82話 遠征イベント②
目的地に着く頃にはだいぶ日が傾いていた。御者は森に入る手前の空き地に荷物を降ろすと、「明日の朝方にまた来ます」と言って去っていった。どうやらマディにそう指示を受けているらしい。辺りには家も見当たらず、人の気配もない。
――王族と貴族がいるのに、護衛も使用人も付けずに外に放り出すとは。
しかもライアン以外は長男だ。マディは王族の血を引いているとはいえ、王家や伯爵家から非難されないのかと首を傾げる。何かあっても闇魔法で記憶を消せばいいと思っているのだろうか。よほど自分の力に自信があるのかもしれない。
ゲームでは細かいところまで考えていなかったが、現実だと違和感しかない。よくこんなに問題だらけの計画を遂行したものだとむしろ感心してしまう。
セシルは荷物を確認すると、ぽんと手を叩いた。
「とりあえず、暗くなる前に休める場所を作ろう。今から森に入るのは危険だし、魔物のほうから出て来る可能性もある。まずは態勢を整えておこう」
彼の言葉に全員が頷く。これ以上暗くなったら魔法を使うだけで魔物を呼び寄せかねない。もうここまで来てしまったのだから、今はあれこれ考えず目の前のことに集中するしかないなと息をつく。
ライアンが土魔法で視界を遮らない程度の壁を作り、私の魔法で補強する。蝋燭だけでは明るさが足りなかったため、乾いた枝を集めて中心にたき火を作る。
それにセシルが火を点けているのを見て、ロニーがぽつりと呟いた。
「いいなぁ……僕も、もっといろんな魔法が使えたら役に立てるのに」
雷魔法の訓練は定期的に続けているが、まだロニーは基本的な攻撃魔法しか使えない。それでも前に比べればかなり上達しているし、彼の歳なら十分だ。
声をかけようと口を開きかけたところで、ルーシーが微笑んだ。
「ロニー君はきっと、これからすごい魔法をたくさん使えるようになるよ。今は先輩たちに頼ってもいいんじゃない? 私なんか、まだ魔物を倒すこともできないし……ロニー君の魔法はちゃんとみんなの役に立ってるよ」
それを聞いて、落ち込んでいたロニーの顔がぱあと明るくなる。さすがヒロインだ。攻略対象を励ますのは彼女の役目だな、と口をつぐむ。
ロニーは「僕も何か手伝ってくる!」とライアンの方へ走っていった。ライアンは持ってきた簡易テントの用意をしているようだ。
私も手伝おうと思ったが、ふとルーシーの様子が気になった。彼女は困ったような顔をして、そわそわと視線を動かしている。
「……どうした?」
近くにいるのに無視をするのもどうかと思い、声をかける。ルーシーはハッとしたように顔を上げて、躊躇いがちに答えた。
「ええと……私は、これから何をすればいいのでしょうか」
彼女が迷うのも当然だった。魔物が出てくれば戦闘は起こるかもしれないが、暗くなってから森に入るわけがない。ここからはただ夜が明けるのを待つだけだ。
彼女のための訓練だが、今の段階で怪我をしている者もいない。
ゲームではヒロインと攻略対象が2人きりになるまで、どうやって過ごしていただろう。これまでのイベントを思い出し、顎に手を当てる。
「君はお菓子以外の料理もできるのか?」
ルーシーはきょとんとして、小さく頷いた。彼女が手作りしたカップケーキはセシル達にも好評だった。そして、運んできた荷物には食材も含まれている。
何故そのまま食べられるものじゃないのかと疑問に思っていたが、おそらくこのためだったのだろう。勝手に納得しつつ、彼女に提案する。
「それなら、夕食を作るのはどうだ」
「わ、私がですか!?」
彼女は慌てて手を振った。
「でも、平民の家庭料理なんてみなさんのお口に合うかどうか」
「大丈夫だろう」
腕を組んでセシル達に目を向ける。壁に囲まれた中にテントが置かれ、たき火の周りには人数分の小さな椅子が並べられている。まるでキャンプ場のようだ。
少なくとも私は、貴族として生まれてからこんな所で食事をしたことがない。ましてや料理なんて授業以外でやったこともない。
――平民の彼女なら、貴族の私たちより経験豊富なはずだ。
それに、と頭に浮かんだことを素直に口に出す。
「君の作ったカップケーキも美味しかった、から……」
「えっ?」
言ってから、しまったと口を押さえた。これではクールキャラではなく食いしん坊キャラになってしまう。ルーシーも驚いたように目を丸くしている。
上手い言い訳も思いつかず、軽く咳をして「何でもない」とみんなの方へ足を向ける。彼女は駆け足で付いてきて、嬉しそうに笑った。
「アレン様にそう言ってもらえたら、なんだか自信が湧いてきちゃいました」
楽しそうな足取りで私を追い越すと、ルーシーはセシルたちに確認を取ってさっそく料理の準備を開始した。都合よく荷物の中から調理器具が出てきていたが、そこは深く考えないようにする。
無理やり押し付けてしまっただろうかと少し心配だったが、彼女はまったく気にしていないようだった。
野菜を切って干し肉を切って、たき火の上に吊るした鍋で煮る。その手際の良さに、家でも料理をしていたんだろうなと感心してしまう。しかしこんな外で、複数人に見られながら料理をすることなんてないだろう。
塩コショウで味付けをしているルーシーに、セシルが言った。
「すごいな。慣れているんだね」
「いえ、そんな。切って煮るだけですから」
照れたように笑う彼女に、ライアンが首を振る。
「いやいや、食べやすいように切るのも大変だろ。俺も家で料理したことあるけど、切り方が大雑把すぎるって叱られたことしかないぞ」
「それはライアンが下手なだけじゃない?」
ロニーの言葉に、ライアンはそうか? と首を傾げた。確かに彼のひとくちは大きいから、それに合わせて切ると大雑把になるだろうなと小さく笑う。
私に気付いたライアンが、むっと口を尖らせた。
「今笑っただろ、アレン」
「いや、……すまない」
「アレンも上手だったよね。調理の授業でも手慣れていたし」
セシルがそう言うと、ロニーとルーシーが同時に私を見た。アレン様が……と意外そうな顔を向けられ、目を逸らしつつ答える。
「あの時は生地を伸ばしただけだろう。料理をするのはまた別だ」
「そうかな。君のクッキーも美味しかったけど」
「あれは君が作ったクッキーでもあるんだが」
だいたい生地を伸ばすだけならセシルも上手かった。ふふ、とルーシーが笑う。
「おふたりがクッキーを作っているのも見てみたかったです」
「僕も。全然想像できません」
ロニーが大きく頷いたのを見て、苦笑してしまう。大して面白い画ではなかったはずだが、王族であるセシルが料理をしている姿を見られたのは確かにレアだったなと思う。彼らもあと1年早く入学していたら、私たちと一緒にクッキーを作っていたのかもしれない。
そんな話をしているうちに、ふわりと良い匂いが漂ってきた。辺りはすっかり暗くなっていて、空には星が見え始めている。
またもや都合よく人数分用意された食器を取り出し、ルーシーが取り分けてくれる。ほかほかと湯気が立ち、誰かのお腹がぐうと鳴った。
全員でたき火を囲い、椅子に座って食事を始める。気温はそれほど低くはないが、温かいものを食べると体が冷えていたことが分かった。
干し肉が入っているためか旨味も強く、学園や屋敷で食べる料理とはまた違って美味しかった。特にライアンは、「うまい」と何度も大絶賛していた。
運動をしたわけでもないのに、男子生徒が4人もいるせいであっという間に鍋は空になる。料理の礼に率先して片付けを始めたライアンを、ロニーが手伝う。
私も手伝おうとしたが、2人で十分だと止められてしまった。仕方なく椅子に腰を下ろし、火の番をする。
この火は魔法で点けられたはずだが、セシルの魔力で燃えているのだろうか。それとも今は普通に薪が燃えているのかと考えていると、ルーシーが近寄って来た。
「あの……アレン様のお口にも合いましたか?」
そう尋ねられ、料理の感想を伝えていないことに気付く。クール担当として積極的に話すわけにもいかず、みんなが話しているのも邪魔しないよう黙っていた。
私から提案したのに失礼だったな、と頷いて返す。
「ああ、とても美味しかった。ごちそうさま」
本当に美味しかった。彼女の料理はいつも優しい味がする。自然と頬が緩んでしまい、驚いたように金色の瞳が揺れた。
照れたように俯いて、ルーシーは口元に笑みを浮かべる。
「……よかった。そう言っていただけて、嬉しいです」
顔を上げた彼女が微笑んだ瞬間、胸がぽわと温かくなった。
温かいものを食べたからだろうか。そういえば、以前もこんなことがあったような気がする。ルーシーはぺこりと頭を下げて、食器を片付け始めた。
そこで、視線を感じる。ちくりと刺すような、敵意を感じる視線だ。
魔物かと思って周りを見回したが気配はない。セシル達も気にした様子はない。
結局、それがどこから向けられていたのかは分からなかった。
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お腹がいっぱいになって眠くなったのか、ロニーは片付けが終わるとすぐテントに入っていった。今は何時なんだろう。18時の鐘は食事中に聞こえた気がする。
さすがに今夜は眠る気になれないなと揺れる火を眺める。少なくとも、誰かが交代で辺りを警戒しなければならない。
ルーシーに視線を向ける。彼女は少し離れたところに立っていた。空を見上げて星を眺めているらしく、傍にはセシルの姿もある。
何か話しているようだが、ここまでは聞こえてこない。
――夜の会話イベントもあったよな……。
ということは、今はセシルルートに行っているのだろうか。そう考えて首を振る。今までのイベントも今回のことも、すべてルーシーが選んで行動しているわけではないだろう。この世界に『ルート』があったとしても、ゲームのように選べるものではないのかもしれない。
「……アレンも、ルーシーのことが気になるのか?」
ふいに、目の前に座っていたライアンが口を開いた。どこか不安そうな声だ。
彼に顔を向けて、首を傾げる。
「私『も』とは?」
「あっ、い、いや……その」
ライアンは慌てて手を振ると、ちらりとルーシーを見た。すぐには答えず、少し間が空く。パチパチと薪が爆ぜる音が響き、辺りの静けさを際立たせる。
遠くからフクロウの鳴き声が聞こえたところで、彼は躊躇いがちに言った。
「ルーシーって、みんなと仲がいいだろ? だから何というか……アレンは、あの子のことどう思ってんのかなって」
質問の意図が読めず、同じようにルーシーに目を向ける。セシルと話している彼女は、ニコニコと楽しそうに笑っていた。
明るくて素直で、よく笑う。積極的に先生方の手伝いもする。そんな彼女をどう思っているかというなら、答えは決まっていた。
「いい子だなと思っている」
「そ……いや、うん。そうか」
私が答えると、何故かライアンは苦笑いを浮かべた。質問に対して答えが単純すぎただろうか。もっと聖女として国の大事な存在だとか、貴族しかいない学園でも折れない心の強い子だと言ったほうがよかったかもしれない。
彼はじっと私を見ると、何かを考えるように頭を抱えた。いや、でも、やっぱり……と呟いて顔を上げる。
「あのさ、言い難いんだけど……俺ら、しばらく一緒に飯食うのやめないか?」
「えっ?」
突然そう言われ、目を丸くしてしまう。今度から仲のいいルーシーも誘うようにしよう、というなら分かるが。今の流れでどうしてそんな話になったんだろう。
「それは構わないが……理由を聞いてもいいか?」
尋ねると、ライアンは「そうだよな」とまた考える素振りをして、答えた。
「俺、アレンとは友達でいたいからさ。離れてないと、今のままだとなんか、変な感じになりそうだなって。……ごめん、何言ってるかわかんねえと思うけど」
彼はかなり慎重に言葉を選んでくれているようだった。苦しそうに手で顔を覆っているのを見て、首を振る。正直、理由としてはよくわからない。でも、私のためを思ってくれているのは伝わってきた。
「わかった。離れたほうが良いと言うなら、放課後の訓練も考える。一緒に食事をするのも落ち着くまで無しにしよう」
「……悪い。ありがとう」
ライアンは申し訳なさそうな顔をして頭を下げた。食堂で一緒だったのはウォルフを中心に自然と集まっていただけで、特に約束していたわけではない。
ウォルフは卒業したし、ロニーの訓練も彼は十分付き合ってくれた。謝る必要はないと伝えると、彼は眉を下げて頷いた。
「今のうちに俺もちょっと寝るよ。後で交代しよう」
テントに向かうライアンを見送って、たき火に薪を追加する。いつの間にかセシルとルーシーは移動したらしく、姿が見えなくなっていた。
夜の散歩だろうか。それほど遠くに行くとは思えないし、セシルは強いから問題ないだろう。私はテントの2人を守らなければと空を見上げる。
「……少し、冷えてきたな」
呟いた声に答えるように、静かに星が瞬いていた。




