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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◇二章九話 忍びの想い * 慶応元年 閏五月
202/212

好き嫌い

 稽古後の汗を改めて拭って着替えを終え、斎藤はぶらりと散歩に出るてい(ヽヽ)で西本願寺を出た。四半刻も歩けば、やはりまだ見慣れた感覚が残る壬生に入る。


 念のために折々誰か(ヽヽ)が後をつけてきていないか確認したが、特段これといった気配を感じることもなかった。そうこうしている間に、以前屯所としていた前川邸の門前を過ぎる。


 屋敷の角を曲がれば壬生寺はすぐ目の前で、近づけば複数の子供らの声が聞こえてきた。


 気に留めず参門をくぐれば、広々とした境内にさらに子供らの声が高く響く。


 参門脇を見やれば、子供らはすぐそこで石砂利を積んだり、動かして絵のようなものを描いてみたりと遊んでいるようだった。中には沖田が遊び相手をしていた子もいるようで、見覚えのある姿もある。


 が、子供らは斎藤など気にもしない様子で盛り上がっており、斎藤もそれ以上は気に留めることなく、そのまま足を真っ直ぐ正面に進めた。


 手水舎の前を通り過ぎると、本堂正面にある大(がめ)のような線香立ての向こう側、本堂へ上がるために組まれたわずか数段の石段の隅に、人影を見つける。


「……土方さん」


 歩み寄って声をかければ、石段に座り込んだ膝に頬杖をついて目を閉じていたその人が、ようやくゆっくりと目を開けた。


「……おぅ。悪ィな、足労かけて」


 言葉の割に、特に悪いとは思っていなさそうな抑揚のない声だった。


「いいえ。この程度の距離、どうとも」


 言って正面に立つと、土方は少しばかり考えたように鼻の頭を親指でかき、それから妙にゆったり腰を上げ、斎藤と向き合った。


 斎藤が、わずかに己より高くなった土方の目線を追ってあごを上げると、土方はふっと口の端を引き上げて、妙に皮肉げな笑みを頬に浮かべた。


「……お互い、回りくどいのは好きじゃねぇしな」

「まあ、そうですね」


 今はすっかり、見下ろしてくる土方の視線を、正面から受け止められている。


 先の屯所での別れ際からここまで、少々頭を使うことが多かったせいもあるが――……何より、笑んでいてなお瞳が鋭い今の土方の様子に、自然と、背筋が伸びたのだ。余計なことに思考を割く余裕など与えられないことを、察せずにはいられなかった。


「斎藤。率直に訊くが、お前、伊東をどう思ってる」

「……どう、とは」

「好いてるのか好いていないのか、信頼しているのかいないのか」


 本当に率直であった。


 ゆえに斎藤も、淡々と、間を置くことなく率直に答えた。


「好いていませんし、信頼できませんね」

「その割に、さっきも随分親しげに話してやがったようだが」


 一体どこから見て、あるいは見張らせていたのか、間髪容れずしれっと問われる。


 視線は土方に向けたまま、思わず軽くあごが下がる。そのせいで意図せず少々()め上げるようになってしまったが、斎藤がそうであったように、土方もまた欠片も表情を変えることはなかった。


「……いくら平助が慕う相手であろうと、山南さんが『不穏』と称した相手を警戒せずにいられますか」


 淡々と、やはり声音も変えることなく斎藤は答えた。


 途端、土方の目がほんのわずかに見開かれる。が、すぐさま今度は顔をしかめて、あごを上げた。斎藤が意図せずそうなったものとは異なり、訝るように堂々睨み下ろされる。


「……警戒してやがるのに、親しげに話すたぁ、矛盾してねぇか」

「そうでしょうか。正面から敵対するよりも、懐に飛び込んでしまうほうが動きやすいこともありますよね」

「……ハ。まるで間者みたいな考え方ァしやがる」


 ある意味で図星を突かれた形ではあるが、しかしだからこそ、土方はまたすぐにころりと表情を変え、笑った。いつも見る、身内だけに見せるような少々あけすけな笑い方だ。


 斎藤のほうは、そのまま表情も変えず、こちらもあごを上げ、改めて土方を真正面から見据えて口を開く。


「ところで私からも、土方さんにお訊きしたいのですが」

「何だ?」

「何故、そんなことを私に訊くのですか」


 問いかけた途端、妙に湿気た風が、二人の間をすり抜けて行った。

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