69話 2度目の入学式
新入生が講堂の席に着くのを眺めながら、ふうと息をつく。できるだけ意識しないようにしているが、これからが本番だと思うとどうしても緊張してしまう。
隣に立ったセシルが小さく笑った。
「アレン、顔が怖くなっているよ」
「……自覚はある」
そう言われても、緊張すると勝手にそうなってしまうのだから仕方がない。クール担当として初対面のイメージにはちょうどいいだろう、ということにしておく。
――それにしても、2度目の入学式か。
改めて考えると、1年が過ぎるのはあっという間だった。去年の入学式は一番後ろに座っていたが、今年は生徒会として一番前の列に座る。
生徒たちが全員揃うまではステージの前方で腕を組み、確認のふりをしてヒロインを探す。しかし、わざわざ探す必要はなかったようだ。
突然、生徒たちがざわついた。セシルとカロリーナが揃って顔を上げる。
「来たみたいだね」
セシルの視線の先には、桃色の髪をした女子生徒がいた。肩の上で柔らかく波打つ髪を揺らして辺りを見回し、どの席に座るべきかと迷っている。
それを見たカロリーナが、こちらに顔を向けて言った。
「私が席を案内して参ります。女性同士の方が良いでしょうから」
「わかった。よろしく頼むよ」
彼女は微笑んで、段を上がっていく。ゲームのカロリーナは平民嫌いだったが、彼女はそこまで身分を重視していないようだ。
もしかしたら、2人が友達になるようなこともあるのかもしれない。ただそうなると、ヒロインがセシルルートを選んだ時は辛い状況になってしまうだろうか。
カロリーナとヒロインが話しているのを見上げ、セシルが呟いた。
「もしやと思っていたけど、やはり彼女だったか」
彼はこれが再会だと気付いているようだ。当然私も『彼女』が誰だか分かっているが、他に桃色の髪の人物がいないとも限らない。そう考え、彼に尋ねる。
「以前君が言っていた、桃色の髪の少女というのは彼女なのか?」
「うん、そうだよ。髪色も珍しいけど、瞳が前神官様と同じ金色でね。それも珍しいなと覚えていたんだ。まさか、聖魔力保持者だったとは」
それを聞いて、改めてヒロインに視線を向ける。ここからでは分かり辛いが、確かに金色の瞳をしているように見える。
やっぱり本来の聖魔力保持者は金色なんだなと思っていると、セシルがちらりとこちらを見た。
「アレンは、彼女に会いたがっていたよね?」
どうやら、去年の入学式後に話したことを覚えていたらしい。
少しだけ考えて、答える。
「前にも言ったが、桃色の髪が気になっていただけだ」
「そ、そうだったね」
彼は苦笑いを浮かべた。私が彼女に興味があるか、気になっているのだろうか。
もしかして、実はすでにセシルのルートに入っているのかもしれない。セシルはこのゲームの代表攻略対象だ。何も考えずにプレイすると、自動的に彼のルートに向かうようになっていた気がする。
――しかしゲームの世界とはいえ、ここは現実だからな。
さすがに1度出会っただけの相手と恋に落ちることは……と考えて、首を振る。恋をしたことがない私にはわからない。セシルが偶然出会ったヒロインに一目惚れをしていてもおかしくない。
それにここは、ゲームはゲームでも『乙女ゲーム』の世界だ。人によってはかなり早い段階で恋心が芽生える可能性もある。
と、そこで講堂の扉が閉められた。生徒たちが全員席に着いたらしい。カロリーナが戻ってきたことを確認して私たちも席に座る。
シャンデリアの灯りが消え、入学式の流れが説明される。去年と同じように新入生代表挨拶があり、次いで在校生代表挨拶の番になった。
「行ってくるよ」
そう言ってセシルが立ち上がる。去年は緊張していたらしいが、今年はそうでもなさそうだ。席に座ったまま彼を見送ると、カロリーナが小声で呟いた。
「特等席ですわね」
その言葉に黙って頷く。去年は私に合わせて彼女も後方の席に座っていた。婚約者候補の勇姿が間近で見られるこの席は、確かに特等席だろう。
壇上で話しているセシルを見ながら、後方にいるヒロインのことを考える。きっと今頃、彼女はセシルの堂々とした姿に感動しているはずだ。
ゲームではここで、『どこかで彼に会ったことがあるような気がする』という伏線が張られていたと思う。同じくセシルも、彼女のことを運命の相手と確信できない状態でストーリーが進んでいく。……ゲーム、では。
――セシルは、街で彼女に会ったことを覚えていたな。
まさか髪色だけでなく、目の色まで覚えていたとは。もしやヒロインも、最初から彼のことをはっきり覚えているのだろうか。
少しだけ不安になったところで、生徒会長であるセシルの挨拶が終わった。戻って来た彼をカロリーナと共に拍手で迎える。
「とても素晴らしかったですわ」
「ああ。立派な生徒会長だった」
「ありがとう、2人とも」
彼は照れたように笑って席に着いた。
そこまでは、去年と同じく落ち着いた入学式だったのだが。
ドスドスと足音を立てて、目の前を黒いローブが横切っていく。思わず眼鏡を押さえ、ため息をつく。セシルとカロリーナも静かに眉根を寄せた。
彼はまっすぐ壇上に向かうと、にやりと大きく笑みを浮かべて口を開いた。
「新入生の諸君、私が学園長のマディだ」
偉そうな自己紹介から始まり、何故かつらつらと自分の半生を語り出す。一応ここは学園長祝辞となっているが、一向に祝辞らしき言葉は出てこない。
「……あの人はまだ、学園長『代理』のはずなんだけどね」
隣の席で、セシルが不満げに呟いた。
===
入学式が終わった後。私とセシル、カロリーナは生徒会室にいた。
生徒会室は横に広く、大きな窓の前に生徒会長であるセシルの机がある。副会長である私とカロリーナの机は、左右の壁を背にして向き合うように置かれていた。
ただ、今は誰も自分の席に着いていない。
中央のテーブルに新入生名簿を置き、来客応対用のソファーに並んで座る。名簿をぱらぱらと確認しながら、セシルが言った。
「正直、この1年は大変な年になりそうだな」
「去年も色々なことがありましたが、それでも平和でしたのね」
2人の会話を聞いて小さく頷く。もちろんヒロインのことも心配だが、一番不安なのはマディ学園長代理のことだ。
――いや……ラスボスに敬称を付けるのもどうだろう。
心の中ではマディと呼ぶことにする。相手は年上だが、呼び捨ても仕方がないと思えてしまうほど、彼の傍若無人ぶりは酷いものだった。
「まさか、学園長祝辞だけで1時間を越すとは思わなかったよ。入学式の打ち合わせにも時間が掛かってしまったし、今後が心配だな」
「よほど必要なこと以外は、生徒会としても相談すべきではないかもしれない」
そう返しながら、私も名簿を確認する。セシルは「そうだね」と苦笑した。
「本気で生徒のことを考えてくれるようにも見えないし……あ、そうだ」
「どうした?」
彼の手が止まったのを見て、首を傾げる。セシルはソファーから立ち上がると、生徒会長席に向かった。机の上の書類を確かめ、振り返る。
「明日のオリエンテーションに向けて、過去の生徒会活動記録を調べようと思っていたんだ。古いものは図書館に保管されているみたいだから、借りてこないと」
「それなら私が行こう。オリエンテーションに関する資料を探してくる」
1年目は放課後も含めてほとんど図書館にいたため、生徒会の記録が置かれている場所も覚えていた。私が立ち上がると、セシルは納得したように微笑んだ。
「君のほうが詳しいか。じゃあ、お願いしようかな」
「私もご一緒しましょうか?」
「いや、数冊なら1人で持てるから大丈夫だ」
2人に見送られて部屋を出る。ここから図書館まで行くには、階段を下りてすぐの渡り廊下を通ったほうが早いかもしれない。
そう考え、さっそく階段に向かおうとした時だ。
廊下の先から、桃色の髪をした女子生徒が歩いてくるのが見えた。
はっとして、進みかけていた足を止める。入学式後の生徒会室前。そうかこれが『出会い』イベントか、と息をのむ。
彼女は窓の外を見ながら歩いていて、まだ私には気付いていないらしい。こちらから声をかけなければならない。
しかし、何と言えばいいんだろう。
――女の子に対していきなり『おい』なんて声をかけるのは、さすがにな……生徒会として名前は知っていてもおかしくないだろうし、その方向でいくか。
緊張で顔が強張るのを感じつつ、こほんと咳をする。
彼女がこちらを向いたのを確認して、口を開く。
「ルーシー・カミン。こんなところに何の用だ? この先には何もないが」
最初の言葉としては、なかなか冷たい感じで言えたのではないだろうか。
ルーシーは目を丸くすると、慌てて手を振った。
「す、すみません! 校舎が広くて迷ってしまって」
「今日の予定は入学式だけだろう。講堂から出て直接寮に戻れば良いはずだが、何故わざわざ校舎に入る必要がある」
「え、えっと……」
彼女は口ごもって俯いた。その様子に罪悪感を覚える。セリフは覚えていないから即興だったが、そのせいで強く言いすぎてしまったのだろうか。
彼女が来た理由は分かっている。小さく息をついて、眼鏡を押さえる。
「生徒会室に用があるのか?」
私がそう尋ねると、彼女はぱっと顔を上げた。生徒会室の扉を見て、頷く。
「用というほどではないのですが、その……せ、生徒会長とお話ししてみたくて」
やっぱりそうか、と心の中で呟く。彼女はステージ上にいたセシルを見て、幼い頃出会った相手かを確認するために生徒会室を訪れたのだろう。
ゲームではそこでアレンに冷たくあしらわれ、帰る途中で、セシルが生徒会室から出てくる流れだったはずだ。
つまりその通りに進めるのであれば、ここで彼女を冷たくあしらわなければならない。拳を握り、勇気を出して応える。
「あいにくだが、生徒会長は明日の準備で忙しい」
「そ……そう、ですか」
彼女は悲しそうに目を伏せた。そこで間が空く。……が、いつまで経っても生徒会室の扉が開く気配はない。
嫌な予感がする。
――ここでセシルが出てこなかったら、ただ私がルーシーを追い返しただけになってしまうんだが……?
互いに無言の時間が続くが、一向にセシルは現れない。ルーシーは諦めたように肩を落として、ぺこりと頭を下げた。
「すみませんでした。また日を改めます……」
そう言って、階段に向かって歩いていく。どうしよう。これでは2人の再会イベントがないまま、乙女ゲームの始まりである今日が終わってしまう。
それではストーリー通りにならない。思わず「待て」と彼女を引き留める。きょとんとして振り返ったルーシーから、そっと目を逸らす。
「……生徒会役員として、生徒の話も聞かず追い返したとなれば外聞が悪い。改めて確認するからその場で待っていろ」
「え?」
彼女が返事をする前にさっと生徒会室の扉を開け、中に入る。ぱたんと扉を閉めたところで、セシルとカロリーナが目を丸くした。
「あれ? どうしたんだい、アレン」
「……廊下にルーシー・カミンが来ている。セシルと話したいそうだ」
「ルーシーが? なんだろう。とりあえず中に入ってもらおうか」
自分で追い返しておきながら呼び止めて、忙しいはずの生徒会長と話す機会を設けるとは。我ながら滑稽だなと思いつつ、再度扉を開ける。
律儀に同じ場所で立ち止まっていたルーシーを手招くと、彼女はおそるおそる生徒会室に入ってきた。それを確かめて、セシルに声をかける。
「では、私は図書館に行ってくる」
「ああそうか。いってらっしゃい」
彼女と交代するように部屋を出る。本来なら廊下で話す場面だが、ゲームでも傍に『アレン』がいた。カロリーナが一緒にいても問題はないだろう。
それに廊下ならともかく、室内で男女2人きりは問題になりかねない。閉じた扉に背をつけて、大きく息をつく。
――とりあえず、ヒロインと出会うことはできた。セシルも無事再会できた。ゲームとは違うが、まぁいいだろう。
クールキャラというより優柔不断な人になってしまった気がしなくもないが、仕方ない。何故かセシルが生徒会室から出てこなかったのだから。
都合よく扉の向こうに会話が聞こえるというわけでもないのだろうか。カロリーナが一緒にいたから、ちょうど話していて聞こえなかったのかもしれない。
そんなことを考えながら階段を下りたところで、白衣を着た人影が見えた。
「あらアレン。こんなところで会うなんて、奇遇ね」
リリー先生は一瞬だけ目を丸くして、嬉しそうに笑った。




