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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◆ 一章五話 空ろの胸 * 元治元年 八月
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矛盾

 見透かしたのか偶然か、藤堂が「あれ、そんなことないとか思ってる?」と首をかしげた。


「お前、誰から見ても大真面目だと思うよ?」

「どこが……」

「一番わかりやすいので言うと、『死にたい』って投げやりに生きてる割に、自分からは死にに行かないところとか? 自刃しなくても死にに行くことって普通にできるじゃん」


 斎藤はゆったり目を瞬かせて、再び隣に視線をやった。


 藤堂は「あ、無自覚なんだ。じゃあやっぱり大真面目だよ」と頷いて、担いでいる荷物を揺すり上げて抱えなおす。


「だって、周りのこと何一つ構わず死にたいって思うなら、それこそ新選組を脱走でもすりゃ話が済むじゃんか」


 局を脱するを許さず。これを破れば切腹だという隊規に照らし、藤堂はあっけらかんと言った。


「歯向かえば切腹どころか斬首なんだし、それをしないんだから真面目だよ」


 と告げられ――そこで斎藤は思わず足を止めた。


「ん? どした?」


 不思議そうに振り返った藤堂は、ところが斎藤の顔を見た途端ぎょっとして、


「たんま! 嘘、今のなし! 忘れろ!」


 焦りきった大声に、さすがの老女も驚いた様子で振り返る。


「どないしはりましたん?」

「ああ、いやっはっはっは、何でもないです。何でもないよぉ。ほら斎藤、行くよ!」


 呼ばれて足を踏み出すと、老女も「もうちょっとで着きますさかい」と朗らかに微笑んで再び歩き出す。


「忘れろよ? オレの言ったこと忘れろ? 脱走とかすんなよ? オレ泣くよ? 大泣きするよ? むしろお前が抜けたら命がけで逃がすよ?」


 藤堂は息吐く間もなく口早にまくしたてた。


 斎藤は無表情で、横目を返しつつ返答する。


「別に……脱走するとは言ってない」

「いや、絶対お前さっき『その手があった』みたいな顔してた!」

「……確かに目からうろこではあった」

「忘れろぉお……!」


 呻くように声を絞り出して、藤堂は頭を振った。


 斎藤は「わかったから」とあしらうように返す。実際、言葉通り脱走する気はなかった。そんな気は、一瞬で失せてしまっていた。


 確かに考えたことは認める。容保に殺してくれとは言えないが、新選組になら、と……。


 けれど結局、瞬時に諦めた。諦めたというより、正直ためらいが生じたのである。


「……俺はどうしたいんだ」


 思わず、口の中だけで独り言つ。


 葛の元に逝きたい。その想いだけは変わらない。だが、会津の傘下に戻った十九の夏のあの日から、葛に似た容保をないがしろにしたくないとも心のどこかで思っている。新選組を抜けるということは、結局、斎藤に新選組の目付けを申し付けた容保を裏切ることになってしまうのだ、だから……。


 そう思い、けれどそう思い至ったと同時に、斎藤は強大な矛盾に身を挟まれたような感覚に陥った。


 容保は葛ではない。どちらかを優先するとすれば、斎藤は迷いなく葛を選ぶ。容保を裏切ることは葛を裏切ることと同義ではない。しかしそもそもを言えば、葛は――。


 ――『葛は何があっても、お前には生きて欲しいと望んでた』


 いつぞやの愁介の言葉が脳裏によみがえった途端、頭の芯で爆竹でも放り込まれたような破裂音が鳴った気がした。


 吐き気がこみ上げて再び足を止めた時、ちょうど目的の炊き出し場に着いたようだった。


 藤堂と老女が笑顔で会話を交わしていたが、それがどこか遠いところで行われているみたいに耳に入らなかった。場の男衆が戸惑いと恐縮の表情を浮かべて斎藤の持つ荷物を受け取りに来て、何か言葉をかけられていることは認識できるのに、理解ができなかった。


 足元が揺れているような、沈んでいるような、あるいは逆に浮いているような、不安定な感覚が身を襲う。


「……っぐ……」


 斎藤はたまらず、男衆に押し付けるように荷物を手渡してその場に膝をついた。息が詰まり、呼吸ができず、いやに大きくなった鼓動が耳を打つ。


「え、ちょ……っ、斎藤!?」


 気付いた藤堂が慌てた様子で駆け寄ってくる。


「おい、何か食ったの!? 喉詰まらせたの? 何で息詰めてんの、息しろ!」


 怒鳴り声が耳をつんざく。が……


 ――呼吸って、どうやってするものだっただろう。


 考えた瞬間、暗幕を引いたように意識が遮断された。

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