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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◆ 一章二話 暮れの橋 * 元治元年 六月
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疑惑

 ――ああ。この人はどうやら、相手の懐に入り込むのが上手いらしい。


 促されるまま永倉、藤堂、原田の三人部屋へと案内した斎藤は、さして時をかけることなく愁介をそのように評した。何しろ怪我の療養で在室していた永倉と藤堂が、愁介の姿を見るなり暑さでだれていた表情をぱっとほころばせて、


「お、松平じゃないのさ! 何、わざわざ来てくれたの?」

「いらっしゃーい! 遠慮せず入りなよ、こっちはだるい体勢のままで申し訳ないけど!」


 そうして諸手を挙げて、愁介を迎え入れてしまったからである。


 原田は巡察に出て不在だったが、二人がこうでは似た反応になったのではないだろうか。


 奥で片膝を立てて柱にもたれていた永倉も、頭に包帯を巻かれたまま布団の上に寝転がっていた藤堂も、気兼ねなく体勢をそのままに、愁介が部屋に入り目の前で腰を据えてさえ警戒する様子を欠片も窺わせはしなかった。


「へへ、お邪魔します。良かった、お二人ともお元気そうで」


 明るく返した愁介に、永倉と藤堂は嬉しそうに歯を見せて微笑み合う。


「まあ、実際に大した怪我でもなかったしねぇ」

「オレも。ハチもオレも、手や頭がぐるぐる巻きだから大層に見えるってだけだしさ?」


 愁介の斜め後ろ、部屋を入ってすぐの場所に腰を下ろした斎藤は、室内が和やかな空気に包まれるのを眺めながら思案した。


 ――同じ修羅場をくぐり抜けた者同士の気安さかと感心すべきか、それとも……。


「そういや松平、池田屋では総司を助けてくれたんだってね。後で聞いたよ、ありがとね」


 永倉が感慨深げに言って、無事なほうの左手をはためかせた。


「あー、あいつも暑気当たりで倒れたんだっけ」と、布団にうつ伏せのままの藤堂は、腕にあごを乗せながら思い返すように視線を上げる。


「ええ、まあ。でも、助けたってのは大げさかなぁ。びっくりして慌てただけで、オレはほとんど何もできませんでしたから」


 愁介が苦笑交じりに首をすくめると、永倉は「何の」と不敵に笑う。


「ご謙遜は結構。お前がいてくれなきゃ、総司は無傷じゃ済まなかったかもしれないしね。……ていうか思ったんだけどさ。敬語いらなくない?」

「え?」

「だって俺ら、戦友じゃないのさ。他はどう言うかわからないけど、少なくとも俺らには必要以上に堅苦しくなってもらわなくていいってこと」


 永倉が言うと、藤堂も笑って「あー、ていうかハチ」と訴えるように布団を軽く叩いた。


「むしろ本来なら、オレ達のほうが敬語使わなきゃなんないんじゃないっけ? 松平って会津様のご子息なんでしょ?」


 しかしその言葉に、永倉は明らかにわかっていたような顔で「そうだっけ?」なんて茶目っ気を含ませた視線を愁介に送った。


 愁介はこれに悪戯っぽく唇の端を引き上げて答える。


「落胤の身分なんて、あってないようなもんですよ」

「それは同感ー」


 藤堂は声を弾ませて、だらしなく寝返りを打ちながら自身の鼻先を指差した。


「あのねー、松平。オレも落胤なんだよ、津の藤堂家のね!」

「あ、そうなんだ? わあ、じゃあ一緒だ」


 一緒一緒、と二人は笑い、互いの手のひらを叩き合わせて小気味良い音を立てる。


「ってことだし、松平が許してくれるんなら気楽なお付き合いができたらいいなーって思うんだけど」

「むしろそれはオレも望むところかな、よろしくお願いします」


 愁介は永倉とも視線を合わせて微笑みを交わし、そんなやり取りを済ませてしまった。


 ここに会津の家老がいたら顔も真っ青だろうな――と斎藤は人知れず吐息をこぼすしかない。相変わらず愁介が何を目的として動いているのか見えずにいるのだが、少なくとも斎藤かんじゃの立場からすると、今後彼が邪魔にならないだろうかという点が気にかかる。


 ――そもそも現状として、会津と新選組の間に『友情』は求められていない。


 池田屋の一件で、家老達もようやく新選組の存在意義を認め始めたようだが……それでもまだ両者は雇う側と雇われる側、あらゆる意味で『都合のいい関係』でなければならないというのが上層部の見解だ。『駒』はしがらみがないほうが、やはり便利で使いやすい。


「それはそうと松平、あの日は大丈夫だったの?」


 何気ない藤堂の問いかけに、斎藤は思考を中断させて部屋に意識を戻した。


「ん? 大丈夫って?」

「池田屋の日さぁ、いつの間にか帰っちゃったじゃん」


 藤堂が「ね」と同意を求めると、永倉は「ああ、そういやいつの間にかいなかったね」と言葉を引き継いだ。


「加勢はまじにありがたかったけど、会津からしたらお前、余計なことしちゃったんじゃないの? あの件、結局は守護職様じゃなく新選組おれらの手柄になったわけだしね」


 歪みなく的の中央を突くのは、さすが永倉としか言いようがない。


 しかし愁介は苦笑して「ちょっと怒られたけど、平気だよ」と肩をすくめただけだった。


「あれは会津も悪かったと思ってるんだ、オレは。空回りしすぎっていうか……上の方々には勉強になったんじゃない? 慎重を期するばっかりじゃ遅れを取ることもあるんだよって。父上に話が通ってたら、もうちょっと会津も役に立てたと思うのにね」

「あー、あの日もそんなこと言ってたけど……何? 会津って内部でごたごたしてんの? 殿様に話が通らないって結構マズくない?」

「あ、ううん、違う違う。あの日ね、折悪く父上は高熱を出して倒れちゃってたんだよね。で、ご家老方や側近方は父上を護らなきゃって躍起になっててさ」


 ざくざくと深いところを刺していく永倉に、愁介は何一つうろたえず飄々と答えていく。


「なるほど、それで空回り」

「そう。それで空回り」


 楽しげに頷き合う二人を前に、斎藤は口元に真綿でも押し付けられているような息苦しさを感じた。


 そ知らぬ顔を繕いながらも、どこまで言う気だ。どういうつもりだとじりじり焦りが湧いてくる。


「ふーん、話が通ってればマシだったってことはさ、会津のお殿様って賢君なの? 会ったことないわけじゃないけど、近藤さんを除いて、オレ達は直接話したことないからさー」


 悪意のない藤堂の言葉に、愁介は嬉しそうに表情に花を咲かせて頷いた。


「賢君ですとも! 優しすぎるところもあるけど、自慢の殿だよ!」

「ははっ、そんな顔で言われると、否が応にも信じざるを得なくなっちゃうなぁ。そうか、そういうことね……」


 永倉が呟いて目を細めた時、ふと斎藤と視線がかち合った。永倉はにんまりと唇に弧を描き、愁介が藤堂相手に目を向けている隙を見計らって、ぱくりと口を動かして見せる。


 ――臆病なお家柄なのかって、疑ってたけど。違うみたいで何よりだね。


 読唇した瞬間、斎藤は背筋がぞくりと逆毛立つのを感じた。

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