68話 学園長と覚悟
「なるほど……学園長が倒れたのは、そのせいだったのか」
学園長室の扉前で、セシルが顎に手を当てた。
あの事件から3日。他の生徒たちは休んでいるが、生徒会に入る私はセシルとカロリーナと共に、入学式の打ち合わせに集まっていた。
学園長補佐である先生に呼び出されて学園長室に来たものの、辺りには誰もいない。部屋の鍵も閉まっているため、先程からしばらく廊下で話している。
「神殿に運び込まれたのは聞いたけど、君がその場にいたとは思わなかったよ」
「ああ。……すぐ近くにいたのに、何もできなかった」
「仕方ありませんわ。そんな状況でできることなんて限られていますもの」
当然のように私の話を信じてくれる彼らに、安堵する。リリー先生が言っていた通り、闇魔力を持っていない証明なんて簡単にはできない。
私があの場で学園長に危害を加えたのではと思われてもおかしくないのに、セシルもカロリーナも一切疑う様子がなかった。
リリー先生が庇ってくれたらしく、私が学園長と一緒にいたことは先生方も知らないようだ。念のため2人にも、ここだけの話にしてもらうよう頼んでおく。
「しかし、闇魔法か。最近学園に違法魔道具が持ち込まれていた件もあるし、誰かが何かを企んでいるようだね」
セシルの言葉に頷いて返す。この場でラスボスのことを伝えられたらいいのだが、何故そんなことを知っているかと聞かれたら答えられない。ラスボスが魔界の門を開けようとしているなんて証拠もない。
小さく頷いて、カロリーナは不安そうな顔をした。
「魔物の出現も増えてきましたし、今後は学園内でも警戒が必要ですわね」
「ああ。生徒会として、生徒たちを守る機会も増えるだろう」
すでに生徒会長としての責任を感じているらしく、セシルはぐっと拳を握った。その様子を見て、あまり気負わないでほしいと思ってしまう。彼は生徒会長である前に、この国の大事な王子だ。
「本来ならセシルは、守られる立場のはずなんだがな」
私がそう言うと、彼は「王族は民を守るために存在しているんだよ」と笑った。
これからストーリーが進むにつれて魔物の出現率は高まっていく。セシルは王子だが、学園に護衛兵を連れてくることはできない。
きっとゲームでは、側近のアレンが護衛も担当していたのだろう。私もしっかり彼を守らなければと心の中で呟く。
「そういえば、学園長はまだ快復なさらないのでしょう? 入学式ではどなたが演説をなさるのでしょうか」
カロリーナは未だ閉じたままの扉を見て言った。セシルが同じように扉を見る。
「おそらく今後は、『学園長代理』がそういったことも任されるんだろう」
「学園長代理……確か、学園長のお兄様でしたわね。セシル様は、お会いしたことがあるのですか?」
「以前見学に来た時に、1度会ってはいるけれど……」
彼は言葉を濁した。表情から、その学園長代理とやらがあまり良い人物ではないのだと感じ取れる。それもそうだろう。だって私の記憶では……。
そこで突然、部屋の中から声がした。
「まったく、それにしてもグレイのやつめ。紛らわしいことを言いおって」
「が、学園長が何か?」
「なんでもない。はぁ、例の聖魔力保持者の傍にいるのかと思ったのに無駄撃ちだったな。多少の効果があってもこれでは割に合わん」
不機嫌そうな声が廊下まで響き、3人で顔を見合わせる。どうして急に部屋の中に現れたのだろう。他に入口があるのだろうか。
不思議に思いつつ、扉をノックする。「あれ、鍵が」という声と共に扉が開いた。学園長補佐である先生が顔を出し、私たちを見て目を丸くする。
「セシル王子? それにクールソン様とスワロー様も。どうかなさいましたか?」
「どうって……あなたが呼んだんじゃないか」
セシルが怪訝な顔をする。先生は目をしばたかせた。
「えっ? わ、私がですか?」
オロオロと慌てている様子を見て理解する。うっかり忘れたというわけでもなさそうだ。この先生もまた、記憶を消されているのだろう。
どうしてかは分からない。が、王子であるセシルを呼びつけて忘れていたなんて不敬になってしまう。軽く咳をして、話を進めるために口を開く。
「我々は入学式の最終確認をしに参りました。学園長はご在室でしょうか?」
「は、はい。いらっしゃいます」
「よろしければ、打ち合わせのお時間をいただけますか」
先生は1度学園長席を振り返ると、「どうぞ」と扉の前から退いた。視界が開けて室内の様子が見える。部屋の奥に置かれた大きな机にその人は座っていた。
灰色の髪を後ろに流した70代くらいの男性。身に纏った黒いローブも生やした髭も、今まで見ていた『学園長』にそっくりだ。
外見で違っているのは、その鋭い目つきと……丸い眼鏡を掛けていることだけ。
「やぁ、いらっしゃい新生徒会の諸君。私が学園長代理のマディだ。学園長と呼んでくれても構わない。どうせいずれそうなるのだから」
彼はにやりと嫌な笑みを浮かべると、偉そうな口調で言った。
「身分を問わないこの学園では、今後は私が最上位となる。十分敬うように」
なるほどな、と心の中で呟く。王族であるセシルに対しても無礼な態度。あからさまな怪しさ。透けて見える性格の悪さ。そして、『学園長』に瓜二つな外見。
かすかに覚えているラスボスの姿が、目の前にあった。
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灯りを消し、眼鏡をサイドテーブルに置く。ベッドに横になって息をつく。
入学式まであと少し。ラスボスのマディが学園長代理の地位に就き、ヒロインであるルーシーが入学してくる。いよいよ、乙女ゲームの始まりだ。
――まさか入学式の数日前に学園長が代わるとは。
ゲームでもそうだったのだろうか。操作はヒロイン視点のため、彼女が入学する1年前の描写なんてなかった。魔道具の暴走もダンスパーティーの事件も、話に出てこなかっただけで起こっていたのだろうか。
マディ学園長代理の性格はゲームと変わらない気がする。きっとゲームでも同じように事件を起こし、学園長を辞任に追い詰めていたはずだ。倒れた学園長は休職中扱いになっているが、これから先どうなるかはわからない。
今日の打ち合わせも酷かったな、と眉を顰める。セシルに対しても最初から最後まで偉そうだったため、他の先生方には敬語を使わない彼もさすがに敬語になっていた。途中から愛想笑いで固まっていたことを思い出し、先行きが不安になる。
入学式後には、攻略対象者も全員揃うだろう。ただ、そこからすぐ魔界の門へ向かえばいいというわけでもない。
ヒロインは最初から聖魔力を使いこなせるのではなく、攻略対象の怪我を治したりイベントを進めることで、徐々に強くなっていく。力が十分でないヒロインに任せても、完璧な封印ができるとは思えない。
私の力で補えるかもしれないが、余計なことをして万が一封印が失敗したら、そのままバッドエンドに向かう可能性もある。
危ない橋は渡れない。門の封印はできるだけゲーム通りにした方がいいだろう。
つまり門の場所はなんとなく分かっているのに、今は行動を起こせないということだ。もどかしいとは思うが、急いては事を仕損じるともいう。
大人しくストーリーが進むのに任せるしかないか、と目を閉じる。
――ヒロインが入ってきたら、私もちゃんと『攻略対象』をやらないとな。
何よりも心配なのはそこだ。大筋を破綻させないためにクールキャラとして振舞うと決めたは良いものの、ヒロインとはどうやって接するべきなんだろう。
アレンのルートはやっていないから、個別イベントはもう運に任せるしかない。しかし、出会いのシーンだけはなんとなく覚えていた。
ヒロインが入学式後にセシルルートを選ぶと、生徒会室前でアレンに出会う。セリフは覚えていないが、冷たくあしらわれた気がする。
そのあしらう側をやるのかと思うと、若干胃が痛くなってきた。初対面の女の子にあまり強い言葉は使いたくない。かといって、最初から優しく対応するのはクール担当らしくない。
入学式の後はオリエンテーションのイベントがあって、どこかで授業のイベントもあったはずだ。わざわざイベントとして取り上げられるくらいだから、攻略対象である私たちも何かしらの理由で一緒にいるんだろう。
他にどんな共通イベントがあったかと考えているうちに、段々目が冴えてきた。
――念のため、少し確認しておくか。
仕方なくベッドから起き上がり、眼鏡を回収しつつ壁際の机に向かう。引き出しの奥から、ゲームの記憶を記録しておいた本を取り出す。わざわざ燭台に火を灯すのは面倒なので、カーテンを開けて月明りの下でページを開く。
そこで、絶句してしまった。
書いてある文字が読めない。
消えているわけではない。確かに文字として残っている。自分で書いたことも覚えているし、それが日本語ということも分かる。
それなのに、読めない。まったく頭に入ってこない。まるで学生時代のノートを社会人になってから開いた時のように……いや、それ以上に『理解』ができない。
――おかしい。だってつい最近まで、普通に読めていたはずだ。
手が震えそうになるのをぐっと堪えて、ページをめくる。いくら冷静になろうとしても、意味の分からない言葉が羅列されているようにしか見えない。記憶と照らし合わせてみても、何故かしっくりこない。
少しだけ考えて、日本語の発音を試してみる。が、近くに誰もいないため、本当に日本語になっているのかはわからなかった。
カーテンを開けたまま机に移動してペンを取り、日本語を書こうとして手が止まる。何も書けない。すでに書かれた文字をなぞっても、ただの記号のようだった。
こんなに急に、読めなくなるものだろうか。もしや、乙女ゲームの本編が始まるからだろうかと不安になる。何かしらの強制力が働いているのか……それとも。
――記憶を消す闇魔法が、変に作用しているのか……?
聖魔力を持っているから耐性があるといっても、完璧に闇魔法を無効化できるわけではないのだろうか。
どちらにせよ、これで完全にゲームの記憶は頭の中にしか残っていない。とりあえず何も書いていないページを開き、この世界の言葉で、今もなんとか覚えているイベントを書き連ねていく。こちらは普通に本を開き直しても読むことができた。
まぁ、前世の言葉を覚えている方がおかしいか。と、自分を落ち着かせるために息をつく。日本語なんてこの世界で使う機会もない。10年以上使っていなかったのだから、忘れるのが当然なのかもしれない。
ただ、これが闇魔法のせいなら話は別だ。このままゲームの記憶まで消えてしまえば、マディ学園長代理がラスボスであることも忘れてしまう。
急いでそのことも本に記しながら、他に何か忘れてしまったことはあるかと頭を捻って、気付いた。
前世で日本という国に住んでいたのは覚えている。でも、その中のどこにいたのか覚えていない。街の風景は覚えているのに、地名が浮かばない。
「……あれ?」
毎日通っていた会社の名前がわからない。いつも一緒に昼食を取っていた先輩の名前がわからない。出身校の名前がわからない。友達の顔は覚えているのに、親友の顔は覚えているのに、名前が思い出せない。
このゲームを勧めてくれた従姉妹の名前も、育ての親である祖父母の名前もまったく思い出せなくなっている。苗字すら、……苗字?
「……私の、名前……何だっけ?」
そう呟いた瞬間。ぞっと背筋が冷たくなった。
ちゃんと覚えていたはずなのに、思い出せない。鏡に映った自分の顔を覚えていない。親友に何と呼ばれていたか覚えていない。女性だったことも会社で働いていたことも、どんなことがあったかは、だいたい覚えているのに。
前世の『私』を、思い出せない。
それが酷く恐ろしいことのように感じる。急に足元が不安定になったようで、よろけた勢いで机に手をつく。
少し前まで疑問にも思わなかったのに、どうして急に忘れてしまったんだろう。むしろ闇魔法のせいであってくれと願ってしまう。
――どうしよう。このまま、全部忘れてしまったら……。
そこで、ふと視界の端で何かが光った。
俯いていた顔を上げる。机の上に置かれたガラス細工の猫が、じっとこちらを見ていた。月の光を受けて、金色にきらきらと輝いている。
赤い瞳に惹かれるように手を伸ばす。本当にセシルそっくりだ。不思議と見守られているような気がして、大きく息をつく。
これを贈ってくれた相手に呼ばれている名前を、口に出す。
「……アレン。私の名前は、アレン・クールソン」
この乙女ゲームの世界の、クール担当攻略対象者。
ぎゅっと猫を両手で握りしめる。前世の名前を忘れたって、本当に大事な記憶さえ消えていないならそれでいい。私の目的は10年前から変わっていない。
魔界の門の開放を阻止して、みんなが幸せなエンドを迎える。
そのために、私にできることは。
――乙女ゲームのクール担当として、役目を全うすることだ。
「……やってやろうじゃないか」
パタンと本を閉じた音が、静かな部屋に響いた。
そして迎える2度目の入学式。
題名も覚えていない、乙女ゲームの本編が始まる。




