対峙
土方の背も二階の闇に消え、近藤の指示で再び隊士達がそれぞれ動き始めた時。階段の前で立ち尽くしていた斎藤は、誰かに軽く背を叩かれた。
「あの松平って奴、悪い奴じゃないよ、ホント。いてくれて助かったんだ」
振り返ると、にんまりと目を細めた永倉が立っていた。近藤や愁介同様、汚れてはいるが元気そうだ。
「しかもかなり使えるね。クセがあるけど、うちにはあんまりいなかった手合いかも」
言って、永倉は満足げに腰に手を当てた。
かと思いきや、ぴくりとこめかみを引きつらせ、「っ痛」と呻いた。その右手には、血濡れのたすきが包帯代わりにぐるぐる巻きにされている。
「怪我を……?」
「ああ、ちょっと油断した。いかんねー、俺としたことが」
右手を顔の前に上げた永倉は、親指の付け根をなぞるように左の人差し指を動かした。ばつが悪そうに「ざっくりとね」と肩をすくめる。
「でも平気さね。ちょっぴし痛いだけで指は動くし、今後にも支障は出ないでしょうよ。たぶん、縫うのは縫うけど」
「そうですか……何よりです。他の人は?」
「ん」
問うた途端、永倉は寂しげに目を伏せて、土間の脇へと視線を送った。
「……奥沢が死んだ。安藤と新田もかなりの重症だ」
戸板が四つ並べられており、一番隅に乗せられた者の上には布がかけられていた。恐らく、あれが奥沢だろう。隣に並んで寝ている安藤と新田も、こちらに足を向けていて表情は見えないが、胸の上下が激しく、離れていてもぜいぜいと荒れた呼吸が聞こえてきそうだ。三名とも、立場は平隊士でありながら決して弱くはなかったのだが……。
順に視線を送って、もう一人、並んで横になっている人物の存在に気が付いた。やはり顔は見えないが、その隊士だけは呼吸も静かで、ただ眠っているだけのようにも見える。
「ああ、あれは平助」
問う前に、永倉があっけらかんと答えた。
「あいつの怪我は、俺と一緒で大したことないよ。出血は多いけど、ホントそれだけ。ここにね、勲章が増えたのよ」
ここ、と額を指差して、永倉は悪戯っぽく歯を見せて笑った。
すると会話が聞こえたようで、藤堂が横になったまま右手を挙げて軽く振った。そして拳を握り、地面と垂直に二度ほど上下させる。
「元気元気!」という、藤堂らしい明るい声が聞こえるようだった。
「斎藤くん」
そこで近藤に声をかけられた。
振り向くと、数名が斎藤の視線とすれ違うように脇を通り、二階へ駆け上がっていく。
「二階を頼めるか。今行った者達に灯りを持たせたから、後の指示は土方に任せてくれればいい。裏にいる隊士には、私から指示を出そう」
歩み寄ってきた近藤に、促すように肩を叩かれた。
「承知しました」
一礼すると、永倉が「俺も行こうか?」と自身を指差す。
近藤は慌てた様子で首を横に振った。
「おいおい、馬鹿を言うな。お前は先に出て治療を受けてくれ。安藤達も、今から外へ運ぶから」
心配している様子が見て取れ、永倉はそのことに申し訳なさそうに、そして少し照れくさそうにはにかんで見せる。
「へぇい、すんません」と首をすくめて、素直に従って去っていった。
斎藤も「では」と踵を返す。下駄を履いたままなので、階段を上る音がゴツ、ゴツと硬く響いた。
二階に着くと、廊下の奥、突き当たりの部屋の前で座り込んでいる沖田がいた。その傍らにしゃがみ込んで、何やら話している土方もいる。
愁介の姿は見えなかったが、階段の横手と後ろからは、倒れた浪士達を検分し、あるいは縛り捕らえているのであろう隊士達の声が聞こえた。
斎藤が真っ直ぐ向かうと、たどり着く前に、土方が肩に沖田の腕を担ぐようにして立ち上がった。支えられて立った沖田は、いつになくおぼつかない足取りでふらりと一歩を踏み出す。
「……沖田さん?」
声をかけると、土方が「おう」と視線を寄越し、沖田も続いてのろりと顔を上げた。
沖田の顔には血の気がなかった。薄暗がりの中で浮き上がって見えるほど蒼白だ。
斎藤は思わず足を止めた。貫いていた無表情を、わずかにしかめてしまう。
「……どこか、怪我を?」
「ぶっ倒れたらしい」
土方が不機嫌そうにぼそりと答えた。
「暑気当たりの貧血です、すみません……」
意識はしっかりしているようで、沖田自身がそう付け加えた。しかしハハハと眉を下げて笑うが、力はない。
「下に連れてってくる。お前は他の奴らと一緒に、生きてる奴をふん縛って、ひとつの部屋にまとめておいてくれ。死人は後で確認する」
「わかりました。……松平殿は?」
斎藤は声をひそめ、あらゆる意味を込めて問うた。
土方は歩き出しかけた足を止めて、斎藤を見返した。一瞬だけ困惑したように瞳を揺らめかせ、何かを逡巡するような間が空く。
「……奥にいる。倒した敵を捕らえているはずだ、手伝ってやれ」
静かに指示すると、土方は「行くぞ」と沖田に声をかけ、斎藤の隣をすり抜けていった。
離れていく二人の足音をしばらく聞いた後、斎藤も改めて奥に向けて歩き出す。
釈然としないモヤが胸中に湧く。「手伝ってやれ」とは、とんだ命令だ。つまりそれは、斬るなと――差し置けと言う意味だ。
何故なのか。
沖田がかばい、近藤が感謝を示し、永倉が認めていた。しかし、何が明らかになったわけでもない。土方が呼ばれた「愁介からの話」とやらも気になるが、複雑な土方の表情から察するに、それとて何が納得できたわけでも、ないのではなかろうか。
何者か。何が目的なのか。
混乱に乗じてうやむやにされる前に、つまびらかにすべきではないのか――。
襖が開け放たれたままの敷居をまたぎ、斎藤は最奥の部屋に足を踏み入れた。入ってすぐの視界に相手は見当たらず、左右に首を振る。
と、右手奥、よその料亭と隣接した壁にある格子窓の前に、愁介の姿を見つけた。そればかりか、愁介は戦闘で破れたのであろう格子の穴から、外に出て行こうとしているではないか。
「――どちらへ?」
剣呑な声をかけると、弾かれたように振り返った愁介が「げ」と顔をしかめた。
その一瞬で間を詰め、斎藤は抜き放った白刃の切っ先を愁介の鼻先に突きつけた。
「……土方さんに、あなたは『倒した敵を捕らえている』と伺いましたが」
「ああ、うん。……いや、会津兵がもうすぐ来るかもなぁと思って……」
愁介は、刃から逃れるように首を後ろに反らす。
が、斎藤はずいと腕を出し、隙を許さなかった。
「……はい、あの……ちょっと待った。これ、本気でやってる? 冗談じゃなく?」
冷や汗を滲ませながら、愁介は窓枠にかけていた足をゆっくり下ろした。刃に意識を向けつつも、静かに斎藤へ向き直る。
「冗談に見えますか」
「見えないね、困ったことに」
鋭く目を細めた斎藤の視線を真っ向から受け止めて、愁介は眉尻を下げた。言葉を探しているのか、所在なく視線を上げ下げする。が、口を開閉させるばかりで何も出ない。
「……加勢には礼を言います。しかし、それとこれとは別です。あなたは何者ですか? 答えてください」
無言の間がじれったくて、斎藤は先に問うた。威圧するように、さらに近く刀を突きつけて。
ところが、途端に愁介は「へっ?」と素っ頓狂な声を上げた。
「えっ……疑問、そこ? 怒ってるんじゃないの?」
随分ずれた返答に、何の話かと斎藤は目をすがめる。
「怒る……? ええ、そうですね、憤慨していますよ。よもや容保様のご落胤を名乗るなど……あの方に落胤などおられません。無礼にも程が」
「おぉ!? 待った! もしかしてお前……。……えっ、そういうもんなの?」
斎藤を遮り、愁介は唖然と言葉を詰まらせた。そして何故か、まるで傷付いたかのように唇を震わせる。
訳のわからない言動に、斎藤は顔をしかめた。その瞬間、
目の前から、唐突に愁介が消えた。




