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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◆ 一章二話 暮れの橋 * 元治元年 六月
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思惑

 ――臆病なお家柄なのかって、疑ってたけど。違うみたいで何よりだね。


 永倉の唇の動きを読んだ瞬間、斎藤は背筋がぞくりと逆毛立つのを感じた。


 ……そうか、なるほど。


 今になって、ようやく愁介の思惑に気が付く。


 落ち着かずにいた心が、一瞬にして凪いだ。


 邪魔、だなんてとんでもなかった。そ知らぬ顔をして新選組の手綱を引きに来たのだ、愁介は。もし、この件において彼の存在がなければ、どうなっていたか……。


 少なくとも永倉をはじめとする一部の人間が会津に不審を抱き、場合によっては見切りをつけていた可能性もあったのかもしれない。


 斎藤は永倉に薄い笑みを返しながらも、内心の冷や汗を抑えきれなかった。


 ――のし上がる機会さえあれば、新選組は必ず会津しがみつくものとタカをくくっていた。けれど違ったのだ。


 新選組は浪士の寄せ集め――やはり結局は、荒くれ者の集団なのである。ある程度の使い捨てになることは承知していても、すべての理不尽を甘んじて受け、弱いモノの下につき続けられるほどの忠誠があるわけではない。手柄を立てようと躍起になる傍ら、いつでも飼い主にさえ向けることのできる牙と爪を持つ獣でもあるわけで……。


 その点を、斎藤は測り損ねていたのだ。


 さすがに失態だったと感じた。少なからずいら立ちを覚えてしまった相手に、実は知らず救われていたわけである。


「――そんだけお国を好きになれるっていいねー。行ってみたいなぁ、会津」

「そう言ってもらえるの嬉しいなぁ。機会があったら、オレが藤堂さんを案内するよ」


 無邪気なやり取りに、斎藤は部屋の中央へ視線を戻した。


 藤堂がいつの間にか布団から起き上がっており、二人は向かい合って談笑を続けている。


「自分に厳しい国だから、頭の固い人も多いけどね。その分、優しい人も多いんだよ」

「そっかぁ。……ん、ってことは、松平はその中で変わり者ってこと? 一人で突っ込んでくる辺り、はみ出してるよね?」


 相も変わらず悪気のない様子の藤堂に、しかし今度ばかりは永倉が「平助」と苦笑交じりにたしなめる。


「さすがにそれは失礼だわ。もうちょっと言葉を選びなさいよ、お前」

「あれ? そう?」

「いや、間違ってないし、オレは別に気にしてないよ、永倉さん」


 当の愁介もあっけらかんと笑って手をはためかせた。


「実際、オレ自身は石頭さんとか苦手なんだよね。一本気で忠に篤い会津の気風は大好きだけど、古めかしくて柔軟さに欠けるところは割と腹が立つこともあるし」


 飾り気のなさすぎる言葉に、永倉はぎょっとあごを上げる。


「えっ、お殿様の息子がそれ言っちゃっていいの?」

「いーのいーの。永倉さん達が黙ってくれてれば問題ないって」


 愁介は唇に人差し指を添えて、楽しそうに肩をすくめた。


 永倉は笑いを噛み殺しながら「おーう」と納得したような呆れたような声を上げる。


 そして藤堂はおかしそうに腹を抱えながら、


「いーなー、オレ、松平のこと好きだなぁ! 何か会津の人ってそれこそお堅い人ばっかりな印象あったけど、松平みたいなのもいるなら見る目も変わりそう! 土方さんに跳び蹴り食らわせた根性も気に入ってたけどさ」

「ああ、まあ確かにね。同意しかないわ」


 藤堂と永倉の言葉に、けれど愁介はここで初めて表情を強張らせ、顔を青くした。


「あ、いや、あれは……飛び蹴りはさすがに反省してる……よ」


 もごもごと言って、塩をかけられたなめくじのように身を縮める。


「あれ、そうなの? 隊内じゃ結構もう武勇伝扱いされてるのに」


 藤堂は意外そうに笑った。


「土方さんに手ぇ上げる奴なんて、新選組にゃ滅多にいないからねぇ。ていうかさ、何であんなに怒ってたんだっけ?」


 永倉が首をかしげると、愁介は眉尻を下げながら「はぁ、それはですね」と実に申し訳なさげに頭を引っかいた。


「オレ、仲間を切り捨てるってやり方が基本、嫌いでさ。いくら人数が足りないとか、局長さんを護るためとか、総司一人で百人力とか、そういう都合があったとしても……一歩間違えたら、戦闘とは別の部分で怪我じゃ済まなくなってた可能性も、あったわけじゃない? それでつい、何考えてんだって思っちゃって」

「あー、なるほどね。ま、オレ達のこと知らなきゃ、そう思うよね」


 藤堂は納得したように頷いた。


 愁介は、さらに恐縮したように身をすくめる。


「後で総司からも『不調のことは周りに黙ってた』って聞いたんで、ただでさえ部外者からの余計なお世話だった上に、早とちりだったんだなって今は心底反省してる……から、この後、土方副長のところには改めて謝罪に行こうと思います」


 そこまで聞いた永倉が、ふと膝立ちになって愁介の傍らに歩みを寄せた。そのまま隣にすとんと腰を下ろすと、優しく目元をほころばせて愁介の肩に手を触れる。


「謝るのは、そうしたほうがいいと思うけどさ。嬉しいよ、ありがとうね」


 思いがけない言葉に、愁介が「え」と目を見開く。


「俺も基本ね、仲間を切り捨てるってのは嫌いなんさ。今回はお前の早とちりだったにせよ、そうやって俺らを……俺らの仲間を大事に思ってくれたのは、素直に嬉しいよ」

「永倉さん……」


 愁介は照れくさそうにはにかんで、思いを分かち合うように永倉の肩に手を乗せた。


「松平、また遊びに来てよ。そんでオレの頭の怪我が治ったら、一対一で手合わせしようぜー」


 藤堂もニヒヒと歯を見せて笑い、横から同じく愁介の腕を優しく叩く。


「うん、ありがとう。……それじゃ、今日はこれで失礼するね」

「おうさ。見舞い、ありがとね」


 頷き合い、それから愁介は振り返って斎藤に目を向けた。


「ごめん、斎藤。土方副長の部屋まで、また案内してもらってもいい?」


 こらえきれず目尻を下げている愁介の瞳を見返しながら、斎藤はただ一人平坦な声で「構いませんよ」と頷いた。

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