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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◆ 一章四話 望みの鎖 * 元治元年 六~七月
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終戦

「生きてよ。そしたら教えてあげる、葛のこと、全部」


 斎藤はギリと奥歯を噛み締めて、愁介を睨め下ろした。


 腹の底に渦巻く負の感情をまとめて視線に込めたような鋭さに、けれど愁介は臆することなく表情を引き締め、対峙する。


「……気分が悪いです」

「どうとでも言っていいよ」

「あの時、一瞬でも貴殿に葛様を重ねた自分を殴り飛ばしたくなりました」


 静かな声で、けれど口早に言うと、愁介が狐につままれたような顔をした。


「え……似てると思うの? オレと葛が?」

「似てませんよ。あの方は病弱で、貴殿のようにバカでかくなれるわけもありませんし。別に貴殿が女に見えるわけでもない。あと葛様は貴殿のように鬱陶しいことを口にすることもありませんでしたので」

「前者はわかるけど後者は八つ当たりだろ、それ。いや、まぁ……葛って今のお前ほどでなくても後ろ向きだったから、否定はしきれないけどさ」


 なんて言って、愁介は遠くを見るように空を仰ぐ。


 葛のことをよく知っているのだと、それだけで深く伝わった。


「……でも、重なって見えたのだから、仕方がないじゃないですか」


 ぼやくように返して、斎藤はゆるりと手を上げた。少年らしさの残るまろい頬を汚していた煤を、乱暴に払ってやる。


 愁介は驚いたように肩に力を入れた後、気恥しそうに自身でも乱雑にそれを拭った。


 俯き気味の相貌を見下ろしながら、ふと思う。


 ――葛と別れて十三年。斎藤の記憶にいる葛は幼くて、小さな花の蕾のような人だったけれど、やはり愁介にはどことなく面影があるように思える。気の強そうな猫の目と、言い出したら頑として譲らない姿勢。


 もちろん先の言葉通り、愁介が女に見えるわけではない。幼さが残っており華奢なきらいはあるが、女らしい曲線などない体格は、沖田と同類の誤魔化しようもない男のそれだ。ただ、もしも葛に双子の兄か弟などがいたとすれば。いないと知っているけれど、もしいれば。そう思う程度には、どうしても、どことなく……——。


「一つだけ、確認したいのですが」

「……うん?」

「葛様は、亡くなられたのですよね……?」


 当たり前のことを、けれど斎藤はどこかまだ、すがるような心持ちで問いかけた。


「貴殿のおっしゃっていたことは……墓、のことですよね」


 愁介は何も答えなかった。ただ切なげに目を伏せただけだった。肯定すれば、斎藤が結局は『生きようとしない』ことをわかっていたからだろう。


「……例え亡霊でも、あなたが葛様なら良かったのに」


 思わず呟くと、愁介はひくりと目元を引きつらせた。


 さすがに無礼が過ぎたと自覚し、斎藤は一歩、足を引いて愁介から顔を逸らす。


「失礼を申しました。忘れてください」

「うん……斎藤の厄介なところは、これで『失礼が過ぎるわ、無礼討ちにしてくれようか』って言ったら喜びそうなところだよね」


 短く「そうですね」と答えると、愁介は「否定して欲しかった」と物悲しげに額に手を当てた。


「ねえ、オレからも一つ訊かせて。死にたいって言いながら、お前が自刃しないのは何か理由あるの?」

「約束を……果たしていませんので」


 呟くように答えると、愁介は「約束?」と反芻して首をかしげた。


「必ず見つけ出して、迎えに行くと約束しました。結果としては破ってしまいましたけど……それでも果たさぬ内は、自ら刃を取るなどできませんよ」

「殺されることには抵抗しないのに?」

「不可抗力は別でしょう」

「お前のやってることって、大差ないんだけどなぁ」


 愁介は呆れたように反論したものの、さすがにもう理屈でないことは理解できたのか、それまでに比べて随分と言葉が弱々しかった。まあ、その思考のおかげで息してるんならいいけどさ、と初めて諦観したようなことを漏らす。


 沈黙が落ちる。煤けたにおいの風が吹き抜けて、つられるように視線を投げると、先刻よりも都の火の勢いが衰えてきているように見て取れた。


 その時だった。


 突然、ドォンと大地を揺るがすような爆音が鳴り響く。周囲の鳥や虫が一斉に飛び立った。


 夜襲かと弾かれたように振り返り身構えた瞬間、


「――義は! 我らにあり!!」


 胆を震わせるような太い声が、夜の天王山に朗々と降り注ぐ。


 そうして再び、今度は文字通り地を揺るがす轟音が爆ぜる。敵の総大将らのいるお堂の方角から、大きな火の手が上がった。


 何事か――。


 斎藤は即座に駆け出して、陣の中にいる近藤と土方の元へ向かった。すぐ後ろを愁介も遅れることなくついてくる。


「局長!」

神保(じんぼ)さん!」


 陣へ駆け込み、斎藤は近藤に、愁介は会津の指揮を任されていた神保内蔵助(くらのすけ)にそれぞれ声をかけた。陣中には既に重役が集まっており、駆けつけた斎藤と愁介に対して、永倉が簡潔にすべての答えをくれる。


「一発目は空砲。後のは……自刃だね、たぶん」


 それに言葉を返すまでもなく、様子を探りに出ていた山崎と島田が陣に駆け入ってきた。


 やはり進退きわまったと見て、お堂に篭っていた真木らが自刃したとの報告だった。


「敵の総大将の首、とりに(めぇ)りやしょう」


 会津公用方の広沢(やす)(とう)が進言する。


 しかし土方が厳然として首を振り、異を唱えた。


「炎が収まるまでは、待つべきと存じます」


 土方の言に近藤も深く頷き、賛同を示す。


「敵とはいえ、彼らは武士としてのけじめをつけたのです。今、その場を踏み荒らすことは無粋かと存ずる」


 一部、そんな甘いことを言って良い相手かという反対意見も飛び出したものの、結果としては会津重役のほとんどが近藤と土方の言葉に賛同し、すべての確認と始末は朝まで待つこととなった。


 それぞれが『終わった』ことに複雑な息を吐き、様々な思いを込めて山頂のお堂に、あるいは都に目を向けている。


 そんな中、一人まぶたを閉じて何かに耐えるような、あるいは祈るような姿勢で佇んでいた愁介の姿が、斎藤の目に焼きついた。


 彼が何を思うのか、察することなどできはしない。


 ただ、息を呑むほど感情の抜け落ちた表情は奇妙でもあり、どこか尊いもののようにも感じられて、斎藤はしばらく目が離せなかった。

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