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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◆ 一章一話 池田屋の桜 * 元治元年 六月
25/213

敵か味方か

「ちょッ、と、斎藤さん、待った!」


 振り下ろした瞬間、ガキィッ! と金属の擦れ合う音が一帯に響いた。火花が散る。斎藤の一閃が、寸でのところで間に割って入った沖田の刀に受け止められたのだ。


「斎藤さん、仮にもご落胤を名乗ってらっしゃる方に、それはマズくないですか……ッ?」


 鍔迫り合いをしながら、沖田が眉尻を下げて苦笑した。


 しかし斎藤は表情を動かさず「ないな」と一蹴する。目を向けると、愁介は斎藤の一撃を受け止めるつもりだったのか、肩で息をしながらも刀身をほとんど鞘から抜き、自身の顔の前に掲げていた。間に立った沖田を傷つけぬよう、寸でのところで止められていたが。


 それに眉をひそめ、斎藤は沖田に視線を戻した。


「会津侯にご落胤がおられるなんて、聞いたことがない」

「聞いたことがないから、『落としだね』なんじゃないです?」


 沖田は小首をかしげたが、斎藤は頑としてそれを否定した。


「会津侯は生来、お体が強くはない。落胤であろうが、今の時点で嫡子がおられるなら、とっくに跡継ぎに迎えておられるだろう」

「そういうお家事情は、私はよくわからないんですけど……」

「なら、アンタにもわかりやすく言う。第一の問題として、会津侯にこんなデカい子供がいてたまるか。知ってるか、会津侯は土方さんと同じ年の生まれだぞ」


 斎藤の言葉に、沖田は「うへ」と小さく呻いた。


 斎藤や沖田と、土方との年の差は九つだ。仮に愁介が斎藤らより二つ三つ年下だったとしても、会津侯の子というのは少々無理があるのだ。


 斎藤は沖田越しに、じろりと愁介を睨み据えた。


 腹立たしさに、奥歯を噛み締める。はらわたが煮えくり返る思いだった。


 沖田に説明した『疑惑』など、正直取るに足らなかった。容保は葛に似て誠実で、亡くなられた先の奥方を大切にしていた。だというのに、「よそで子を作っていた」とも取れる愁介の言により、容保を貶められたような気がして――引いては、葛を貶められたような気がして、斎藤には何より、それが許せなかった。


「……沖田さん、どいてくれ。斬る」


 斎藤は一度身を引き、横手に刀を振り下ろして腕を慣らした。


 しかし沖田は構えこそ解いたものの、愁介の前からは立ち退かなかった。思い悩むように口をへの字に曲げて、「うーん」と唸る。


「でも、悪い方には見えないような……落胤かどうかはともかく、話のつじつまは合ってらっしゃいますし。それに敵なら今この時に私、背中からぶっすり刺されてません?」

「会津の情報が漏れて、印籠や腕章を模倣した上で何か企みを起こしにきたと思うほうが、俺は納得する」


 軽くあごを上げて、斎藤はまたも一蹴した。


 それでも沖田は引かず、さらに深く首をひねる。


「いやー、一理はありますけど……。というより斎藤さん、近藤先生や土方さんの指示すら仰がず先走るって、珍しくありません?」


 窺うような上目を向けられて、そこでようやく、斎藤は言葉を詰まらせた。


 夢から醒めたように我に返る。


 ――確かに、あくまで『新選組の一隊士』である自分が取るべき行動ではなかった。


「それは……性質(たち)が悪いと……思ったんだ。何かある前に、先手を打たなければと」


 苦しい言い訳だろうか。あまりのばつ悪さに顔をしかめながら、斎藤は低く答えた。


 しかし沖田は訝る様子もなく、意外にも嬉しそうに破顔した。


「斎藤さんて、いい意味で私よりよっぽど先生達の『番犬』ですね」


 沖田は茶目っ気を含ませながら片方の肩をすくめると、手にしていた刀を鞘に納めた。


「そういうわけで、近藤先生、土方さん、どうします?」


 沖田は軽く背伸びして、斎藤の肩越しに指示を仰いだ。


 仕方なく斎藤も、警戒の意識を愁介に残したまま背後を振り返る。


 近藤と土方は顔を見合わせていたが、互いに目を瞬かせるばかりで、決めあぐねているようだった。


「えーっと……ひとつ提案なんだけど……」


 見かねたように、渦中の当人――愁介が、沖田の背中からおずおずと顔を覗かせた。斎藤が睨むとわずかに首をすっ込めるが、言葉は止めなかった。


「今は時がもったいないので、オレのことは、後で確認取ってもらうってことで、ひとまず良しとしてもらえませんか。誓って敵じゃないですから。殿に直接訊ねていただいてもいいですし、あなた方が普段よく話してらっしゃる公用方の広沢さんとかに聞いてもらえれば、それでわかると思います」

「……不躾ながら、松平殿は、それでも困ることはない、と?」


 近藤が念を押して、確認するように問うた。


 愁介は「勿論です」と頷いて、抜きかけていた刀を、細い息を吐きながら鞘に納めた。


「あと、何ならこちらの……沖田さん? か、斎藤さん……を、見張りに付けていただければと……。オレ、この人達には確実に敵わないと思いますし。あ、いっそ必要な時まで縛ってくれててもいいです。こっちはあなた達を手伝いついでに、今回の一件の成り行きをこの目で見ておきたいだけですから」


 指名されて、今度は斎藤と沖田が顔を見合わせた。


 平隊士ではなく自分達を見張りにつけろ、と言ったその意味を、吟味する。


 ――冷静に考えればこの愁介、確かに先刻の斎藤の奇襲への反応は悪くなかった。一撃に反応して刀を抜いただけでも上々だが、とっさに割って入った沖田を傷付けないよう、刀を寸でのところで止められる冷静さと技量を見せつけられたのは大きい。


 少なくとも、弱くはない――。


「……じゃあ、近藤組(わたしたち)のほうが人数も少ないですし、松平さんにはこちらを手伝っていただきましょう。私が見張りますから」


 思案の後、沖田は愁介の言を受け入れるべきだと軽く頷いた。


「……逆じゃないか。人数が多いこちらで見張るほうが、手がかからない」


 斎藤が口を挟むと、しかし沖田はそれでも「いやあ」と苦笑交じりに首を横に振る。


「今大切なのって、この方が落胤かどうかじゃなくて、敵か味方か、でしょう? もし敵なら、ここまで堂々と『お殿様の子供だ!』なんて狂言を吐くほうがおかしいですし、私からは遠目でしたけど、お持ちだった印籠も真新しい感じじゃなくて、こう……年季が入ってそうでしたし」


 言われてみれば、それはそうだった。己で可能性を示唆しておきながら何だが、改めて思い返せば、少なくともあの印籠が一朝一夕で用意された誤魔化しの品でないことは確かだった。あんなもの、盗むのだって、とてもではないが容易にできるはずがない。


 苦みを含みつつも唇を引き結んだ斎藤に、沖田は「ね」と確認するようにあごを引く。


「そんなの、敵方がそうそう手に入れられるわけがないでしょう? だから、私は大丈夫じゃないかなって思うんですよ。だったら、人数が少ないこちらを手伝っていただいたほうが効率いいかなあって。近藤先生、どうですか?」

「そうだな、確かに……それなら構わんな、土方くん」


 こくり、こくりと自身に納得させるように頷いた近藤に、土方は「……アンタがそう言うなら」と視線を下げた。どこか不服そうではあったが、手にしていた刀を腰に戻す。


「松平殿……うちの隊士が、ご無礼を致しました。どうか平にご容赦ください」


 近藤がこちらに歩み寄り、礼を持って愁介に深々と頭を下げた。愁介の言葉の真偽を確かめるまでは、最低限、会津侯の身内として扱うことにしたのだろう。


 斎藤も近藤に従い、納刀して頭を下げる。


 容保の落胤などいるわけがないとわかり切っているだけに、得心はいかなかった。が、印籠の効力は大きく、反論の余地も見つけられず、やむを得なかった。後はもう、近藤を第一に想う沖田の嗅覚と腕に、ひとまず頼るしかない。


「……ご無礼を、お許しください」

「いや、オレも、もうちょっと最初から言葉を選んでれば良かったですね。怪しませたのはこちらに非があるんで、お互い様ということで」


 愁介は上がり眉を和ませて、顔の前で両手を振った。人懐こい笑みを浮かべ、改めてよろしくお願いします、と頭を下げる。


「――さあ、遅くなってしまった。行こう」


 会話を一区切りさせた近藤に、全員が応と答えた。


 斎藤も土方の元へ戻るべく、踵を返す。


「あ、待って」


 しかし愁介に呼び止められ、苦々しく眉根を寄せて振り返る。


「何か?」

「えーっと、斎藤さん……って、下の名前、何ていうの?」


 おずおずと問われ、斎藤は「は?」と口を開けた。


「今、答える必要のあることですか?」


 返した声は、低くつっけんどんになってしまった。


「はじめ、ですよ。一さんです」


 取りなすように、横から沖田が口を挟んだ。


 斎藤は呆れを隠すことなく鼻を鳴らした。二人を置いて、改めて踵を返す。


「……そうか。はじめ、か……」


 背中に、独り言つような反芻が聞こえた。


 嫌に、胸の内がざわつくのを感じる。


 ――気安く呼ぶな。俺をそう呼んでいいのは、一人だけだ。


 胸糞悪い、という表現がしっくりくる心悪さを噛み締めながら、斎藤は足を早めて土方の元へ駆け戻った。

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