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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◆ 一章一話 池田屋の桜 * 元治元年 六月
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新選組屯所

 新選組の屯所は、京都中京区にある壬生村の一角に点在している。村の豪農や豪商の屋敷をまるまる間借りする形で、『京都守護職お預かり新選組屯所』の看板をかかげているのだ。発足時は十人余りでしかなかった隊士も、今や五十近くまでふくれている。


 奉行所から戻った斎藤と沖田がくぐったのは、そんな屯所の一つである前川邸屋敷の門だった。乗馬したまま通れるほどの立派な門構えが、屋敷の本来の主の裕福さを如実に物語っている。


「何だかんだで、日暮れ時になっちゃいましたね」


 門をくぐってすぐ、沖田がやれやれと肩を落とした。


 言葉通り、空は抜けるような青から茜に移り始め、足元には長い影が伸びていた。蝉の声も随分と大人しくなって、まとわりつくようだったそれらが静まりかけている。


「……そうだな」


 適当に相槌を打ち、武家屋敷造りにも似た立派な玄関を上がる。腰の大刀を右手に持ちなおして先に行きかけると、同じように刀を手にした沖田がすぐまた隣に並んだ。


 綺麗に磨かれた廊下の床板が、ほぼ一日歩き通しだった裸足には冷たく、心地良い。


「あ、沖田先生、斎藤先生」

「お勤めですか、ご苦労様です!」


 揃って離れに向かっていたところで、中庭で素振りに励んでいた数人の胴着姿の隊士達に、快活な挨拶を寄越された。斎藤らとも年の近い、二十代半ばほどの隊士達だ。


 斎藤は無愛想に「ああ」と返し、沖田は愛想良く「自主稽古ですか? そちらもご苦労様です」と会釈した。


「先生方、副長助勤お二人だけで巡察ですか?」

「いいえ、大した用でもなかったんですけどね」


 隊士の疑問に心好く答える沖田を置いて、斎藤は一人で先に進もうとした。


 が、途端に羽織の上から帯を鷲掴みされ、強制的に足を止めさせられる。腰骨に沖田の刀の柄がぶつかり、腹には帯が食い込んで、痛みやら息詰まりやらにウともグともつかないかすかな呻きが口から漏れた。


 斎藤が眉根を寄せて振り返っても、沖田はそ知らぬ顔で後ろ手に斎藤を掴んだまま、何食わぬ笑みを隊士達に向けている。


「ハハハ、沖田先生。平の隊士も連れず『隊の双璧』が揃ってお出かけになっておいて」

「それで『大した用じゃない』なんておっしゃられても、逆に怖いですよ」

「何かあったんですか?」


 何も気付いていない隊士達は、稽古の汗を拭いながら野次馬根性を覗かせて縁側に寄り集まってくる。それぞれが好奇心を瞳に浮かせていた。


「おや、気になります?」

「そりゃあ、そうですよ」

「じゃあ、一緒に報告お聞きになります? 今から行くところなんですけど」


 沖田は明るく言って、空いた手で離れを指差した。副長室の方角だ。


 それまでへらへらしていた隊士達が、一斉に表情を固めて言葉を詰まらせた。二人ほどは、まるで救いを求めるかのように斎藤に目を向けてくる。


 が、顔をしかめたままだった斎藤の表情を見た瞬間さらに慌てて、


「いえ、遠慮します!」

「すみませんでした!」


 必死の様子で、両手を左右に振り回していた。


 ……何か誤解されたような気もするが、取り繕うつもりもなく、斎藤は視線を逸らした。


 沖田だけが変わらず人のいい笑みを浮かべたまま、「おや、そうですか? 遠慮しなくてもいいのに」と笑っていた。


「じゃあ、私達は失礼しますね。報告、行かなきゃなりませんので」

「はいっ、お止めしてすみませんでした!」


 めいめいに頭を下げられたところで、ようやく解放されて体が軽くなる。


 斎藤は無言のまま再び歩き出した。


 最後までご丁寧に隊士達に挨拶を返した沖田が、少し遅れてから足早に追ってくる。廊下の角を曲がったところで、改めて隣に並んだ。


「……何で帯を」

「だって最初、置いて行こうとしたでしょう」


 皆まで問う前に、あっさり返された。


「薄情じゃないですか。斎藤さんより到着が遅れたら、どやされるの私なんですよ」


 だったら彼らの相手をしなければいいのに、と思うのだが、それを言うと「それはそれで薄情です」とさらに切り返されそうな気がして、言えなかった。


 斎藤はわずかに声を低めながらも、ひとまず「……悪い」と自ら折れた。


 沖田も目をたわめ、「私も強引でしたね、すみませんでした」とぼんぼり髪を揺らした。


「それにしても、やっぱり平の隊士さん達には近寄りがたいんですかねぇ、副長室って」


 言いながら、改めて沖田は向かう離れに顔を向けた。


 同じように視線を投げながら、斎藤は「さあ」とゆるく頭を振る。


「そもそも、あのまま彼らに報告内容を教えてやっても良かったんじゃないのか。言う通り『大した用じゃない』と思うなら」

「それは順序が違います。事の大小に関わらず、優先すべきは上への報告でしょう」


 きっぱり断る沖田に感心しながら、


「……人当たりはいいのにな」

「はい?」

「口だけは堅い」

「あっはは、『だけ』って」


 素直な感想だったのだが、沖田には「またそんなざっくりと」と苦笑されてしまった。


「まあ、斎藤さんに『口が堅い』と言われるほどでもないと思いますけどね。私は単に人見知りなだけってところもありますし」

「人見知り、ね……」

「他人様への警戒心が強いって言ったほうがいいですかね?」


 あごに手を当てる沖田を横目に見ながら、まあそれが近いだろうなと内心で同意した。


 人当たりはいい。ただし、笑顔だからと言って相手に容易く心を許すわけではない――沖田はそういう男だと、斎藤も認識している。


「まあ、それはともかく」


 沖田は、胸の前で何かを横によけて置くような仕草をした。


「あそこまで嫌がることかなあって、副長室」

「さあな……単純に近寄り難いだけじゃないのか」

「でも皆さん、固まってらっしゃいましたよ。あんなに全力で拒否しなくてもいいのに」


 ――いや、先刻の場合、とどめを刺したのは斎藤だった気もするが。


 思いながら、斎藤は知らぬふりをして「俺にはわからないが」と視線を逸らした。


「まあ……緊張でもするんじゃないか。平隊士と、副長じゃ」

「緊張。そうなんですかね。でも何か、小耳に挟んだんですよ。隊士の方々が『副長室を訪れるくらいなら、局長室で昼夜働き通しになるほうが百倍いい』って言ってるの」


 ……それもまた極端だな。


 わずかに顔を歪めると、それが笑っているようにでも見えたのか、沖田には「おかしいですよね」と同意を求められた。


「……別にいいんじゃないか。局長が好かれてるってことで」


 局長、というのは新選組の頭である近藤勇のことだ。土方の一つ年上で、今年で三十一になる好漢である。


「そりゃ、先生は人望ありますからね!」


 沖田は表情に花を咲かせて、満足げに頷いた。


「ただ、土方さんが嫌われすぎなのもどうなんだろうと思ってですね」

「敬遠されているだけだろう。土方さんは不必要に愛想をしないから」


 沖田さんとは違って――という言葉は呑み込んで、斎藤はひとまず土方を擁護した。それは単に、角を立てたくなかったゆえの言葉だったのだが。


 離れへの渡り廊下に足をかけた時、ふと強い視線を感じた。


 改めて隣を見下ろせば、沖田は新しい玩具でも手に入れた子供のように瞳を輝かせて、斎藤を見つめていた。


 嫌な予感に軽くあごを上げれば、案の定、沖田はニマッと笑みを深めて、


「ちょっと土方さん、ねぇ土方さん! 斎藤さんに『無愛想』って言われちゃいましたよ、これって愛想のなさは、もう土方さんが新選組で一番ってことじゃないですかね!」


 弾んだ声を張り上げながら、颯爽と走り出したのだった。


 沖田は離れの角部屋、副長室に駆けて行き、開いていた障子の中へ飛び込んでいく。


 ……自分の言葉は「言うな」と人に釘を刺しておいて。


 わざと土方をからかうように言っているのはわかっていたが、語弊だらけの沖田の物言いに疲れを感じた。しかし遅れて訂正するのも面倒くさくなり、斎藤は己の歩調を保ったまま黙々と副長室へ向かう。


 沖田に遅れることしばらく。


 斎藤は努めて淡々と「ただいま戻りました」と部屋の敷居をまたいだ。

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