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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◇ 二章十話 再会の情 * 慶応元年 閏五月
209/212

戯れ

定敬(さだあき)。言葉遣いに気を付けよ」


 容保(かたもり)が苦みを帯びた顔でたしなめると、定敬ははたとした様子で姿勢を正す。


「申し訳ありません、兄上……」

「まったくな。越中、普通なら首が飛ぶぞ」

「……適度に気をつけます」


 容保には従順な姿勢を見せた定敬だが、慶喜の言葉には結局苦々しいしかめ面で答えたものだから、これでは誰が主やらと容保は改めて深い溜息をこぼしていた。


「ところで山口。新選組の一浪士がここにいるということは、やはりそなたも未だ山口(ヽヽ)ということだな?」


 名を改めたと知ったところで呼び変えるつもりもないのか、慶喜が改めて斎藤に目を向ける。


「……左様で」


 山口(ヽヽ)か、と問われて素直に応とは答えづらく、それでも否定はせずあごを引けば、そんな斎藤に慶喜はくつくつと肩を揺らして笑った。


「会いも変わらず反抗期か。廣明(ひろあき)も苦労する」


 久々に聞いた名だ。廣明とは、斎藤の八つ上の実兄である。今は一橋(ひとつばし)に仕えているとは聞いていたので、名が出たことに特段の驚きはなかった。


「……変わらず、兄をお引き立ていただいておりますようで、御礼申し上げます」

「心にもなさそうな礼、大儀である。実際、廣明は大いに役立っているがな」


 逐一言及する割には一切気を害したふうもなく、慶喜は笑った。


「そなた、たまには当家にも顔を出すがいい。廣明も喜びそうだ」

「一橋様……一介の新選組隊士(ヽヽヽヽヽ)がそのようなこと」


 容保が胃の辺りを軽く抑えながらも、助け舟を出してくれる。斎藤の立場を改めて言及することで、言外に隠密行動の邪魔をするなと訴えてくれているわけだ。


 まったく、わかっているのか敢えてなのか。恐らく後者であろうが、やはり慶喜は細かなことなど気に留めない様子で、不遜にあごを上げた。


「そなた()励むがいい」

「……お言葉、痛み入ります」

「何か余に申すことはあるか?」


 今なら聞いてやろうと、慶喜が軽く上体を乗り出す。ここで斎藤が何を言うのか興味津々といった様子ではあるが、斎藤自身はこれ幸いと「では」と深い一例を返す。


「僭越ながら、容保様と折り入って二人(ヽヽ)で、お話しをさせていただきとうございます」


 抑揚なく告げた直後、一瞬、室内にしんと沈黙が落ちた。


 ――かと思えば直後、「はっは!」と慶喜の明るい笑声が改めて大きく響く。


「言いおる! 余を追い出そうと申すか」


 要するに「さっさと帰れ」と伝えた本音が正しく伝わった様子だ。


「一橋様がおられましては、話が進みませぬ」

「山口はどいつもこいつも! まったく、その物怖じせぬ押しの強さ、そなたの主にも分けてやれ」


 言って慶喜は容保をからかうように一瞥すると、それ以上ごねるようなこともなく、あっさりその場に立ち上がる。


「越中、参るぞ」


 言うが早いか、慶喜は足を踏み出し、通り抜け様に斎藤の肩を二度ほど叩いて退室していった。


 定敬は答えることなく、ただ理不尽だと言わんばかりに顔をしかめながら、そんな慶喜の後を追いかけていく。


「……それでは兄上。また」


 部屋を出る時、そう親しみを込めた声だけを容保にかけて立ち去る。


 普段通りの静けさを取り戻した奥の間にわずかな沈黙が落ちた後、改めて容保が苦笑を交えて「手間を取らせた」と密やかに斎藤を労った。

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