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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◆ 一章五話 空ろの胸 * 元治元年 八月
61/212

尋常じゃない人たらし

 街中のあちこちから、トンカンと鉄や木を打ちつける音が響く。


 天王山で終幕を経た『禁門の戦』から、早くも半月が経とうとしていた。


 多くの家々が焼けた都も、少しずつではあるが活気を取り戻しつつある。終戦直後は四六時中、暗雲が垂れ込めているかのように重苦しかった空気も幾分か晴れ、市中に出れば子供達の笑い声も耳に入るようになっていた。


「ようやく暑さもちょっとやわらいできたし、復興もはかどるかなー」


 六名ほどの平隊士を引きつれ、共に巡察を終えるべく屯所へ戻る道中のこと。藤堂が、頭の後ろで手を組みながらのんびり声を上げた。


 隣を歩いていた斎藤は、通りの両脇に視線を巡らせて「そうだな」と相槌を打つ。


 まだ家を焼け出されたままの人も多く、かろうじて屋根の残された焼け跡に腰を下ろしている姿もちらほらと見かけた。しかし火事を免れた大店(おおだな)などからの支援によって、急速な復興が進んでいるのも事実だ。会津と、京都所司代の桑名からも人員が出されているという。このまま順調に行けば、冬が来るまでにはある程度の体裁も整うことだろう。


 強かだな、と思う。多くを失い、国の情勢を揺るがすような戦が繰り広げられていたというのに、きっと一年と経たず都は『日常』を取り戻す。


 ただ――


「……新選組や」

「疫病神め……」


 道を行く途中、仄暗い囁きが耳をついた。


 視線だけを向けると、家財をすべて焼かれたのであろう煤けた着たきり雀の大人達が、炊き出し場の隅に固まって淀んだ瞳を斎藤達に投げかけていた。


 元より長州贔屓の気のある都の中では、未だ長州よりも会津やその配下である新選組にすべての責があると思う人間も少なくない。


 復興され、日常が取り戻されても、必ず傷跡は残る――強かさを感じる反面、これもまた確かな現実だった。


「おのれ、誰のおかげで都が護られたと!」

「止めろ。あの人達は被害者だ」


 いきり立ちかけた平隊士を、藤堂が足を止めていち早く制した。落ち着いた声音だったが隊士を見る視線は鋭く、有無を言わせぬ気配を漂わせている。


 隊士は気圧されたように口をつぐむと、いからせた肩を下げて藤堂に返礼した。


「全く、血の気が多いんだからなぁ」


 藤堂はすぐにへらりと表情をゆるめ、隊士の肩を軽く叩く。


「その血気は稽古で発散したまえよー。何なら相手してやるからさ」


 明るく笑い、踵を返して再び歩き出す。


 斎藤も改めて藤堂の隣に並び、足を進める。後ろをついてくる隊士達の空気が程よくゆるんだことは気配で感じられた。


「あ、そうだ。血気盛んと言えばさぁ」


 しばらく足を進めたところで、藤堂が何かを思い出したように人差し指を立てた。


「オレ、月の半ばに江戸に行くことになったんだよね」


 楽しげな笑顔を向けられて、斎藤は静かに目を瞬かせる。


「江戸へ?」

「そうなんさ。こないだの戦で、人手不足が改めて感じられたことだしって、また隊士を募ることになったでしょ。それでオレ、いい人推薦したんだよ。その人の説得のために、江戸まで行くことになったわけ」


 藤堂は胸を弾ませた様子で笑みを深めた。誰かと短く問えば、元気な声で「オレの剣術の師匠!」と返ってくる。


「オレが試衛館に行く前にいた、北辰一刀流伊東道場の師範でね。伊東大蔵(おおくら)先生。絵に描いたような文武両道の御仁だよ。ちょっと変な人だけど!」

「変……?」


 思わず眉をひそめると、


「土方さんとは別方向の色男でね、妖艶っつーか、ちょっと浮世離れしてていっそ怪しいっていうか」


 その評価でよく推薦したな、とは口に出さなかったが、斎藤が言わずとも背後から隊士達の戸惑いのざわめきが届いた。


「あ、悪い意味じゃないよ? 良く言うと魅力のある人なのさ」


 藤堂は一度だけ振り返り、後ろに向かって手をはためかせた。


「強いだけじゃなくて、優しくて穏やかで話し上手でね。男女問わず伊東先生と話すと惚れちゃうっていうか、要するに尋常じゃない人たらし? 割とまとわりつくような物の言いかたするけど、慣れると面白いよ!」


 晴れた表情で、きっぱり言い切る。


「……最後のひと言のおかげで、余計に不安を覚えたんだが」

「でも頭いい人だよ。他人といさかい起こしたとかも聞いたことないし、大丈夫大丈夫!」


 藤堂は拳を握り締めて瞳を輝かせた。元いた道場の師ということもあり、信頼が大きいのだろう。


 しかし斎藤が今一つ測りかねていると、それを見て藤堂は少しばかり神妙に表情を引き締めた。


「……今後もっと人数が増えるならさ。山南さんみたいに、学があって弁が立つ人がもう一人くらい必要だとオレは思ったわけなのさ。うちって腕っ節の強い人間はやたらといるけど、組織が大きくなればなるほど、それだけじゃ立ち行かない部分もあるでしょう?」

「まあ、一理あるな」

「でしょ? 聞いたところだと、池田屋と禁門の戦の功績を認められて、幕府から新選組に報奨金が出されるって話もあるし……お上との繋がりが強まれば尚のこと、剣術バカだけじゃやってけなくなるだろうしね」


 明るいが太く芯の通った言葉に、斎藤は素直に感心して首を縦に振った。


 藤堂の言葉は至極道理である。会津と新選組の距離が、池田屋の一件、柴が亡くなった明保野亭の一件、そして禁門の戦を通し、急速に近付いていることも事実だ。結果として会津の役にも立つならば、頭のきれる人間が増えることは好ましいとも取れるだろう。


 が、一つ気になるのは。


「――その御仁、土方さんと合うのか?」


 斎藤は隣にいる藤堂にのみ聞こえるよう、低く抑えた声で問いかけた。

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