思わぬ呼びかけ
容保と謁見していた奥部屋を出て、斎藤はしばしの間、部屋から少しだけ離れた濡れ縁から、見なれた枯山水の庭の傍らで呆然と立ち尽くしていた。
御所近くに仮本陣を置いていた凝華洞から、容保が再び本来の本陣である金戒光明寺へ戻ってきたのが、少しばかり前のこと。足を止めてまで寺の庭を眺めるのは滅多になく、それこそ凝華洞へ報告を上げに行っていた期間も含めれば随分と久しい気もする。が、今とて眺めているというより視界に入れているだけなので、相も変わらず丁寧に整えられた白砂に対し、これといった感慨は湧いてこなかった。
……頭に浮かんでは消え、それを繰り返すのは、どうしたって愁介のことばかりだ。
こうなるとは思わなかったからこそ、身勝手なことを身勝手に告げて、突き放したというのに、とんだ笑い種だ。容保が愁介のことを斯様に割り切っているとは考えなかったためなのだが、斎藤はどうやらとんだ読み違いをしていたらしい。
というより、結局は斎藤こそ、やはり愁介に対し分不相応な肩入れしすぎて、正しく割り切れていなかったのだろう。
――『そなたの情は、愁介も会津武士であるという事実をないがしろにして良い理由にはならぬ』
実に耳に痛い言葉だった。まったくもってその通りだった。
しかし、それでも斎藤は、どうしたって彼女に対しては願ってしまい、想ってしまうのだ。護りたい、危険に晒したくない、ただ笑っていて欲しい、と。
歩き方を思い出して少しずつでも前進できていたかと考えていたのも、どうやら己を過大評価しすぎていたらしい。
本当に何も変わらない。しつこい、女々しいと、己自身でも思うほどに。
溜息を吐くと、自然と深くなった。
それが鬱陶しくてもう一度深く吐き、敢えて深呼吸をするように思い切り吸い込む。枯山水を囲む新緑の青臭さがかすかに鼻腔を就き、しかしそれを特に心地良いとも思えないまま、再び息を吐いて肩から力を抜いた。
そこへ不意に、とても静かな、小さな足音が耳に触れる。
容保の私室に続くこの場所は滅多に人が通ることなく、むしろ斎藤が来る際には必ず人払いがされている。通るとすれば梶原など容保の側近や、それこそ愁介くらいしかいないはずなのだが、その耳に触れた足音の軽さには覚えがなかった。
斎藤は訝って眉根を寄せながら、近づいてくる足音のほうへ身体を向けた。
するとしばらくして、視線の先にある濡れ縁の角に、人影が現れる。
相手は、女、だった。
金戒光明寺の、会津本陣の奥の間に、女。
これほど似合わぬ景色もなく、思わず眉間のしわを深くする。
しかし、無意識の警戒感から右手に持っていた刀の柄へ左手を伸ばしかけたところで、相手の女もようよう佇んでいた斎藤に視線を向けて、
「……あら」
黒目がちな、しかし凛として気の強そうな光を宿した丸い目を見開き、妙に耳馴染みの良い高すぎず低くもない、落ち着いた声ではっきりと言った。
「もしかして……山口様?」




