息苦しい
「んー、そう言えば、さっきも怒られましたっけね」
知らず俯けていた顔を上げると、沖田が打ち倒した男達に目を向けながら呟いた。
「怒られた?」
「視野の狭い愚か者、って。どうせ時局も読めないんだろうって」
その叱責を、沖田はどう受け止めたのだろうか。
斎藤は、問いを重ねる代わりに首を傾けた。
沖田は「そもそも読む気がないんですけどね」と、口の端をゆるく上げただけだった。
「興味がないものはないんですもん、仕方ないですよね」
「……仕方ないかは別として、それをすぐに口に出すから怒られるんじゃないのか」
溜息混じりに言うと、沖田は実に不思議そうに目を丸くした。
「どうでしょう。私が何を思おうが、誰にも迷惑はかけてないと思うんですけどね」
「まあ、沖田さんは……人当たりだけはいいから」
「だけって!」
沖田は紙風船を作るように頬をふくらませ、細い息を溜息代わりに吐き出した。
「もうっ、そういうことをおっしゃる! 斎藤さんって時々酷いですよね、普段落ち着いてらっしゃるのに、妙なところでざっくりきますよね! その内、土方さんみたいな性悪になるんじゃないですか。やめてくださいよ!」
息巻く沖田に、斎藤は閉口した。
――土方というのは、新選組の副長、土方歳三のことだ。口は悪いが頭の切れる、組の切り盛り役。斎藤らの上司にあたる、巷では『情け容赦がない』ともっぱら噂の男だ。
しかし組の立ち上げよりもずっと前、幼少の頃からの付き合いがあるという沖田からすれば、土方の『容赦のなさ』など知れたものらしい。
何をか言わんや黙していると、沖田は今更になってハッと口元に手を当てた。
「あ、今の土方さんには言わないでくださいね。確実に怒られますので」
「……まあ、言わないさ」
むしろ言えない、と心の中でつけ加える。
ところが何をどう捉えたのか、沖田は眉根を寄せて「本当です?」と身を乗り出した。
「言わないでくださいね? 絶対ですよ?」
「……ああ」
「雑用が回されたら、これが原因だってすぐわかりますからね? 約束してくださいね?」
頭突きをしそうな勢いで顔を近付けてくるので、斎藤は顔をしかめて身を反らしながら「わかったから」と左手を胸の前に上げた。
しばらくじっと瞳を覗いた後、沖田はようやく納得したのか満足げに頷く。もう一度だけ「約束ですからね」と念を押して、微笑みを浮かべた。
そして何を思ったか、今度は真っ直ぐに立てた小指を突きつけられた。
斎藤はひくりと、こめかみを引きつらせた。
「……何だ」
「え、知りません? 指切り」
子供か。
声に出す代わりに、斎藤は「奉行所に行かないか」と足元の男達を見た。
ところが、沖田は断られるのが意外だとでも言うように声を張る。
「えっ、約束したら普通、指切りしませんか!」
「その普通に俺は当てはまらない」
「そんなぁ」
情けない声に、斎藤はやれやれと髪をかき上げる。
「別に指切りなんてしなくたって約束は守る」
「斎藤さんに信用がないわけじゃなくて、これしないと何だかすっきりしないんですけど」
「知らん」
顔を背けると、すがりつくように袖を引っ張られた。
「また、そんなざっくりと! しましょうよ、減るものじゃなし!」
「しない。約束を破ったら俺を斬り捨ててくれればいいから。そのほうがありがたい」
「――えっ?」
素っ頓狂な声に、斎藤ははたと動きを止めた。無意識に返した言葉が、普通に考えればおかしなものだったと気付くのに、少しばかり時を要した。
「……あ」
視線を返すと、沖田は瞳を丸くして、間が抜けたように口を開けていた。
「は、まぁ、ええ……何も私、そこまでは。ありがたいって、そんな極端な」
「……悪い」
ばつの悪さに目を伏せて、片手で口元を覆う。
腕を下ろした沖田が、窺うように斎藤を上目で見る。
「もしかして、嫌いなんですか? 指切り」
肯定も否定もせず、斎藤は静かにまぶたを閉じた。
――好き嫌いの問題ではない。意味がない、と思っているだけだ。過去に交わした指切りを、四年前に破ってしまってからは。
「……わかりました。とりあえず、奉行所へは私が行きましょう」
何も言わずにいると、沖田は存外すぐに身を引いた。
まぶたを上げれば、沖田の表情はいつも通りの毒のない笑みに戻っていた。
「斎藤さん。この方、そうそう起きないとは思いますけど、逃げないように見張っててくださいます? ただでさえ一人逃がしちゃいましたので、これ以上怒られる要素が増えないようにしたいんですよね!」
沖田はそう言って、気を失って倒れている男を指差した。わかったと斎藤が頷けば、ぼんぼり髪を軽やかに揺らして踵を返す。
「じゃあ、お願いしますね!」
小走りに表通りへと駆けていく背を見送る。
少しして、一人になった斎藤は誰に言うでもなく静かに呟いた。
「……は。ありがたい、か……」
漏れた吐息は自嘲のようだったが、口元に笑みをかたどれるほどの気力は湧かなかった。
空を仰ぐと、落ちてきそうなほどに深く、突き放したように遠い夏空が屋根の合間に広がっている。蝉の声はまとわりつくようなのに、見上げるそれは虚しいくらい遠かった。
「……息苦しいな」
口の中だけでささめいた言葉は、やかましいばかりの蝉の声にかき消されて、自分の耳にさえもはっきりとは届かなかった。