表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◇二章九話 忍びの想い * 慶応元年 閏五月
204/212

代弁

 土方は中空に目を向けたまま、斎藤と目を合わせることなく一歩、足を踏み出した。


 かと思えば、そこですぐに留まる。すれ違い様の、斎藤と肩先の触れ合いそうな場所で歩みを止めた土方は、そうして斎藤には目を向けないまま、静かに言った。


「俺ァ、医者じゃねぇ。それでも、薬屋をやってたんだ。色んな奴を見てきた。それで気付かねぇと思うか」


 斎藤が口を閉ざしたままでいると、こめかみ辺りに肩越しの視線が投げ寄越される。


「第一、あいつ……少しずつではあるが、痩せてやがるだろ」


 そう気付けるのは、元薬屋だ何だという建前など実際には関係なく、やはり土方が沖田を大切に思い、気にかけているからに違いないのだろう。加えて土方はかつて、母親を……――


「……私は沖田さんと、約束をしてしまったので」


 嘘は看破される、と思った。


 しかしその上でも、斎藤には、そう答えるしかなかった。


 それでも土方は間髪容れず、


「労咳か」


 やはり予め想定していたかのように、短く言った。


 そう、土方は江戸で話していた。かつて幼い頃、母親を労咳で亡くしたのだ、と。


 たまのことでも、沖田の咳を聞き、思うところがあったのかもしれない。加えて先般、江戸での勤めを終え、間を空けて改めて見た沖田の体躯に、やはり思うところがあったのだろう。


 沖田はとても上手く誤魔化していると思う。それでも、意図するしないに関わらず、どうしたって土方の目にだけは偽れなかったわけだ。


「余命はいくらだ」


 問いを重ねられても、先と同じく斎藤は何も答えなかった。


 答えられようものか。


 沖田から病状を聞いた折、昨年六月の時点で彼は医者から「一年は動けるだろう」などと言われたと話していた。が、どうだ。沖田は「二、三年は動き回って見せる」と笑い、実際、もうすぐ一年が経つというのに、本人はまだまだ動ける様子を見せている。


 そんな沖田を、今の斎藤が裏切ることはできなかった。できることなら、そうしたくないと思ってしまった。


「……土方さん。私には、言えません」


 かろうじて告げると、土方は小さな舌打ちと共に斎藤から目を逸らし、深く息を吐いた。


 横目に窺えば、切れ長の目はきつく閉ざされ、眉間には刃物を入れたような深いしわが刻まれている。


 しかしそれからすぐ、斎藤が言葉を探すよりも先にもう一度息を吐いた土方は、ふと力をすべて抜いたように肩を下ろすと、ゆったり目を開け、再び空を仰いだ。


「……そうかよ」


 ほとんど嘆息のように呟きながら、土方は先と打って変わった呆けたような表情を見せた。その横顔がふと、山南の切腹前に「俺はずるいか」と、そう問うた時の苦々しくも寂しそうに笑んだ、あの雰囲気と重なったように見えた気がした。


 ――ああ、汲む気だな、と。


 斎藤は何も言っていないし、土方が真に状況を把握したのかどうかも、測れはしない。


 それでも土方は恐らく、沖田の『望み』だけはすべて察して、それを汲む気なのだろうと察せられた。


 すなわち、沖田が例えどのような病であっても――……斎藤の口を封じてでも、『変わらずいよう』としていること。そう、望んでいることを。


「土方さん……」

「……俺の判断は、間違ってると思うか」

「いいえ」


 今度は、斎藤のほうが間髪容れず答える形となった。


「あなたが正しいと思うなら、それは間違いではないと思います。逆にあなたが間違いだと思うなら、それは間違いということなのでしょう」


 言えば、ほんのわずか訝るように、土方が斎藤を見やる。


 斎藤も、今度はその視線を受け止めて、はっきりと続けた。


「少なくとも、沖田さんはそう信じています」


 再び土方の眉間に、きゅっとしわが寄せられた。先の厳しい表情ではない、どちらかと言えばやはり切ないような、そんな表情だった。


「……今日は、よくしゃべりやがる」

「お互い様です」


 土方は口の端を上げ、深呼吸をするように大きく息を吸って、それを吐き出しながらぐっと伸びをした。


「ったく。伊東のことは、約束だろうが何だろうか包み隠さず話せよ」

「そうですね。伊東に対して義理はありませんので」


 至って当然のことを答えれば、土方は今度こそ「ははっ」と声を立てて笑い、歩き出した。


 かと思えば、すぐに振り返って斎藤を見やり、


「悪いな。頼みにしてる」


 土方は少しばかり困ったように、しかし親しみを込めた『身内』にしか絶対に見せないであろうやわらかさで眉尻をさげて、笑っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ