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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◆ 一章三話 竹取の月 * 元治元年 六月
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月へ行く

 ――それから、わずか三日後。


 展開は、実に急なものだった。


 一件の翌日、柴に傷を負わされた麻田が腹を切り、さらにその翌日、柴が同じく腹を切ることで事のすべてが収束したのである。


 そしてこの日、金戒光明寺で柴の葬儀が行われることとなり、新選組からも副長助勤と一部の隊士が列席することが決められた。


「何だかこう……ちょっとやり切れないですよねぇ」


 部屋で喪服に袖を通していると、同じく着替えていた沖田がぼんやりと気の抜けた様子で呟いた。


「……一人の詰め腹で事が済んだのなら、御の字じゃないか。会津と土佐に軋轢が生じていたら、新選組どころか、また国が大きく傾いていた」


 淡々と答えると、沖田が苦笑して「道理ですよねぇ」と独り言つ。


 そこへ突然、廊下の奥から雄叫びにも似た慟哭が響いてきた。


 斎藤と沖田は何事かと顔を見合わせ、手早く身なりを整えて部屋を出る。


 駆けつけると、そこは永倉達の部屋だった。部屋の中で、原田が大きな体を丸くして泣き喚いていたのだ。


「……ッんでだよ! 一度は土佐も許しを出したって言ったじゃねぇか! なのに何で!」

「左之! 土佐が会津に許しを出したことと、麻田が土佐の上の人間から切腹を申しつけられたことは別の話だ」

「だったら、尚更よォ!」


 大きく肩を震わせる原田の背を、わずかに目元を赤くした永倉がバシンと叩き励ます。


「麻田が腹を切ったのに柴さんが無罪放免となっちゃ、例え国の頭同士が納得してても、一部の家臣達が納得しないだろ。そこから生まれる軋轢を失くすためにって、柴さんが自分で決めたことだ。立派なもんじゃないか! だから嘆くな!」


 部屋の奥でもそもそと着替えていた藤堂は、そんな二人に静かな視線を向けて――ふと、斎藤らの存在に気付いて目を瞬かせた。


「……やり切れないよねぇ」


 藤堂は歩み寄ってくると、まだ怪我の熱が下がりきらぬ様子の赤い顔に複雑な笑みを浮かべていた。


「今朝さぁ、柴さんのお兄さんがココに来たんだぁ。ハチがあの日、柴さんに貸してた鎖帷子と槍をね、形見に欲しいって言ってさ」


 涙こそないが、藤堂の瞳は何かに憤るように揺れ、伏せられる。


 沖田がそんな藤堂の肩にそっと手を置くと、藤堂も寂しげな笑みを返し、同じように沖田の肩に手を乗せた。


「柴さん、ご立派な方でしたね」


 聞けば、柴は斎藤や沖田、藤堂と全くの同い年だったらしい。だからだろうか、沖田と藤堂は何度も「立派だ」と柴を称え、そしてそんな彼らと近しい永倉と原田は、やはりやりきれない様子で表情を歪めていた。


 ――立派、か。


 斎藤は顔を上げて、空を見上げた。


 雲一つない空には、わずかの欠けもない丸い昼の月が浮かんでいる。


 柴について斎藤が思い出せるのは、あの夢に見た幼い頃の丘でのことと、わずか三日前、「新選組に罪をかぶせるわけにはいかない」と言い切った、真っ直ぐな瞳だけだ。


 澱みのない、純粋な――。


 幼い頃、あの丘で斎藤と葛は柴のことを「普通の子供だ」とうらやんだ。真っ直ぐでひねていない、純な子供だとうらやんだ。


 けれどこうなって感じるのは、「普通とは何だろう」という、心臓を爪先で引っかかれるような違和だった。


 ……今回の件が柴一人の詰め腹だけで済んだことは、御の字。その考えは変わらない。


 けれど、望む何かのために命を捧げるなど誰にでもできることでもなければ、誰にでも許されることでもないので――それを思えば、斎藤の胸に引っかかるこの違和感もまた、「やり切れない」という感情に他ならないのだろう。


 ……そうか。あなたも月に行ったのか。


 湿っぽい空気を払うように踵を返し、斎藤はその場を後にした。


 握り締めた拳に爪が食い込み、かすかな痛みをもたらしたが、非常にくだらないと反吐の出る思いだった。

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