火蓋
「副長! 土方副長!」
一人の隊士がドタバタと慌しく駆け込んできて、肩で息を切らせながら斎藤達の目の前で膝に手をついた。この時刻に隊服をしっかりと身に着けているその男は、永倉と行動を共にすることの多い平隊士だ。
「帰ったのか! どうだった」
「ます……桝屋の、主を、捕らえました。我々に、抵抗を見せました、ので、御用を……」
隊士はよほど全力疾走してきたのか、息も切れ切れに報告した。
想像以上に早かったな、と。
斎藤は、やはり他人事のようにその報告を聞いていた。
「今、永倉先生達が、桝屋を連れて、こっちに向かって……っ、申し訳、ありません。宮部や、吉田は……」
「くそ、逃がしたか。いや、でも……そうか、桝屋を捕らえたならまだ……ご苦労だった」
「ですが、これ……これ、を」
土方の労いに首を振って、隊士が息つく暇もないのだと言わんばかりに手にしていたものを差し出した。
そこで不意に、何故か胸の奥がざわついた。
斎藤は土方に代わって、差し出されたものを受け取った。手持ちのついた提灯だった。折りたたまれているそれを、ばっと縦に広げてみる。
と、
「――こ、れは」
「おい、これぁ……」
斎藤の驚きの声と、土方の戸惑いの声が、示し合わせたかのように重なった。提灯に、見覚えのある一つの大きな家紋が堂々と描かれていたのだ。
「……どういうことだ」
土方が、わずかに上ずった声を上げた。日の本に武士として生きる限り、誰もが目にしたことのある『徳川三つ葉葵』――これによく似た、河骨の紋を凝視して。
一見すると三つ葉葵と見間違えてしまいそうなそれは、通称を――
「……会津葵……」
斎藤の掠れた声に、土方は掴みかからんばかりの勢いで隊士に詰め寄った。
「おい、どういうことだ。これが桝屋にあったってぇのか!」
体を刺し貫くことができそうなほど鋭く尖った声に、隊士はこくこくと頷いた。
「枡屋の中に、隠し倉庫が、あったのです。中には、おびただしい数の銃や、槍、火薬が保管されていて……その中に、これが……!」
聞き終えたと同時に、土方は斎藤の手から奪うように提灯を取り上げた。それを隊士に押し付けて、茫然としていた斎藤の背を強く叩き押す。
「斎藤、総司を叩き起こして来い! 他の助勤もだ、動ける奴を全員!」
「……土方さん、これは、つまり」
「副長、わたしは……」
「お前もご苦労だった。永倉はもうすぐ戻って来るんだったな、今すぐ近藤さんのところにこれを持って行ってくれ」
「はいっ!」
「土方さん!」
隊士が局長室に向けて走り出した瞬間、斎藤は焦りを交えた声で土方を呼び止めた。
どこかへ走り出そうとしていた土方は、つんのめったように足を止めて斎藤を振り返る。
「何だ、わかるだろ、急ぎだぞ!」
「待ってください、これはつまり、攘夷派が会津を利用しようとしているということですか? 会津を陥れようと?」
「さすがにまだ判断つかねぇよ。あのド頭の固すぎる会津様が、不逞浪士に武器弾薬なんざ横流しするわけもねぇし。わかるのは、イイコトに使う気じゃなかったってことぐれぇだな。どっちにしても考えるのは後だ! ひとまず桝屋に向かう、話は現状を見てからにしよう。お前も来い。総司を起こせ。動ける助勤は全員集めて待機させろ、いいな!」
土方は、それまでとは比べ物にならない厳しい目付きで斎藤に指示し、一目散に駆けて行った。
ズキン、と――。
土方の後姿を見送って、遅ればせながら足を自室に向けた瞬間、斎藤は自分の頭に射抜かれたような鋭い痛みが走るのを感じた。その反動か、足が棒になったように固まりつんのめってしまい、たたらを踏む。
歩みを止めると、また突き刺すような痛みが頭を駆け抜ける。
「……痛……ッ」
こめかみを押さえて顔をしかめる。断続的に続く痛みに吐き気が込み上げて、反対の手で口元を押さえた。
そこでようやく朝日が本格的に顔を出してきたのか、少しずつ足元の影が濃くなっていくのを見る。待っていたと言わんばかりに鳥がチュンと鳴いて、合わせたように、生き急いだ蝉も一匹どこかで鳴き始めた。
――ああ。
斎藤は、吐き出した自分の息が、かすかに震えているのを自覚した。
――『敵』と思しき者達の隠れ家に、会津葵。会津……!
口元に当てた手のひらに、歯を立てる。起き抜けに付けた真新しい傷が開き、口の中にまた、じわりと鉄生臭い味が広がった。
指先で触れた口の端が何故かつり上がっていたが、斎藤自身には、そんな自身の笑みの意味を明確に理解することはできなかった。