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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◆ 一章四話 望みの鎖 * 元治元年 六~七月
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天王山での束の間

 日が暮れて、辺りが夜闇に包まれる。長州軍本隊を追って会津軍と共に天王山に入ると、その中腹から、都に火の手が上がっている様がよく見えた。


「あーあ……燃えてるねぇ」


 隊からわずかに離れてそれを眺めていた斎藤の背中に、歯がゆそうな声がかけられる。振り返ると、不機嫌に顔をしかめた藤堂が斎藤の隣に並び立った。


「せっかく池田屋で『都の焼き討ち』を阻止したっていうのにさぁ」


 悔しいのか、藤堂は握り締めた拳をかたわらの木の幹に叩きつけた。鈍い音が鳴り、どこかの夏虫が一瞬ばかり声をひそめる。


「……敵に、何か動きは?」


 斎藤が短く問うと、藤堂は大きく息を吐いて肩をすくめた。


「相変わらずだよ」


 山頂近くのお堂に立てこもっているという敵の総大将、真木和泉とその腹心達――大した数は残っていないはずだが、近付けば大砲を放たれ、日暮れの時点ではまだ抗う姿勢を崩してはいなかった。


「このまま動きがないようなら、明日の朝に総攻撃を仕掛けるかって……さっき近藤さんと土方さんが、会津のお偉いさん達と話してた」

「……妥当だな」

「オレもそう思う」


 藤堂は軽くあごを引き、それから不意に気が抜けたようにその場にしゃがみ込んだ。


 訝しんで見下ろすと、藤堂は顔を伏せてしばらくの間を置いてから、


「……山南さん、屯所に送ってくれたんだってね」

「ああ……」


 そのことか。納得して相槌を返すと、藤堂は伏せていた顔を上げて都に目を向けながら「怪我とか、してなかった?」と呟くように問うた。


「……流れ弾がかすめたようだったが、元気だった」


 というと語弊があるような気もするが、見たままを答えた。顔色は確かに悪かったが、声を張る余裕と藤堂の心配をする余裕だってあったわけだから……


 そこまで考えたところでふと思い出して、斎藤は「ああ」と付け足した。


「藤堂さんに、無茶はするなと言伝を受けた」

「人の心配してる場合かなぁ?」


 わずかな間も空けずぼやいて、藤堂は自分の髪をくすぐったそうにかき混ぜた。が、その声音は安堵に満ちていて、心なしか嬉しそうだ。


「まぁいいや、大事ないなら。ありがと、斎藤。それと……良かったよ、お前も無事で」


 言葉なく視線を返すと、藤堂は裏表のない顔でにっと笑う。


 何だか首元がかゆいような感覚に見舞われる。どういう顔をしていいのかわからず口元を歪めると、藤堂はおかしそうにフハ、と吐息を揺らした。


 立ち上がり、斎藤の肩を軽く叩く。そうして何かを言おうと口を開いた藤堂は、


「……あ」


 急に間の抜けた声を上げて、斎藤の後ろに視線を固定させた。


 同時にかさりと、草を踏み分ける音が耳に届く。


 肩越しに見やると、薄暗がりの中に具足を身に着けた会津兵の姿が映り込んだ。


「……オレ、戻るね。左之っちゃんも脇腹にかすり傷こしらえたって言ってたから、腹の線が二本に増えてないか確かめてくるわ」


 藤堂は明るく言い、もう一度ぽんと斎藤の肩を叩いてから去って行った。


 その後姿を見送り、斎藤はゆったりとした動作で足を返して、体ごと後ろを振り返る。


「……生きてたね。良かった」


 途端に藤堂と同じことを、けれど藤堂よりも安堵しきった声音で呟いて、愁介が口元をほころばせた。

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