斬り捨てる相手《過去》
「御託はいい」
一蹴、という言葉がこれでもかというほどよく似合うひと言だった。
「会津はこれから大変な時期を迎える。今すぐに戻って頭を下げ、許しを請いなさい」
押さえつけるような言葉を押し返すように、一は視線に力を込めた。
「……『葛様の居場所』を教えてくだされば、いつでも戻りますよ」
「くどいな……墓の場所など知ったところでどうする。墓前で腹でも切るつもりか」
叶うなら、そうしたい――。
冗談でも口にすれば余計に伏せられることなど重々承知していたので、一は「まさか」と口元に自嘲を浮かべた。
「ただ、墓前に手を合わせることを制止される意味がわからないだけです。それを言っても聞き入れられず、いいように使われ続ける『己』が嫌になることの、何が悪いのですか」
「余計な意思を持つことが許されると思っているのか。何と幼い」
「人として当然の主張をしているだけです」
頑然と目をつり上げると、兄は「それが幼いと言っている」とあごを上げた。
「一個人である前に、主に尽くす『駒』であることを自覚しろ。これ以上の我侭は――」
「たったひとつの我侭を貫き通すことの、何が悪い!」
冷淡な兄に対し、今度は一が声を荒らげていた。表通りからは随分と離れていたので、また喧騒に邪魔されるようなことはなかった。ただ、そのせいで一は込み上げる激情を抑える手立てを見つけられず、投げつけるように言葉を続けた。
「兄上に、虐げられ、抑制を強いられた者の気持ちがわかりますか? 葛様の想いが、あなたにわかりますか!」
詰めるように問うと、兄はわずらわしそうに吐息した。激昂する一とは対照的に、あくまで冷たく「興味もない」と首を振る。
「死んだ子供の事情など、とうに忘れた」
血も涙もない言葉に怒りが沸騰して、一は「気が知れない!」と体を震わせた。
「『女児が生まれたら御家が滅ぶ』なんて馬鹿げた占術を出されたせいで、嫡子と偽って育てられたんだ! なのに胸を患っていると知れば奥地へ追いやった! 終いには、婿を取った病弱な姉姫が万一にも早死にすれば、身代わりに世継ぎを孕めなんて無茶苦茶なことを言われて……、っ」
言っていて気分が悪くなり、一は口元を押さえながら、えづくように言葉を吐き捨てる。
「馬鹿にするな! どれだけ振り回せば気が済むんだ! そんなことを命じた会津侯になど、誰が好き好んで仕えるか!」
「それを命じたのは、前当主の容敬侯だ。お前も知っての通り、今はもう婿殿が後を継がれている」
「俺の存在は、葛様にとっても『唯一の我侭』だった! それを引き裂いた容敬様に従い、容敬様が亡き後も葛様を放置し続けたのは、容保様じゃないか!」
一は鐘を打つような痛みを訴えるこめかみに手を当て、俯いた。
――言いたくても言えなかった、誰にも言ったことのなかったわだかまり。何故、よりにもよって兄にぶつけようと思ったのか。
甘えたかったのかもしれないし、単に同調を得て慰めにしたかったのかもしれない。
しかし冷静になって考えれば、それを『肉親』に求めること自体が間違っていたのだと、後になってから気が付いた。
「……容保侯の元へ戻れ、一」
冷め切った命令に、一は奥歯を噛み締めて髪を乱雑にかきまぜた。
一の訴えは、人としておかしいものだろうか。それさえよくわからなかった。ただ、これほどまで冷淡な兄と自分の血が繋がっているという事実が、気分を最悪にさせる。
「……あなたに理解を求めようとした俺が馬鹿でした」
これ以上は話したくない。会津の傘下になど、戻るつもりもない――。
意思は変えず、一は踵を返そうとした。
ところが、
「一、お前が会津屋敷へ戻らないと言うなら、すぐにでも斬り捨てる」
一瞬足どころか息さえ止めて、一は弾かれたように顔を上げた。
何の感情も窺えない兄の顔を凝視した後、口から出たのは「は?」という声一つだった。
――思わず喜びかけた。できることなら『葛の元』へ。自刃ではなく、己も病にかかるか誰かに殺されるかすれば、きっと、傍に。
それはこの二年間、ずっと胸に抱き続けていた、一の密やかな願いだったのだ。
けれど次に兄が口にしたのは、喜びかけた一の頭を殴りつけるような言葉だった。
「天然理心流、試衛館道場というのだそうだな。今のお前の隠れ家は」
一は愕然とした。話がどこへ飛ぼうとしているのか、本能的に悟る。
「……卑怯、だ……」
「何が卑怯か。私がろくに調べもせず、お前に近付いたと思うか? あのような田舎道場に住まう者達など、こちらの力を持ってすれば、いかようにも首をはねられる。我々はご公儀の隠密……それを邪魔立てするとあらば、容赦の余地などありはしない。例え本人達がそれを承知していようと、いまいと」
一は絶句した。とっさに握り締めた拳が、かすかに震える。
「……何だ。お前を斬るとでも思ったのか? それではお前を育ててきた『山口』にとって恥の上塗りもいいところだ。お前には改心して、自ら戻ってもらわねばならない。『山口』の面目だけは、最低限守ってもらわねば」
血の通わない言葉の数々に、ひくりと目元が引きつった。
本気だ。兄ならやる。きっと微塵の迷いもなく、今と同じ冷めた表情で眉一つ動かさず。
「一、もう一度言う。私が来た理由はわかっているな? 今すぐ会津屋敷へ向かいなさい」
それは、最後の警告だった。選択の余地など、ありはしなかった。
一はうなだれた。
いつだって大切なのは家柄と面目。そこに『個人』の生き死にが関わろうと関係ない。
葛の時もそうだった。隔離されたのは、女児を男児と偽ったことが世間に知れたらという御家の面子。隔離されてさえ解放されなかったのは、ただ血筋を繋げたいという利己的な都合――。
「……わかりました。戻ります」