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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◆ 一章三話 竹取の月 * 元治元年 六月
42/212

月に一番近い丘《過去》

「――お前(にしゃ)ら、(だん)じゃ? そこで何してる?」


 耳慣れぬたどたどしい声で呼びかけられ、()(かづら)は揃って弾かれたように後ろを振り返った。


 満月のまばゆい、夜の小高い丘の上。一と葛の住まう屋敷から程近い、鬱蒼とした林に囲まれている人気のない場所。


 ざわりと夏夜の湿気を含んだ風が吹きぬけて、青々とした香りが鼻腔をくすぐっていく。


 けれど一は、そんな夏の風さえ振り払うように素早く立ち上がると、振り返った先に佇む一人の子供を睨みつけた。


「そちらこそ何者です」


 葛をかばうよう間に立ち、腰にある脇差しに手をかける。


 途端、丘の中腹にいた子供――一らと年端も変わらぬ少年は、わずかばかり離れた場所にいるにもかかわらず、気圧されたように身を仰け反らせた。


「べっ、別に俺は……! 木の実拾ってただけで!」

「この林に足を踏み入れてはならぬと教わらなかったのですか!」


 言い訳じみたことを口にした少年は、一の言葉にビクリと肩を跳ねて周囲を見回した。


「い、いげねッ……!」


 一に恐れにも似た視線をちらちら向けながらも、少年はこれ幸いとばかりに踵を返し、城下の町の方角へ脱兎のごとく駆けていく。


 かと思えば、少年は城下へ通じる林に足を踏み入れかけたところで振り返った。


お前(にしゃ)らも怒ら(どやさ)れっぞ!」


 純粋な心配からか、それとも恐れを見せてしまったことへの負け惜しみか、口元に手を当てて大声を飛ばしてくる。


 一は答えず、腰の脇差しを抜刀した。明るい月が白刃を照らし、足元の草に青白い光を反射させる。


 少年はいよいよおっかないものを見たというように体を震わせ、ほうほうのていで林の中へ消えていった。


「……そこまで怖がらせることないのに」


 口を閉ざしていた葛が、ようやく呟きを漏らす。


 刀を納めながら目を向けると、静かに立ち上がった葛は、いさめる言葉とは裏腹に笑いをこらえるように口をすぼめていた。


「二度とここへ立ち戻らせないためです。ならぬことはならぬと、あの子供だって教わっているでしょうから」

「まあ、おれ達も『ならぬこと』を破って、お屋敷を出てきたわけだけど」


 茶化すように言って、葛は一の着物の袖を引いた。


 これには一も苦笑をこぼす。


「葛さまが月を見に行きたいとおっしゃったから、お連れしただけです」

「それは一が、おれに竹取物語なんて読み聞かせてくれるからぁー」


 要するにお互い様なのだと、わかっていながら一と葛は小さな罪を分かち合った。


 微笑み合い、お互いの額をこつんとぶつける。


「……さっきの男の子、同い年くらいだったね」

「そうですね……俺達のことなんて、本当に聞きも知らぬようでした」

「ふつうの子、なんだね」


 羨望にも似た声音を滲ませ、葛は顔を上げて月に目をやった。


 月光に照らされる横顔が、いつも以上にいやに大人びて見える。


 一は袖を掴んでいた葛の手を、そっと包み込むように握り返した。


「……お屋敷に戻りましょう。立ち入りの禁じられている場に子供がいたと聞けば、葛さまのことを知らぬ城下の大人達が様子を見にくるやもしれません」


 手を繋ぎ先導して、少し足早に丘を下りる。


 普段きびきびと歩く葛の足が妙にもたつくので振り返ると、葛は名残惜しそうに空に浮かぶ月を見やっていた。


「葛さま、転びますよ」

「……この辺りじゃ、あそこが一番、月に近い気がするのになぁ」

「かぐや姫みたいに、月に帰りたいとか言わないでくださいね?」


 一は思わず足を止めて、叱るように言った。

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