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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◆ 一章一話 池田屋の桜 * 元治元年 六月
26/212

東岸の御用改め

 捜索を開始してから、早くも半刻近くが経とうとしていた。


「土方副長、料亭藤吉、問題ありませんでした」

「宿場高柳も、怪しい者は見当たりません」


 分散していた隊士達が、わずかな安堵と、それ以上の焦りや不安をない交ぜにした表情で、道端に待機していた土方や斎藤らの元へ戻ってくる。


 人の波もまばらな夜半、何十軒と連なる店々で御用改めを行なったが、今のところ斎藤達はすべて無駄足を踏んでいた。


「……見つかんねぇな……まじにこっちが外れだったらどうするよ」


 土方の後ろで槍を肩に担いでいる原田が、落胆気味に眉を下げて呟いた。


 隣にいた斎藤は、視線だけを原田に向けて「どうでしょう」と首を傾ける。


「戻ってきていない二隊が、また外れだったとしても……まだあと三軒ほど、この先に店が残っていますよ」

「どこだっけ?」

「四国屋、東賀屋、先丸亭」


 答えると、原田はわかっているのかいないのか、「ほぅん」と嘆息交じりの相槌を打った。


「どうするよ、土方さん。何人か先駆けて、近藤さんのほうに加勢出すか?」


 所在なげに視線を流した原田は、夜道を睨み据えている土方を窺う。


「……馬鹿か」


 そんな原田に目をくれることもなく、土方は腹の底に響くような低い声を返した。


「四国屋はこの通りの中でも大きな店の一つだ。そこを調べる前に隊を分けて、こっちが当たりだったら笑い話にもなりやしねぇ。近藤さんらが当たりを引いたなら、伝令だってくるはずだ」


 土方の言葉に、原田は再び「ほぅん」と気の抜けた溜息を漏らした。ちらと斎藤に目配せし、立てた人差し指をこめかみの辺りで上下させる。ご丁寧に歯茎をむき出しにして白目を剥き、鬼の面の顔真似までして見せた。


 闇夜に連なる軒先の提灯の光を受け、陰影を際立たせた原田の顔は、手練の技師が丹精こめて彫り起こした鬼の面よりも不気味だった。


 何もしなければ目元の涼やかな美男であるというのに、ためらいのない顔芸は、天晴れと言うべきか残念と言うべきか迷うところだ。しかしそのお陰なのか、気を張っていた隊士達の緊張が多少なりとも解れたらしく、何人かは笑いをこらえて肩を震わせている。


 斎藤はわずかに口の端を上げて、頷く代わりに目を伏せた。


 ――まあ、原田の顔芸はともかくとして。


 そろそろ斎藤自身、当たりが出ないことにやきもきし始めている。言われるまでもなく、斎藤よりも気の短い土方が焦り、気を立たせていることは、空気で感じていた。


「……原田ァ」


 不意に土方が、視線を前方に向けたまま地を這うような声を上げた。


 調子に乗ってさらなる芸を繰り広げようとしていた原田が、大仰なほどびくりと肩を跳ね上げる。


「はッ、へい?」


 土方はそれに冷ややかな視線を投げると、抑揚のない声で淡々と告げた。


「お前、数人と待機して、ここで残りの二隊の報告を待ってろ。俺は斎藤らを連れて先に四国屋へ向かう」


 他の隊士であれば気圧されるであろう有無を言わさぬ命令に、しかし原田は口元を歪めて「はァ!?」と遠慮なく抗議した。


「ちょいちょい、待てって。そんなら俺も行く! 報告待ちなんざ他でもいいだろうが!」

「まだ戻っていない二隊が、敵を見つける可能性だって残ってる。そうなった時に俺も斎藤もお前もいないんじゃ、大惨事だろうが。お前に託したっつってんだよ」


 ケンカ越しのように答えた土方に、原田はぱちくりと目を瞬かせた。


「お……おう、何だ、そうか!」


 一拍も置かぬ内に、原田は満足げに口角を上げて大きく頷く。


「よし託された! 行ってきてくれ!」


 胸を叩く原田に、土方は「おう」とぞんざいに手を上げた。それから斎藤に向かって「行くぞ」とあごをしゃくる。


 斎藤はやれやれと息をつく暇もなく、自分達の後方に待機していた隊士に向き直った。手のひらを上に返し、招いて端的に命じる。


「後ろの三分の二、来てくれ。残りは原田さんと待機」


 隊士達が適当に分かれたのを目視し、それら数名を引きつれて、斎藤は土方と並んで走り出した。驚いたように飛びのく通行人に目礼し、「原田さん、頼みます」と言葉を置いて行く。


「おう、そっちもなー」


 背中に明るい声援を返された。


 土方がフンと鼻を鳴らしたのを聞いて、斎藤は足を動かしながら隣を窺った。


「……詭弁、ですよね」


 原田を残したことについてである。


 報告待ちの二隊が御用改めに出ているのは、会津贔屓の料亭や宿場であった。敵が潜んでいる可能性など、ほぼ無に近いのである。


 土方は片眉を跳ね上げると、しれっとした表情で斎藤を見返した。


「どの道、幹部一人は残さにゃまずかろう。その上で屋内戦の供に槍の達人(あいつ)剣の達人(おまえ)か選べって言われたら、お前だろ。原田は扱いやすくて助かるよ」


 土方に悪びれた様子は欠片もない。


「とにかく、もしも本当にこっちが外れなら、さっさと近藤組(あちら)と合流したい。これ以上、無駄な時を過ごすのはごめんだ」

「……それには同感ですね」


 斎藤は頷いた。原田には申し訳ないが、状況で言えば土方の判断は間違ってはいないのだ。敵がいるならいるで、さっさと鉢合わせを願いたい。


 ――次こそ当たればいいが……。


 改めて前を見据えると、隣から小さく舌打ちする音が聞こえた。


「……土方さん。焦りすぎも、良くないかと」


 余計かもしれなかったが、采配を持つ人間に冷静さを失われては困ると、斎藤は静かに口を添えた。


 が、


「焦ってねぇよ。いら立ってんだ、腹が立つ。うざってぇ」


 妙にとっ散らかった答えが返ってきた。


 御用改めについての感情にしては、何やら酷く『土方らしい』物言いに聞こえて、斎藤は思わず「はい?」と首をかしげた。


 少なくとも、『任務』の最中に必要以上の暴言を吐くのは『副長らしく』はなかった。


「……何か、別の話をしてらっしゃいますか?」

「――俺は、斬ってくれて構わなかった」


 投げた会話を斜めから返されて、斎藤は眉をひそめた。


 が、すぐにひとつ思い当たって、「ああ」と低い声を絞り出す。


「……松平愁介」


 呟けば、「おう」とぞんざいに首肯される。


「……私には、沖田さんが彼をかばう理由がわかりませんでした。明らかに怪しい――」

「それもあるが、あの顔に腹が立つ」


 すっぱり切り捨てるように言って、土方が再び舌打ちした。


 斎藤は言葉を区切った形のまま、しばらく口を固まらせて、


「……は? 顔?」


 また、疑問を返してしまった。


「どういう意味です?」

「どうもクソもねぇ。あの顔は腹が立つ。あと気味が悪わりぃ。似すぎだ、うざってぇ」

「似ているって」


 誰に。


 訊ねかけたところで目的の建物の前に着き、斎藤は慌てて足を止めた。一歩前に立ち止まった土方と改めて並び立ち、道脇に掲げられた提灯とのれんを見やる。


 鴨川四条で一、二を争う大きな旅籠、四国屋。以前から長州贔屓の気があり、土方隊が御用改めに出る際も、ここへ真っ先に向かうか、それとも手前からしらみつぶしに行くかで少々物議をかもした場所である。――いわば、敵の潜んでいる可能性が比較的高い場所、ということだ。


「……どうだ」


 土方が独り言のように呟いた。それは、斎藤に向けられたものではなかった。


「客は誰も出ておりません」


 返答は、斎藤らの足元から返ってきた。


 目を向けると、擦り切れた着物(ボロ)と汚れた頭巾をかぶった一人の物乞いが、四国屋の脇で丸くなって膝を抱えていた。顔は見えない。


「そうか。ご苦労、島田」


 それは、新選組の諸士(しょし)取調役(とりしらべやく)、及び監察方を務める、島田(かい)だった。今は丸くなって小ぢんまりと見せているが、その実は斎藤より頭一つ分ほども大きい、新選組一の巨漢である。それだけの巨体でありながらも、存在を薄く見せることと物事への観察眼に非常に長けており、今回は先駆けて物乞いに扮し周辺を見張っていたのだ。


 斎藤は雑念を払うように、ゆっくりと瞬きをした。


 隣では、土方が気を引き締めるように長い呼気を吐き出している。


 ……行くぞ、と。


 土方は斎藤に目配せし、同じく視線だけで他の隊士達に待機を命じると、土を踏みしめて一歩前に出た。ゆったりと右手を持ち上げる。


 振り下ろされたその拳が、閉ざされた戸口を叩く、


「――副長、伝令がッ!!」


 寸でのところで、隊列の後方から風を切るような鋭い声が飛んだ。


 土方の拳がピタリと止まる。


「伝令……?」


 皆が一斉に、隊列の後方の夜闇へ視線を投げた。


「副ちょ……ッ、三条小橋、池田屋――ッ!!」


 少し離れた場所から投げかけられた、息を切らせ、ぜいぜいと掠れていた必死の伝令は、湿った夏の風に乗って斎藤の全身を包み、撫でていった。

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