77話 見回りとおやつの時間
生徒会の仕事には見回りも含まれている。身分を振りかざして他の生徒や先生に危害を加える生徒がいないか、定期的に学園内を見て回る。
基本的には1人で担当するが、今日の放課後は私とセシルの2人で見回っていた。
なかなか彼と2人で話す機会がなかったため、廊下を歩きながら最近の出来事を共有する。その中で先日の話が出た。寮の近くで、ルーシーが魔物に襲われそうになっていた件だ。
一応報告書に書いておいたが、念のためセシルには口頭でも伝えておく。彼は困ったような顔をして口を開いた。
「どうやら彼女は時々、先生方の手伝いをしているらしい。授業の片付けや荷物運びに、資料探し……どれも生徒に任せるようなことじゃないんだけど、身分のせいか彼女には頼みやすいみたいでね」
それを聞いて納得する。あの日も何故あんな時間に外にいたのかと思ったが、おそらく先生の手伝いをしていたのだろう。先生方は全員貴族出身だから、平民であるルーシーにはついあれこれと頼んでしまうのかもしれない。
セシルはふぅとため息をついて言った。
「先生方には気を付けるように伝えておいたけど、ルーシーが自ら積極的に手伝っているらしい。悪いことではないから注意するわけにもいかない。ただ、彼女にはもう少し自覚してもらいたいね。自分が国にとって大事な存在であると」
「そうだな。せめて自分の身が守れるならいいんだが」
聖魔法の『ホーリーライト』なら魔物を祓うこともできるが、彼女がその呪文を覚えるのはもっと後になってからだろう。
図書館で聖魔法について調べようとしても、関連する本はすべてマディが燃やしてしまった。クールソン家や王宮図書館にも聖魔法の本は置かれているが、さすがに呪文までは載っていなかった。
私が呪文を覚えた本は、例の隠された図書室にある。聖魔力保持者とはいえ、平民であるルーシーが簡単に入れるとは思えない。
それにあの場所に無断で入ってしまったことは、未だに誰にも言っていない。
――本当に彼女のことを思うなら、今のうちに私からホーリーライトの呪文を教えておくべきなのかもしれないが……。
しかし、イベントでもないのにいきなり教えるなんてことはできないだろう。本来なら氷魔力しか持っていないはずの私が、聖魔法の呪文を覚えている必要はないのだから。
ゲームではどうやって呪文を覚えたんだったかと考えつつ、セシルに尋ねる。
「彼女は怪我を治す魔法しか使えないのか?」
「どうだろう。他の魔法が使えると聞いたことはないけど」
彼は首を傾げた。私もゲームのヒロインが使っていた魔法は、ヒールとホーリーライトの2つしか覚えていない。戦いのイベントばかりではなかったし、ヒロインは基本的に攻略対象の怪我を治すだけだった。
最初からヒロインが聖魔法を使いこなしていたら、きっと攻略対象に魔物から守られるというイベントはなかっただろう。
なんにせよ、ルーシーが自分を大事にしようと思わなければ意味はない。ゲームなら必ず誰かが助けに来てくれるが、現実でもそうとは限らない。常に見える範囲にいるわけでもなければ、彼女のピンチが分かるわけでもない。
聖魔法も他の属性と同じように、自分で魔法を作り出すことはできないのだろうかと頭を捻る。
「自分の身を守る魔法くらいは覚えておいた方がいいかもしれないな」
私がそう言うと、セシルは頷いた。
「そうだね。魔力調整ができていれば、創作呪文も使えるかもしれない。ただ聖魔法を扱う人がいないから、手本となる魔法がないのが難しいところだけど」
「……なるほど、確かにな」
思えば、私も聖魔法の創作呪文は使ったことがない。怪我を治す、闇を祓うはイメージできても、それ以外のイメージが浮かばないからだ。
聖魔法に関する本はたくさん読んだが、治療以外で具体的に何ができるかまでは書かれていなかった。こんなことなら前神官様に聖魔法を見せてもらうべきだったなと思いながら、廊下の窓から外を見る。
「……ん?」
中庭のガゼボ辺りに人影が見え、足を止める。桃色の髪はルーシーだろう。その彼女を囲うように数人の女子生徒が集まっている。
この位置からは表情まで見えないが、なんとなく察しがつく。これはもしやと思ったところで、セシルが言った。
「あれ、噂をすれば。一緒にいるのは友達かな?」
「いや……絡まれているんじゃないか?」
「えっ?」
彼は再び、じっと窓の外を見詰めた。なにやらルーシーが首を振っているのが見える。ベンチもあるはずなのに誰も座らず、ずっと立ったまま話しているようだ。
「ルーシーは何かを抱えているようだね。大事なものかもしれない」
「よく見えるな」
相変わらず目が良いらしい彼は、何かを考えるような素振りをして顔を上げた。
「よし、生徒会長として僕が見てこよう。いきなり2人で行ったら驚かれるかもしれないし、君はこの辺りで待っていてくれ」
「ああ、わかった」
中庭へ向かう彼を見送り、小さく息をつく。まさかこんな形で見守ることになるとは思わなかった。窓の外から見えない位置に移動し、こっそり様子を伺う。
女子生徒たちは突然現れたセシルに分かりやすく慌てていた。何かを話した後、頭を下げてそそくさと立ち去っていく。この流れには見覚えがあった。
――セシルルートのイベントだ。
平民であるヒロインがセシルと一緒にいたことに対し、貴族の令嬢が複数人で絡んでくる少女漫画的なイベント。
ヒロインは生徒会長である彼に相談をしただけだと話すが、そもそも平民が学園にいることが気に食わない彼女たちに責められてしまう。そこにセシルがやってきて、堂々とヒロインを庇う。
王道展開だからか、はっきりと記憶に残っていたようだ。
ゲームではカロリーナがいたような気もするが、そこまでは覚えていない。去年のダンスパーティー以降、カロリーナがセシルの婚約者候補だということは学園中に広まった。それはゲームでもこの世界でも同じはずだ。
もしかしたら、いずれカロリーナの友達が彼女のためを思って勝手に行動することもあるかもしれない。しかし少なくとも、今中庭にいた彼女たちをカロリーナの傍で見たことはなかった。
彼女は関係なさそうだなと考えていると、ふいにセシルがこちらを向いて手招きをした。彼のイベントだと分かっているから邪魔したくはないが、呼ばれたなら行かないわけにはいかない。
渡り廊下から中庭に出ると、ルーシーが目を丸くした。
「アレン様もいらっしゃったんですね。ごめんなさい、セシル様。生徒会のお仕事を中断させてしまって」
「いいんだよ。そのために見回っているんだから」
セシルは苦笑いを浮かべた。彼の言う通り、こういう事件が起こった際に止めるための見回りだ。ルーシーが謝る必要はない。
同意するために頷くと、彼女はほっとしたように眉を下げて笑った。
「ところで、君は何を抱えているんだい?」
「えっと、これは……」
ルーシーは手に持っていた紙の箱を開いた。中には小さなカップケーキが5つ並んでいる。閉じ込められていた甘い香りが、辺りにふわりと漂った。
「さっき調理の授業で作ったんですが、みなさんに平民が作ったものは食べたくないと言われてしまって……持って帰って夕食にしようと思っていたんです」
つまり、これはルーシーの手作りだということだ。ちらりとセシルに視線を向けると、予想通り彼は目を輝かせていた。
セシルがヒロインのケーキを食べるイベントはもう少し後半にあった気もするが、ここで何もしないのは攻略対象らしくないだろう。
そう考えていたところで、セシルがルーシーに向かって微笑んだ。
「それなら、僕たちがもらってもいいかい?」
自然に巻き込まれてしまったが仕方ない。こんなに近くにいたらそうなるよなと思いつつ、邪魔をして申し訳ないと心の中で謝っておく。
ルーシーは「えっ!?」と驚いた顔をした。
「で、でも平民が作ったものなんて」
「王宮にだって平民出身のシェフが働いているよ。それに、僕もアレンも昔から甘いものが好きなんだ」
「え、アレン様も……?」
彼女に視線を向けられ、なんと返せばいいか迷う。セシルの前で嘘は付けないし、かといって素直に好きだと言うのもなんだか違う気がする。
彼女だけに冷たい態度を取っていると気付かれない程度に応えたい。悩んだ末、腕を組んで視線を返す。
「悪いか?」
「い、いえ! 意外だなと思っ……すみません!」
ルーシーは慌てて首を振った。セシルはきょとんとして、次いで小さく笑う。
「確かに、アレンを知らない人からすれば意外に思えるかもしれないね」
「セシルまで……」
「ごめん、冗談だよ」
私たちのやり取りを見ていたルーシーは、不思議そうに目をぱちくりとして「仲がいいんですね」と笑った。
3人でガゼボに入り、中心のテーブルにカップケーキの入った箱を置く。身分を気にして立ったままのルーシーにセシルが声をかけ、並んでベンチに座る。
そこで、渡り廊下の方から声がした。
「あれ、ルーシー? アレンとセシル王子も」
「みんなで何をしてるんですか?」
ライアンとロニーが並んで歩いてくる。ルーシーが彼らに状況を説明しているのを聞きながら、頭に疑問符が浮かぶ。
これはセシルのイベントだと思っていたが、共通イベントだったのだろうか。こうして全員が中庭に集まるイベントもあったような気がする。記録が読めなくなってしまったから、はっきりとは覚えていないが。
ライアンとロニーもベンチに腰を下ろし、結局全員でカップケーキを食べることになる。ルーシーも入れてちょうど人数分だ。
念のためセシルが食べるケーキはライアンが毒味をして、当然何事もなくそのままおやつタイムになった。
「美味い! カップケーキ好きなんだよなぁ俺」
ライアンは相変わらずしっかり感想を伝えつつ、美味しそうに頬張っている。ひとくちが大きいため、減るのも早い。その横でちまちまと食べているロニーは反対にひとくちが小さく、ちょっとだけ食べ難いようだ。
「平民が作ったにしては、なかなか……」
と、素直じゃない褒め方をしながらも、大事そうにカップケーキを両手で支えている。彼らの言葉に、ルーシーは嬉しそうに笑っていた。
いつの間にか、ライアンやロニーともかなり仲良くなっていたようだ。
――それもそうか。良い子だからな。
これまで何度か関わっただけでも、ルーシーはヒロインらしい素直で優しい子だと思う。先生方の手伝いもするし、礼儀もしっかりしている。表情がころころ変わるから感情も分かりやすい。
そんな相手に冷たい態度を取って、毎回悲しい顔をさせているのが心苦しくなってしまう。そろそろ私も素直になっていいだろうか。……いや、まだ早すぎるか。
もうしばらくはクールキャラらしく振る舞おうと考えながら、私もカップケーキを口に運ぶ。思ったよりしっとりとした、シフォンケーキのような食感だった。
紅茶が欲しいなと思っていると、ルーシーの視線がちらちらと向けられていることに気付いた。感想待ちだろうか。目線を逸らしつつ、呟く。
「……懐かしい味がする」
遠い昔どこかで食べたことがあるような、素朴な手作りのお菓子といった味だ。私は好きだが、公爵家のアレン・クールソンとしては声高に「美味い」と言うわけにはいかない。ここは言葉ではなく行動で示すべきかと黙って食べ進める。
ルーシーはそれを見て、ほっとしたように微笑んだ。
「とても美味しいよ。君は家でよくお菓子を作っていたのかい?」
セシルが尋ねると、ルーシーは頷いた。
「はい。近所に年下の子が多かったので、おやつによく作っていたんです」
私も食べるのが好きなので、と言いつつ彼女もカップケーキを手に取る。大きいのを私たちに出してくれたらしく、彼女のはひとまわり小さいようだった。
目の前でヒロインと攻略対象たちが並んでおやつを食べている姿を見て、なんだか不思議な感じがする。髪の色が花のようにカラフルで、穏やかな日差しが辺りを照らしている。
――このまま何事もなく、平和な日々が卒業まで続けばいいのに。
マディがいる限り叶わない願いだと分かっているが、ついそう願ってしまう。
そのためにも、魔界の門の封印は絶対に成功させなければならない。先日は裏山から離れた寮の近くでも魔物が出た。少しずつ、着実にストーリーは進んでいる。
こうして平和に過ごしている裏でも、ラスボスは動いているかもしれない。
会話に参加せず黙ってそんなことを考えていたら、私が誰よりも先にカップケーキを食べ終えてしまっていた。




