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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◆ 一章五話 空ろの胸 * 元治元年 八月
62/212

大真面目

「――その御仁、土方さんと合うのか?」


 斎藤は隣にいる藤堂にのみ聞こえるよう、低く抑えた声で問いかけた。


 途端に藤堂は酸っぱいものでも含んだみたいに口をすぼめ、わずかな間を置いてから、


「ビミョーな顔してた……」

「……だろうな」

「でも、土方さんって好き嫌い激しいけど、話してわからない人じゃないからさ。多少は対立するかもだけど、山南さんがいれば結構すっきり釣り合いが取れると思うんだよね」


 藤堂は指の節をあごに当て、自分の言葉に納得するように頷いた。


 伊東何某(なにがし)とやらを見知らぬ斎藤には何も言えなかったが、ひとまずその男を記憶しておこうとだけ思う。北辰一刀流の道場主であり、副長助勤である藤堂が強く推すのであれば、入隊後全くの無役ということにはならないだろう。


「ま、とにかくそういうわけだからさ。斎藤、オレが――」


 そうして藤堂が何かを言いかけた時だった。


 四条の大通りに出た折、祇園の道角から一人の老女が姿を現す。


 引越しの途中なのか、それともどこぞへ差し入れでも持って行くのか。老女は小さな背丈に不釣合いな麻袋を腕いっぱいに抱え、斎藤らとすれ違うようによたよた進んでいった。


「おおう、ちょっと待った、大丈夫ですかー?」


 気付いた藤堂は、迷いなく駆け寄って老女の荷物を支えた。


「手伝いますよ。どこに運ぶの?」

「へぇ? いや、せやかて……」

「いいからいいから。他にも運ぶものあります?」


 腰を入れて荷物を肩に担ぎ、藤堂は老女に和やかに問いかけた。


 誠の羽織を見て戸惑いを見せた老女は、しかし藤堂の表情に目尻を下げ、「おおきに」と頭を垂れる。髪には白いものも交じっているが、年の割に凛と背筋が伸びており、その姿には京女らしいおやかさがあった。


「炊き出し場に持って行くとこどす。荷物は、他にもう一つ……」

「ん、わかりました。じゃあ荷物はオレ達で持つんで、道案内してくれますか?」

「へえ、おおきに」


 斎藤は小さく息を吐いて、後ろで目を丸くしている隊士達を振り返った。


「先に屯所に戻っていろ」

「え? ですが……」

「二つばかりの荷物を大勢でぞろぞろ護衛する必要もないだろう。先に戻っていい。副長への下番報告も俺達がする。交代の武田さん達にだけ状況を伝えて声をかけておいてくれ」


 淡々と指示すると、隊士達は戸惑いつつも斎藤と藤堂に頭を下げて先に進んでいった。


 それを見送るでもなく、斎藤は藤堂と共に老女の示した場所――祇園の道筋に入ってすぐの料亭に立ち寄った。特別大きいわけではないが立派な店構えで、表に『舞扇亭』と看板がかかげられている。


 裏口から足を踏み入れると、すぐの土間にもう一つの荷物が用意されていた。麻袋には野菜やら何やらが詰め込まれているらしく、手に取るとごつごつとした感触があり、お世辞にも抱えやすいとは言えない。年寄りの、ましてや女が運ぶには相当の重労働だろう。


「立派なお店だねぇ、戦火を免れて何よりだけど……下男さんとかは?」

「今は、力仕事に引っ張りダコですよって」


 老女にこんな大荷物を運ばせるとは、と顔をしかめていた藤堂は、しかし返された言葉に「あ」と声を漏らして苦笑した。そりゃそうだねと肩をすくめ、それ以上は何も言わず老女に一礼する。


 老女もそんな藤堂に返礼すると、「よろしゅうお頼申します」と先導して歩き出した。


 藤堂と並び、老女の後ろについて黙々と道を歩く。


 と、不意に横から強い視線を感じた。


 目をやれば、藤堂がだらしなくニヤついて斎藤を見ている。


「……何だ」

「いやぁ、斎藤ってやっぱり優しいよなぁと思って」


 意味がわからず片眉を上げると、藤堂は満足そうに頷きながら笑みを深めた。


「だって、別に他の隊士に任せてもいいのに、自分で来てくれるし」

「……彼らを『血気盛んだ』と言ったのは藤堂さんだろう。何かあっていさかいを起こされても困る。面倒はごめんだ」

「じゃあ、百歩譲って優しいんじゃなかったとしても、大真面目だね」


 くふふと小さく肩を揺らす藤堂に、しかし斎藤は何も答えず視線を下げた。


 ――優しいは勿論のこと、斎藤は自分を真面目と感じたこともなかった。主との約束を違えたことに始まり、別の人に心を捧げながら容保に仕え、仕えていながらいつ死んでも構わない、むしろ誰か殺してくれないだろうかと考えている。そんな己を真面目とするなら、世の中に不埒者など存在しなくなるだろう。


 斎藤をそう見るのだとすれば、藤堂をはじめ、きっと当人達が寛容なだけなのだ。


 思っていると、見透かしたのか偶然か、藤堂が「あれ、そんなことないとか思ってる?」と首をかしげた。

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