78.5話 原作のロニー
よいしょと反動をつけて足をかけ、高い枝に登る。
中庭まで来る人はいても、木を見上げる先生はほとんどいない。いちいち授業中ですよと声をかけられても困るから、最近はいつもこの場所にいた。ちょうど枝の間に座れるようになっていて、落ちる心配もない。
家ではこっそり庭の木に登っていたなぁと考えて、頭を振る。もうだいぶ慣れてきたはずなのに、未だに思い出すと寂しくなってしまう。
成長途中の体に合わせて作られた制服に手を入れ、懐から杖を取り出す。まだ新しい杖の底には緑の魔鉱石が嵌っていて、金色の輪が付いている。
――この石が、もっと違う色だったらよかったのに。
水色だったらよかった。黄色でも紫でも何でもいい。
でも、緑だけは嫌だ。雷なんて昔から大嫌いだ。
僕の魔力が『雷』じゃなければ、今頃当たり前に家族と一緒にいられた。わざわざ遠く離れた学園に来てまで魔力調整を学ぶ必要もなかった。
1年生は全員、魔力調整の授業を受ける。受けるといっても最低1回、多くて5回程度だ。でも僕はそのためだけに来ているから、毎回参加しなくちゃいけない。
今日も午前中は魔力調整の授業を受けていた。入学してからもう何度目かわからないけど、まったく上達している気がしない。
訓練場に大きな雷が落ちてみんなが騒いでいた。睨まれても文句を言われても、どうにもできないのだから困ってしまう。僕だってこんな力なんかいらない。
結局途中から他の生徒たちと離れて、先生と1対1で授業を受けた。授業では毎回そんな感じだ。
家ではずっとお兄ちゃんだったのに、ここでは誰よりも年下だった。みんな基本的な調整はできているから馬鹿にされるし、身分が下の奴にも子ども扱いされる。
みんな僕より魔力開放が遅かったくせに。僕と同じ10歳で魔力開放した人なんて、この学園には1人しかいないはずなのに。
そう思ったところで、声が聞こえた。中庭から見える渡り廊下を、今頭に浮かべたばかりの生徒が歩いている。金色の髪と赤い瞳がきらきらしていた。
「セシル王子……」
思わず声に出して、こっそり木の葉の間から覗く。呟きが聞こえてしまったのか、王子は不思議そうに辺りを見回していた。
挨拶に行った方がいいだろうか。でも、急に声をかけたら失礼かもしれない。
そう思っていたら、ギロリと冷たい視線を感じた。
セシル王子のすぐ後ろにいた青い髪の人だ。こちらに向けた目を逸らさず、王子の前に出て懐に手を入れる。僕を睨んだまま杖を取り出したのを見てハッとした。
「ご……ごめんなさいっ! 何でもありません!」
慌てて木から飛び降り、頭を下げる。セシル王子が目を丸くして青い髪の人を止めてくれた。渡り廊下から中庭に出てきた王子は、にっこりと笑った。
「臨時入学のロニー・ランプリングだね。僕に何か用かな?」
「いえっ、あ、あの……!」
まさか声をかけられるとは思ってなかった。何と言っていいか分からず口ごもる。本当は、同じ歳に魔力開放をした相手と色々話したかった。尊敬してますってことも伝えたかった。……でも、セシル王子の後ろにいるあの人がずっと睨んでくるから、怖くて何も言えなかった。
黙って首を振ると、セシル王子は「そうか」と笑いながら僕の頭を軽く撫でてくれた。王子はあんなに優しいのに、なんで付き人のあの人は怖いんだろう。
セシル王子が歩いていくのが見えて顔を上げる。まだ僕を見ていた怖い人と目が合ってしまい、体が固まった。
「紛らわしいことをするな」
氷のような視線を向けられ、黙って頷くことしかできない。怖い人はそれだけ言うと、王子を追って行ってしまった。
辺りのひんやりしていた空気が溶けていくのを感じて、ほっと息をつく。
怖かった。あのまま魔法を使われてたらどうなってたんだろう。僕はまだ、魔力調整もできないのに。
そこで、自分が手に杖を握ったままだったことに気付いた。もしかして、このせいで危ない奴だと思われたんだろうか。
セシル王子にも誤解されていたらどうしよう。今度会った時に謝ったほうがいいだろうか。それとも、できるだけ関わらないようにした方がいいのかな。
――誰か、相談できる人がいたらいいのに……。
先生たちは他の生徒のことで忙しそうだ。知り合いもいないし、子供の僕と友達になってくれるような人もいない。そう考えて、とある生徒のことが頭に浮かぶ。
桃色の髪をした、聖魔力を持っている平民の女の子。1度だけ、ちょうどこの場所で僕の怪我を治してくれたことがある。
どうでもいい時には勝手にやって来るのに、今日はまだ姿を見てない。
「……また、来ないかな」
今なら、身分なんか気にしないで友達になってもいいと思う。
呟いた声に重なるように、遠くで雷鳴が聞こえた気がした。
===
パラパラと雨の音が聞こえている。それくらい部屋の中は静かだ。さっきまで会話をしていた口を閉じて、同じく黙っているライアンと顔を見合わせる。
今夜は雷が鳴っていたから、いつも通りアレン様の部屋に遊びに来ていた。メイドが帰った後でこっそり部屋を出るのも慣れたものだ。
遅れてライアンも来て、3人でソファーに座ってお茶をしながら話していた。そして気付いたら、アレン様が座ったまま眠ってしまっていた。
生徒会の仕事もしているのに、毎日のように僕の魔力調整訓練まで付き合ってくれているから疲れたんだろう。
部屋に入った時からなんとなく眠そうに見えたけど、できるだけ一緒にいたくて長居してしまった。眠っているのを起こすのもかわいそうだし、どうしようかと小声でライアンに尋ねる。
「とりあえず……カップを片付ける?」
「そうだな。できるだけ静かにな」
小さく頷いて、音を立てないように気を付けつつテーブルに置かれたカップを回収する。洗うのはライアンに任せ、アレン様に目を向ける。
そこで、アレン様が眼鏡を掛けたまま眠っていることに気付いた。倒れたりしたらきっと危ない。そっと近付いて、できるだけ触れないように眼鏡を外す。
手が震えてしまったが、起きる気配はない。
――眼鏡か……眼鏡も、かっこいいなぁ。
そう感じてしまうのは、憧れの人だからだろうか。僕のお父様も眼鏡を掛けているけど、それ自体がかっこいいと思ったことはない。
ちょっとだけ、出来心で手に持った眼鏡を掛けてみる。目が良い人が掛けると視界が変になるはずだけど、アレン様のはあまり変わらなかった。
お父様のは少し試しただけでも酔ってしまうくらいだったから、アレン様はそこまで目が悪いわけじゃないのかもしれない。
外した眼鏡はベッドのサイドテーブルに置いておく。カップを洗い終わって戻ってきたライアンと再び顔を見合わせて、首を傾げる。
「アレン様はどうするの? そのままじゃ風邪ひいちゃうよ」
「……まぁ、ベッドに運ぶしかないよな」
ライアンは苦笑いをしてそう言うと、アレン様の前に移動した。胸を押さえて緊張しているようだ。アレン様が起きないか心配で、僕も緊張してしまう。
彼は息をのむと、決心したように手を伸ばした。そして眠っているアレン様を軽々と抱え上げた。……それを見て、羨ましいと思ってしまった。
ライアンはまったく重さを感じていないみたいに歩いてくる。はっとしてベッドの毛布を捲りながら、自分の手に目を向ける。
まだまだ子供の小さい手だ。とてもアレン様を抱えたりなんかできない。たぶん、ルーシーでも無理だ。妹や弟は簡単に抱えられたのにと悔しくなってしまう。
僕もいつか、ライアンくらい大きくなれるんだろうか。身長も伸びて手も大きくなって、誰でも簡単に運べるようになるんだろうか。
――これじゃ、ライアンに憧れてるみたいだ。
素直に認めたくなくて、むっとしてしまう。アレン様をベッドに寝かせて丁寧に毛布を掛けているライアンに、八つ当たりで口を開く。
「今日はライアンがアレン様と一緒に寝たら?」
「はぁっ!? な、何言っ……」
驚いて声を上げたライアンに「しーっ!」と指を立てる。体も大きいけど声も大きいんだから気を付けてもらわないと。
ライアンは慌てて口を押さえた。息をついて、呆れたような目で僕を見る。
「急に何言い出すんだよ! ね、寝るわけないだろ。俺は雷も平気だし」
だいたい、とライアンは小声で続けた。
「ロニーが一緒に寝るんだろ? 俺はもう部屋に帰るよ」
そのためにアレンの部屋に来たんだろ、と不思議そうな顔をする彼を見て口を尖らせる。確かにちょっと前まではそうだった。でも、今は違う。
いつもライアンが先に帰るから知らなかったらしい。
「僕も部屋に帰る」
「え?」
「おやすみ! 後はよろしく」
手を振って、何か言われる前にさっさと部屋から出る。扉を閉める時に「いや、俺も帰るって!」と声が聞こえた気がしたけど、気にしない。
ライアンが許可なくアレン様と寝るような奴じゃないのは知ってる。本当はちょっとだけ僕のことを羨ましいと思ってたのも知ってる。
一緒にいたら分かってしまう。だって、友達だから。
廊下にいるのに、外から雷の音が聞こえてくる。騒がしいけど怖くはない。毎日訓練で耳にしているからか、完全に慣れてしまったみたいだ。
ただ、雷が平気になったことはまだ秘密にしている。特に、アレン様には。もう気付かれているかもしれないけど、僕からは言い出さない。
――そうしないと、部屋に行く理由がなくなっちゃう。
学園に入ってから何回も雷の夜が来たけど、怖いのは最初の時だけだった。雷のおかげでアレン様と一緒にいられると思ったら、段々怖くなくなった。
少し前まで、雷が鳴る度にアレン様の部屋に行って一緒に眠っていた。当然のように受け入れてくれるアレン様が優しくて、嬉しくてつい甘えてしまっていた。
魔力調整ができるようになったお祝いとして、『あの子』を貰うまでは。
鍵を開けて自分の部屋に入る。公爵家のアレン様の部屋よりも少しだけ狭いけど、むしろ広すぎなくてよかったと思う。
寮に入ったばかりの頃は誰もいない夜に目が覚めて、寂しくて怖くて何度か泣いてしまった。今はもう、そんなことはない。
ベッドの上にはクマのぬいぐるみがいる。家では妹や弟の前で持っているのが恥ずかしくて、ぬいぐるみは全部彼らのものだった。
でも、この子だけは僕のものだ。ちっとも恥ずかしくなんかない。優しくて強い憧れの人が、僕のために選んで贈ってくれたものだから。
雷の夜はアレン様の部屋に行って3人で話して、眠くなったら部屋に戻って、アレン様に貰ったぬいぐるみと寝る。時々、雨だけの夜もそうやって部屋にお邪魔する。アレン様と一緒に寝ることはなくなったけど、もう寂しくない。
入学前は、家族と離れてまで学園に入りたいなんて思えなかった。でも、アレン様と出会えた。ライアンと友達になれた。ルーシーともよく話すようになったし、セシル王子も優しくしてくれる。
魔力調整もできるようになってきた。野菜も、少しなら食べられるようになった。長期休暇で家に帰ったら、いっぱい話したいことができた。
――学園生活、楽しいな。
みんながいてくれてよかった。優しい人達で、本当によかった。
ベッドに入ってぬいぐるみを抱える。そして、彼に向かってこっそり呟く。昔から大嫌いだったはずのそれは、僕とみんなを出会わせてくれたきっかけで、今では大事な彼の名前になっていた。
「おやすみ、『雷』」
窓の外の光を受けてボタンの目がきらりと光る。
僕の言葉に答えるように、雷鳴が響いていた。




