戯れ
「定敬。言葉遣いに気を付けよ」
容保が苦みを帯びた顔でたしなめると、定敬ははたとした様子で姿勢を正す。
「申し訳ありません、兄上……」
「まったくな。越中、普通なら首が飛ぶぞ」
「……適度に気をつけます」
容保には従順な姿勢を見せた定敬だが、慶喜の言葉には結局苦々しいしかめ面で答えたものだから、これでは誰が主やらと容保は改めて深い溜息をこぼしていた。
「ところで山口。新選組の一浪士がここにいるということは、やはりそなたも未だ山口ということだな?」
名を改めたと知ったところで呼び変えるつもりもないのか、慶喜が改めて斎藤に目を向ける。
「……左様で」
山口か、と問われて素直に応とは答えづらく、それでも否定はせずあごを引けば、そんな斎藤に慶喜はくつくつと肩を揺らして笑った。
「会いも変わらず反抗期か。廣明も苦労する」
久々に聞いた名だ。廣明とは、斎藤の八つ上の実兄である。今は一橋に仕えているとは聞いていたので、名が出たことに特段の驚きはなかった。
「……変わらず、兄をお引き立ていただいておりますようで、御礼申し上げます」
「心にもなさそうな礼、大儀である。実際、廣明は大いに役立っているがな」
逐一言及する割には一切気を害したふうもなく、慶喜は笑った。
「そなた、たまには当家にも顔を出すがいい。廣明も喜びそうだ」
「一橋様……一介の新選組隊士がそのようなこと」
容保が胃の辺りを軽く抑えながらも、助け舟を出してくれる。斎藤の立場を改めて言及することで、言外に隠密行動の邪魔をするなと訴えてくれているわけだ。
まったく、わかっているのか敢えてなのか。恐らく後者であろうが、やはり慶喜は細かなことなど気に留めない様子で、不遜にあごを上げた。
「そなたも励むがいい」
「……お言葉、痛み入ります」
「何か余に申すことはあるか?」
今なら聞いてやろうと、慶喜が軽く上体を乗り出す。ここで斎藤が何を言うのか興味津々といった様子ではあるが、斎藤自身はこれ幸いと「では」と深い一例を返す。
「僭越ながら、容保様と折り入って二人で、お話しをさせていただきとうございます」
抑揚なく告げた直後、一瞬、室内にしんと沈黙が落ちた。
――かと思えば直後、「はっは!」と慶喜の明るい笑声が改めて大きく響く。
「言いおる! 余を追い出そうと申すか」
要するに「さっさと帰れ」と伝えた本音が正しく伝わった様子だ。
「一橋様がおられましては、話が進みませぬ」
「山口はどいつもこいつも! まったく、その物怖じせぬ押しの強さ、そなたの主にも分けてやれ」
言って慶喜は容保をからかうように一瞥すると、それ以上ごねるようなこともなく、あっさりその場に立ち上がる。
「越中、参るぞ」
言うが早いか、慶喜は足を踏み出し、通り抜け様に斎藤の肩を二度ほど叩いて退室していった。
定敬は答えることなく、ただ理不尽だと言わんばかりに顔をしかめながら、そんな慶喜の後を追いかけていく。
「……それでは兄上。また」
部屋を出る時、そう親しみを込めた声だけを容保にかけて立ち去る。
普段通りの静けさを取り戻した奥の間にわずかな沈黙が落ちた後、改めて容保が苦笑を交えて「手間を取らせた」と密やかに斎藤を労った。




