8話 王宮のお茶会①
雲一つない青空に、白い城のシルエットがはっきり見える。それが段々近付いてくるのを馬車の窓から見て、息をのむ。ここに来るまでに思ったより馬車が揺れたことや、そのせいでクッションから落ちて尻を打ったことなんか吹き飛んでしまいそうなほど美しい。
絵本や映画でしか見たことのないお城が目の前にあるのが信じられなくて、つい子供のように窓にかじりついてしまう。
「大きいわよねえ、お城って。何回来ても案内がないと迷子になっちゃいそう」
母様が微笑み、同じように窓から城を見上げる。その言葉通りとても大きい。きっと奥行もかなりあるんだろう。さっきから何台も馬車が連なって入っていくのに、1台も出てこない。
「どこまで馬車で行くのですか?」
「王宮までね。このお城の中を通って、まださらに奥よ」
母様の言葉に頷いて、また外を見る。敷地内の移動も馬車を使うのが普通なくらい広いんだと思うと、全体の想像がつかない。公爵家もかなり広いが、私の行動範囲がそれほど広くないのもあって、あまり意識したことがなかった。
石造りの橋を通って大きな門を通り、城の中へと馬車が進む。衛兵に窓越しに中を確認されたが、その際に少し笑われた気がする。もしかしたら、ずっと窓にくっついていたのを気付かれていたのかもしれない。ちょっとだけ恥ずかしくなって、そっと席に座り直した。
城の中を、王宮に向かって進む。中と言っても当然建物の中ではなく、建物の下や間を抜けて行く。あちこちに馬車が進むための道が分かれていて、何故か空港の滑走路を思い浮かべた。前を行く他の公爵家の馬車に続いて、ゆるゆると道を曲がる。後ろからはジェニーとナタリーが乗っている馬車が付いてきている。
突然、遠くに炎が上がったのが見えた。
見間違いかと思い、窓の外を凝視する。黒いローブを羽織った人が数人集まっている。その頭上で、炎はゆらゆらと間違いなく浮かんでいた。一瞬考えて、すぐに理解した。
――魔法だ……!
実際に魔法を見たのは初めてだった。母様に見せてほしいとお願いする手もあったが、流石に病み上がりなので、結局今まで頼むことはなかった。
何もない空間に炎だけが浮かんでいるのが、前世のトリックアートのようだ。空の青が炎に透けて揺らめいていて、とても幻想的だった。それをじっと眺めていると、私が何を見ているのか気になったらしく、母様が窓を覗き込んだ。
「ああ、魔法ね。アレンは初めて見るのかしら?」
「はい。彼らは……魔術師、ですか?」
「そうよ。王直属の兵士の中でも貴族出身で、魔法が得意な人たちね」
兵士の中に貴族出身もいるのか……と頷きながら、ふと疑問が浮かんだ。
「あの炎を出した人は、王族なのでしょうか?」
ゲームの設定通り、王族が扱う魔法は火なのだと最近授業で学んだ。特に歴代の王様はみんな火魔法の使い手だったそうだ。それを聞いて、なんとなく王族以外は火魔法を使えないのだと思っていた。母様はそうねえ、と席に座り直して首を傾げた。
「あの人自身は王族じゃないと思うけど、もしかしたら血縁関係に王族がいるのかもね」
なるほど、と再び炎を見る。先祖返りのようなものだろうか。人によっては両親と違う属性の可能性もあるんだなと考えながら、これから会うことになる生粋の火魔法の使い手を思い浮かべる。本来なら、彼との出会いはもう少し先だろう。
ゲーム本編時には既に側近になっていたし、実際出会う予定だった時期はわからない。でも私が母様とお茶会に来て、という形でなかったのは確実だ。
――いかにも『王子様』って感じで、ヒロインのことをお姫様扱いしてて、私は苦手だったんだよなぁ。
世の中の女性はああいうのが好きなのかもしれないが、個人的には女だからという理由でやたらと守られたり優しくされるのが嫌だった。今の私は男なので、そこは心配ないのだが。
ああでも、最後にヒロインに告白した時のセリフはよかったかも……とあれこれ考えていたせいで、微妙な顔になっていたらしい。母様が苦笑いを浮かべながら、私の頭を優しく撫でた。
「アレン、緊張してる? もうすぐ着くわよ」
そう言われ、窓の外を見る。間近に迫る王宮もかなり大きい。
母様と一緒とはいえ、今からここで初めて家族以外の人たちに会うのだと思うと本当に緊張してきた。確か、最初は王妃様にご挨拶をするところからだったはずだ。
――母様のためにも、しっかりしないと。
溢れそうな緊張を飲み込むように、ぎゅっと拳を握りしめた。
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母様に手を引かれて、王宮の庭園を歩く。色とりどりの花が咲いていて、綺麗な色の蝶が舞っている。楽園のようで眺めていたかったが、徐々にお茶会の会場であるガゼボが近付いてきて、それどころじゃなくなった。
後ろを歩くナタリーとジェニーからも緊張が伝わってくる。一度母様と王宮のお茶会に参加したことがあるらしいナタリーですらも緊張しているのだから、ジェニーはそれ以上だろう。
思っていたより広いガゼボの中はお茶会仕様になっていて、あちこちに花が飾られていた。既に何人かの公爵夫人が集まっているらしく、話し声が聞こえる。
小さい階段を上がると、目の前にとても綺麗な人がいた。金色のウェーブがかった髪に紫の瞳。画などでも見たことはなかったが、この方が王妃様だとすぐにわかった。
「アレクシア! 本当に元気そうね。会いたかったわ!」
嬉しそうに微笑む王妃様に、母様は同じように微笑みながら、しかし他の夫人の手前、マナーを守った礼をする。
「ご無沙汰しております、クリスティナ王妃殿下。私もお会いしたかったです。ご挨拶が遅くなってしまい、申し訳ございません。こちらが私の息子、アレンでございます」
背中を軽く押され、一歩前に出た。ちゃんとマナーは勉強してきたはずなのに、緊張のせいか前世の社会人知識と記憶が混ざる。何が正しいのか分からなくなってしまったが、王妃様の前で黙っているわけにはいかない。
「お初にお目にかかります。アレン・クールソンと申します。王妃殿下にお目にかかることができ、光栄に存じます」
本当は名前から入るはずだったのに、余計な一言が入ってしまった気がする。そのせいでこんな短い挨拶の中で『お目にかかる』を2回も言ってしまった。
挨拶としては間違いではないが、やはり気になってしまう。恥ずかしさを打ち消すために、最後に礼をする。それだけはしっかり学んだ通りにできた。……と思う。
こちらを見ていたらしい公爵夫人方が目を丸くしているのが視界の端に映る。病み上がりの母様を悪目立ちさせないためにも今日は6歳の子供らしく振舞おう、と思っていた計画が一瞬で破綻したかもしれない。
申し訳ないと母様を見てみると、何故か当の本人はとてもにこにこしていた。王妃様も特に驚いた様子はない。
「アレクシアに本当によく似ているわ。今日は楽しんでいってね」
「は、はい。ありがとうございます」
優しく声をかけられ、慌てて再び礼を返す。
王妃様は頷いて、一度辺りを見回した。そして、彼を呼んだ。
「セシル!」
私たちが来たのとは反対側に階段を降りた先、ガゼボを挟んだ向こう側は、少し地面が低くなっているようだ。そこに子供たちがいるらしい。セシルと呼ばれた彼は、王妃様とそっくりの金髪を揺らして走ってきた。
「申し訳ありません、お待たせいたしました」
その時点で、6歳とは思えないほど大人びていると感じる。王妃様が私の挨拶に違和感を覚えた様子がなかったのはこのためか。挨拶をと言われて王妃様に背中を押された彼と目が合う。身長も同じくらいなのだろう。
金髪に、太陽のような赤にもオレンジにも見える瞳がきらきらと輝いている。柄にもなく、天使みたいだと心の中で呟いた。
「セシル・ライト・クラインだ。よろしく」
「アレン・クールソンと申します。よろしくお願いします」
差し出された手を掴み、握手をする。そのまま、セシルに付いて子供たちのほうへ行くことになった。
ナタリーとジェニーは母様の傍に控えるらしい。ここからは本当に1人かと、改めて覚悟を決める。母様に楽しんでらっしゃいと手を振られたが、ぎこちなく振り返すことしかできなかった。ジェニーが最後まで心配そうにこちらを見ていた。
「緊張するかい?」
階段を降りながらセシルにそう聞かれ「少しだけ」と答える。
「お茶会に参加する機会が今までなかったので」
「そうか。みんな僕たちと同じくらいの歳だから、マナーも気にしなくていいよ」
「ありがとうございます」
無表情なのが失礼になっていないか不安だったが、セシルは何も気にしていないように笑って返してくれた。緊張のせいで無表情なのだと思われたのかもしれない。
子供たちは木に囲まれた、広場のようなところに集まっていた。周りには小さな花壇がいくつかあり、なんとなく秘密基地のようだった。ガゼボからしか見えない位置にあるのは防犯のためだろうか。
少し離れた場所に王宮のメイドたちがずらりと待機している。広場には所々にテーブルが置いてある。椅子は置かれていないので、立食形式なのだろう。
広場に着くと、王子はあっという間に子供たちに囲まれた。親に言われたのか、単純に子供の好奇心かはわからないが、巻き込まれるのは困るのでそっと離れる。
夫人方には4人掛けのテーブル2つが用意されていたので、招待されたのはおそらく7家なのだろう。しかし子供はざっと見ただけでも10人以上いる。男児に限り、兄弟がいるところは全員招かれたのかもしれない。
そんなことより、と目に付いたテーブルに近寄る。白いテーブルの上に、宝石のように輝くケーキが丸ごと置かれていた。セシルと向かっている間にすでに気付いていたが、確信が持てなかったのは、我が家では見たことがなかったからだ。
――ケーキ、この世界にもちゃんとあるんだ……!
ゲームでもクッキーやチョコレート、スコーンは出てきたはずだが、ヒロインが手作りする以外のケーキは出てこなかった。クールソン家の屋敷でもそうだ。使用人に買いに行かせる暇がなかったのかもしれないし、厨房の彼らには作れなかったのかもしれない。
とにかくこの世界で初めてのケーキだった。タルトのようだが、一番上は紫のムースにコーティングがかかっているようで、つやつやしている。砂糖菓子のような飾りも乗っている。装飾が美しくてつい見とれてしまう。手元にスマホがあったら絶対写真を撮っていただろう。他のテーブルには、また違うケーキが用意されているようだった。
食べてみたいけどせっかくのワンホールを私が崩すのも惜しい……とケーキを眺めていると、紅茶を運んできたメイドが「お取りしましょうか」と声をかけてくれた。反射的に「お願いします」と言いそうになり、言葉に詰まる。とっさに他の言葉がでてこなくて、失礼だと思いながら頷いて返した。
それを確認して、さっとケーキが皿に移される。見えていなかっただけで、しっかり切り分けられていたらしい。断面も美しくて美味しそうで、うっかり王宮のお茶会にいるということを忘れてしまいそうになる。メイドがフォークを渡してくれたので、礼を言って受け取る。
紅茶から口を付けるべきなのかもしれないが、目の前のケーキを一旦置くことができずそのままフォークを入れる。力を入れなくても、サクッとタルト部分まで一口大に分かれた。ここで止める理由もないのでさっそく食べてみる。紫の部分はベリー系の味がした。目立たないようタルトとの間に入っていたクリームもさわやかで美味しい。
あまりこってりした生クリーム系は好きじゃないけど、こういうケーキならいくらでも食べられるなと考えながら、一瞬だけセシルを見る。
せっかく紹介されたのだから、できれば彼ともう少し話してみたい。残念ながら、子供たちの対応で忙しそうだ。全員に返答するだけでもそれなりに時間がかかるだろう。
すべてのケーキを食べ終わる前には話せるといいなぁと思っていると、突然後ろから馬鹿にするように声をかけられた。
「お前、女みたいなやつだな」




