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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◆ 一章三話 竹取の月 * 元治元年 六月
46/213

特別

「それじゃあ、愁介さんは黒谷に戻られたんですか?」

「ああ。あんたに『すまない』と言付けを残して行った」


 部屋に戻ってあらましを伝えると、上体を起こして神妙に聞いていた沖田は、そこでごろりと布団に寝転がった。


「うーん、こじれないといいですねぇ、色々と」


 先刻の斎藤の内心と全く同じことを呟きながら、沖田はうつ伏せになって頬杖をつく。


 隣であぐらをかいていた斎藤は、沖田を見下ろしながら「そうだな」と低く相槌を打った。


「私は難しいことはわかりませんけど……まあ、怒るでしょうね、土佐の皆様」

「どうだろうな。斬られた麻田とかいう男が、上にどう報告するかによるんじゃないか」


 斎藤の見解に沖田は苦笑いして、


「……それもそうですね。けど愁介さんも律儀だなぁ。私は新選組って会津のトカゲの尻尾だと思ってましたから、生真面目に『新選組に罪をかぶせるわけには!』なんて言っちゃう愁介さんや柴さんが、いっそ不憫ですよ」


 まあ、そうでなければ今度は土方さんがうるさそうですけど、と舌を出す。


「そういえば、柴さんはその後どうなさったんですか?」


 寝転んだまま器用に小首をかしげられ、斎藤は無表情を崩さず「原田さんが自室に連れて行った」と端的に告げた。


「そうですか、それはいいですね。あの部屋なら柴さんも、少しは気がまぎれるんじゃないでしょうか」


 沖田は目元を和ませ、重ねた両腕にあごを乗せて笑った。


「……かもしれないな」


 返しながら腰を上げる。斎藤は踵を返し、部屋を出ようとした。


「あれ、今度はどこに行くんですか?」

「土方さんのところだ。そろそろ会津の動きも耳に入ってるだろうし、様子を聞いてくる」


 答えると沖田まで布団から起き上がろうとするので、


「……沖田さんは寝てろ」

「えっ、どうしてですか?」

「顔が赤い。まだ微熱があるんだろう。ついて来られたら落ち着いて話もできやしない」


 沖田は納得がいかなさそうに眉根を寄せた。


「離れに行くくらいのことで、そんな気を揉んでいただかなくても……」

「……俺じゃない。土方さんだ」


「ああ」と今度は沖田も納得したように視線を上げた。


「暇ならそれこそ柴さんのところにでも行ってやるといい。得意だろう、場を和ませるの」

「うーん、私、人見知りだからなぁ」

「……愁介殿とあれだけ打ち解けておいて、よく言う。二度目の顔合わせから下の名前で呼び合うなんて、人見知りのすることか……」


 しかも仮にも一国の主の身内相手に。


 最後のひと言は胸に留め、半眼になりながら今度こそ部屋を後にすると、


「愁介さんは別なんですー」


 拗ねた子供のような言葉が背にかけられた。


 ――何が別、なのか。


 障子の影で思わず足を止める。


 そういえば、そもそも沖田が誰かのことを下の名で呼ぶこと自体かなり稀有だと改めて気付く。少なくとも、愁介が現れるまでは一度もそんな沖田を見たことがなかった。


 ……池田屋の折、愁介は沖田を助けたという。愁介は「何もしていない」と首を横に振っていたが、少なくとも沖田自身は「助けられた」と感じているのかもしれない。そこで二人にどんなやり取りがあったのかは、想像もつかないが――……


 気になったものの、わざわざ訊きに戻るのは不自然に思えて、斎藤は顔をしかめた。余念を振り払うように再び歩き出す。


 今は『見極めること』より、会津に降りかかろうとしている災難に手を回すべきだろう。


 足を速めると、廊下の床板がわずかに軋み、近くの木に止まっていた蝉がジジッと羽音を鳴らしながら逃げ去っていった。

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