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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◇二章九話 忍びの想い * 慶応元年 閏五月
206/212

告白

「オレにできること、ある?」

「ありませんね」


 予想し得た通りの言葉が愁介の口から出た瞬間、斎藤は間髪容れず、むしろ突き放すように言った。


 あまりに即座に応えたものだから、愁介の眉根が訝るように寄せられた。


 しかし斎藤は先ほど浮かんでしまったかすかな表情も引っ込め、もう一度、いっそ愁介に言い聞かせるかのように一言一言を丁寧に言う。


「愁介殿の手をお借りするようなことは、何もありません」

「……お前が自分の感情をそっちのけにしなきゃいけないってことは、会津にも関わることでしょ。だったらオレにだって」

「無論、殿には然るべきご報告を差し上げます。つまり、あなたにではありません。少なくとも今回は」


 食い気味に答えた斎藤に、愁介はさらに顔を険しくし、押し黙った。


 が、斎藤の意図は言葉通りだった。


 同時に、その言葉通りにしなければならないことでもあった。


 間者というものは、ただでさえ立場がややこしい。身の振りをひとつ間違えれば生死にも直結するし、正体を知る人間は当然少ないほうが良い。それが二重間者ともなれば、何をかいわんや。


 斎藤はこれから(のち)、場合によって土方や沖田らと立場を異にするかもしれない伊東の懐へ、本格的に飛び込んでいくこととなる。そうなれば、土方や沖田はもちろん、それ以上に距離の取り方に気をつけなければいけないのが、愁介なのだ。


 二重間者の件を、容保(かたもり)が愁介に告げるかどうかはわからない。それでも、敵を騙すにはまず味方からと、今後は場合によって愁介を本気で(ヽヽヽ)邪険に扱うこともあるかもしれない。だからこそ。


「幾度となく間に立っていただいたことには心より御礼申し上げますが、今回は不要です」

「随分、はっきり言うね」

「事実ですので」

「……なるほど。それが必要な状況に足を踏み入れたってことか」


 あまりにあっさり看過するので、斎藤は思わず一瞬、口をつぐんだ。


 直後、それさえ見逃さず愁介は笑った。


「わかった。何度でも言うけど、オレはお前の邪魔がしたいわけじゃないし、『共犯』でいたいだけだからね」


 ――その真っ直ぐな言葉と表情に、斎藤は妙に息が詰まるような感覚にさいなまれた。


 ありがたい、と思う。


 察しが良すぎて困る、とも思う。


 それほどまでに己を理解してくれていることを、嬉しく思う。


 それほどまでに己が理解されていることを、情けなくも思う。


 愁介さえ知っていてくれればそれでいい、と思う。


 これ以上は知られたくない、とも思う。


 どこにいても、誰といても、笑っていて欲しいと思う。


 その笑顔を見ていたい、と思う。


 でも、その笑顔を向けられる先が。


「……(かづら)さま」

「え?」


 不意に呼べば、懐かしい呼び名に愁介の目が丸くなる。


 その瞳に吸い込まれそうな錯覚を起こしながら、しかし斎藤は傾きそうになる身体を抑えて、ふっと無意識に笑った(ヽヽヽ)


()は、裏切者(ヽヽヽ)なので……許しちゃ、駄目ですからね」


 身体の造りがどう変わろうと結局は女ゆえなのか、どこか少年っぽさの残ったままの愁介のまろい頬に、斎藤は触れるか触れないかのやわさで指を滑らせた。


 驚きかくすぐったさか、あるいはその両方かで愁介の目がさらに見開かれ、その肩も軽く跳ね上がる。


「……(はじめ)?」

「愛しています。ですからもう、任務に関わらない限り、俺には近づかないでください」


 いつもの抑揚のない声で、それでも、普段より随分と明朗な言葉で告げれば、愁介が息を呑むかすかな音だけが聞こえた。


 同時に斎藤は立ち上がり、そのまま振り返りもせず歩き出す。


 ――『かき集めた理性なんざ、きっかけひとつであっけなく吹っ飛ぶ』


 少し前に土方から放り投げられた言葉が、頭の中を一度だけぐるりと回った。


 叶うことなら理解したくなかったな、と……――まっすぐ前へ、壬生寺の外へ向かって歩きながら、斎藤は空を見上げた。


 いつの間にか、まだ青かったはずの空に相反する色が滲み始めていた。

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