
土方は報奨金を、池田屋で実績を上げた者に優先して与えたいようだ。差し詰め、次ある機会のために、今回手柄を立てられなかった者達を決起させる腹積もりでいるのだろう。頑張れば、役に立てば、誰にだって見返りが与えられることを示し、互いに切磋琢磨させようというのではないだろうか。
対して山南は、報奨金の分配から完全に弾かれたらしい、あの日屯所に残っていた者達に募る不満を憂慮しているものと思われる。また、隊士達が手柄を立てることばかりに気を取られ、足元をすくわれることも危惧しているのではないだろうか。
全く、いつも通りの『組の道理』と『正論』だ。ただ物珍しいのは、これを二人が隊士達の前でやっているのではなく、二人きり、まさに本気で談義していることである。
「ほいほい、お二人様。外まで聞こえちゃってるよー」
藤堂が苦笑して、場を和ませるように二人の間に割って入っていった。
しかしそれとほぼ同時に、土方がしびれを切らしたように拳を畳に叩きつけて、
「わかんねぇ奴だな! アンタ、自分の分け前がないのがそんなに腹立たしいか!」
「――っ!? 山南さんはそんな人じゃない!」
取り成しに入ったはずの藤堂が、噛み付くように言って土方の肩に掴みかかった。
「平助!」と、かばわれた山南のほうが慌てた様子で藤堂の腕を引く。
藤堂の剣幕に圧され、土方もようやくこちらに意識が向いたようだった。
は、と呼気とも声とも吐かぬ息を吐き、目を瞬かせる。
土方は、顔を真っ赤にして睨む藤堂と、それを抑える山南、そして部屋の前でただ傍観するように佇んでいる斎藤に、順繰りに視線を巡らせて、
「……悪かった。本心から思ってるわけじゃねえ」
勢いをしぼませた殊勝な声で、深く山南に頭を下げた。
藤堂はまだ憤慨収まらぬ様子で唇を噛み締めていたが、山南が前に出て表情を和ませたことで、ようやく張り詰めていた部屋の空気がわずかにゆるむ。
「……わかってるよ、土方くん」
声音は寂しげにも聞こえたが、怒りなどは抱いていない様子だった。
土方は眉根を寄せつつも安堵したように細い息を吐き、顔を上げる。
「だが……これはもう決定事項だ。近藤さんも承服していることだ、曲げられねぇ」
「そうか……わかった」
土方の言葉に、山南は目を伏せて小さく頷いた。
「ただ、せめて……中でも監察の山崎くんなどは、屯所番の役目を超えて現場にいた君達のために駆けずり回ってくれただろう。表立ってでなくていい、せめて彼には、褒美を取らせてもらえないか」
「……わかった。俺への分配分から、後で半分を取らせる。それでいいか」
山南は穏やかに口元をほころばせてもう一度、深く頷いた。
「ありがとう。ならばこれ以上はもう、私も何も言うまい」
言い置いて、静かに腰を上げて部屋を出る。
「平助、おいで。近くの光縁寺のご住職に水菓子をいただいたんだ。一緒に食べよう」
斎藤の隣で立ち止まった山南は、口を閉ざしたまま俯いている藤堂に声をかけた。そうして「構わないか」とでも問うように、斎藤に目を向ける。
斎藤は頷くようにあごを引いた。どうせ巡察の下番報告など、一人で事足りる。
藤堂は顔を上げることなく、歩き出した山南の後を追うように部屋を出て行った。
二人を見送った後、斎藤はそのまま部屋の外に膝をつき、「斎藤、藤堂、市中巡察を下番致します」と一礼する。
土方は斎藤に目をくれぬまま、口をへの字に曲げてぼそりと呟いた。
「山南さんの言うことがいちいちもっともすぎて……あの人を納得させられるように上手く説明できない自分に、腹が立つ」
斎藤が言葉を返せずにいると、土方はまぶたを閉じて粗雑な手つきで髪をかき混ぜた。
「悪い、忘れてくれ。下番報告、確かに受けた。……下がっていい」
斎藤は再び一礼して、副長室を後にした。
未だ体の中に渦巻く不安定な心地を持て余しながら、どうにか思考を巡らせようとするものの――
「……気分が、悪い」
口からついて出たのは、ただそれだけの情けないひと言だった。




