一会桑
数日後、非番の折を見計らって容保の元へ報告に上がった斎藤は、努めて無心になり表情を動かさず上座に臨んでいた。
いつもならばそこに座しているはずの容保は上座の右脇に控え、大変申し訳なさそうな人の好すぎる顔で眉尻を下げながら斎藤を見ている。
「……ご無沙汰を致しております」
「山口の倅も、随分と可愛げがなくなったものだな」
平坦な声で挨拶を述べた斎藤に、上座の相手――一橋慶喜は、言葉通り心底つまらなさそうに眉尻を下げ、あごを撫でた。
昨年まで将軍後見職に就いていた、御三卿がひとつ、一橋徳川家の当主。前代将軍たる家定公が身罷られた際には当代将軍たる家茂公と将軍の地位を争い、後見職の辞任後は禁裏御守衛総督に就任した人。禁裏御守衛総督とは言葉の通り御所を警護するための職で、御所も含めた京都守護職を任ぜられている会津や、同じく京都所司代たる桑名を配下に置く相手。つまり、会津の直属上司にあたる、次代将軍最有力候補となる男である。
そして――……
「……何故、一橋様ともあろうお方が会津本陣に」
「決まっているだろう。暇つぶしだ」
こういう男である。
横目に窺えば容保は困惑しきりの苦笑を浮かべていた。
ゆえに斎藤がそのまま、容保と対の場に座している、慶喜の反対隣に目をやれば。
「秘密裏に護衛させられる身にもなれって何度も何度も申し上げていますよね、本来ならば大坂におわす上様のお傍に控えていなきゃならないご自覚おありですかね、この後すぐに戻りますからね、引きずってでもお戻りいただきますからね」
ブツブツと呪詛のように低く言葉を発し続けている、容保によく似た、しかしわずかにまだ幼さを感じさせる武士が控えている。
京都所司代、松平定敬。京都守護職と共に京の治安維持を任ぜられている桑名家の当主で、容保の実弟にあたる方だ。
以前見えた際には、容保によく似た人の好くやわらかな、しかし容保と違って溌溂とした雰囲気をたたえていたと記憶している。が、何をかいわんや、現在は能面の癋のような、文字通りしかめ面を延々と披露し続けていた。
「戻りますよ、立ってください。ほぉら一橋様、あなたはだんだん大坂に戻りたくなる大坂に戻りたくなる上様に会いたくなる会いたくなる……」
「肥後に面会があると聞いてどのような奴が現れるかと思ったが、まさか山口の倅だったとはなぁ」
隣から延々垂れ流されている呪文を欠片も気に留めず、慶喜は飄々と言ってゆるくあごを上げた。
肥後とは、肥後守でもある容保のことである。
慶喜はそのままじろじろと無遠慮に斎藤を眺めやり、何を考えているのやら、わずかににやりと目を細めた。斎藤が最後に拝謁したのは、それこそまだ葛が死ぬ前の話であったから、五、六年ぶりくらいだろうか。ともなれば、物珍しさでも感じられているのかもしれない。
「……一橋様。その者は今、斎藤と名を変えております」
「あぁ、肥後、知ってるぞ。そなたの配下の新選組にいるのだったな。大坂の屯所で見かけた」
「大坂……? お待ちください一橋様、いつの大坂ですか」
斎藤が答えるよりも先に、定敬がぴくりと目元を引きつらせて口を挟む。
慶喜はそれを横目で見やり「越中は口うるさいな」と、やはり越中守たる定敬をそのように呼んで顔をしかめた。
「まあ、確か禁門の戦の後くらいだったか」
「はァあ!? あんたいつの間に何してんですか、そんな時期にふらふらと大坂まで!」
定敬が思わずといった様子で膝立ちになると、慶喜はそんな定敬の反応に打って変わりによによと口元をゆるませ、面白そうにフンと鼻で笑った。
――無心でいる以外、どうにもできない。
斎藤はやはり、無表情を努める以外になかった。




