65話 ダンスパーティー②
隣でアンディーが固まっている。もしかして、ダンスパーティ中に裏庭へ行っては駄目なのだろうか。確かに魔物が現れる可能性を考えると、ホールから出ない方が安全なのかもしれない。
リリー先生はスタスタと近寄ってくると、目を丸くして微笑んだ。
「あら、アレン。今日はちゃんと髪型もセットしてもらったのね。素敵じゃない」
「ありがとうございます。……裏庭は使用禁止なんですか?」
「そういうわけじゃないけど、危険なのよ。人があんまり来ないから色々とね」
そう言ってアンディーに目を向ける。
アンディーは顔を青くして、慌てたように手を振った。
「ち、ちが……僕はそういうつもりでは」
「大丈夫よ、そこまで疑ってるわけじゃないから」
一体彼らは何の話をしているのだろう、と頭を捻る。夜の学園、賑やかなホールの裏であまり人が来ない場所。前世の感覚だと、飲酒や喫煙をする不良が集まってそうなイメージがある。魔物が危険というより、羽目を外す生徒がいないか見張っているのかもしれない。
――先生としては、生徒が危険な行動をしてないか気になるよな。
しかし『ダンスの練習をしようとしていた』なんて、私から言ってもいいのだろうか。アンディーはこっそり頼んできた。できるだけ人に知られたくないはすだ。
何と言うべきか迷っていると、リリー先生が思い付いたように言った。
「アレン、ちょっといいかしら。髪型が崩れてるみたいだから、整えてあげるわ」
「え?」
答える間もなく、先生の手が伸ばされる。髪を結っている部分が緩んでいたのだろうか。正面から両手で整えてくれているため、距離が近付いて視界が遮られる。
前からだと難しいのではと思ったが、声をかける前にセットが完了したらしい。
「はい、これで大丈夫よ」
「あ、ありがとうございます」
ぽんと肩を叩かれたところで、隣にいたアンディーが数歩後退った。不思議に思って顔を向ける。何故か彼はこちらを向いたまま、顔を真っ赤にしていた。
私と先生を交互に見ると、「すみません!」と頭を下げてホールまで走り去っていく。あっという間に遠ざかる後ろ姿に、きょとんとしてしまう。
「……彼はどうしたんでしょうか」
「さぁね。あたしに怒られたと思ったんじゃない?」
リリー先生は小さく笑うと、こちらを向いた。
「で、裏庭で何をしようとしていたわけ?」
ええと、と口ごもる。アンディーには申し訳ないが、相手は先生だ。ここで変に誤魔化すのはよくないかもしれない。
正直にダンスの練習をしようとしていたことを伝えると、先生は目を丸くして、次いで呆れたように言った。
「ダンスパーティーの最中に練習って……あんた、それを信じちゃったの?」
「それだけ切羽詰まっているのかと思いまして」
「あのねえ、いくら練習したって踊る相手がいなきゃ意味ないでしょ。その相手を見つけるためのパーティーで、わざわざ人目を避けて練習する意味ある?」
その言葉にハッとする。私は婚約者を探すつもりはないが、アンディーは違うだろう。全学年の女子生徒が集まっているところから離れるのは、せっかくの出会いの場を無駄にしてしまう。
彼のために引き受けたつもりだったが、それでは彼のためにならない。
「……次回からは断るようにします」
反省しつつ、ため息と共に答える。リリー先生は苦笑いを浮かべた。
「アレンって、鋭いようで意外と抜けてるわよね」
「自分ではよくわからないのですが……」
とはいえ、そんなことはないと否定もできない。来年から乙女ゲームが始まるというのに、これでは先行きが不安すぎる。
「ま、それがあんたの魅力的なところでもあるんだけど」
リリー先生が励ましてくれたところで、ふとホールから男女のペアが出てくるのが見えた。先生も私の視線に気付いたらしく、振り返る。
1年の授業で見たことがないから先輩だろうか。彼らは会話をしながら廊下を歩いてくると、ちらりとこちらに視線を向けた。
「あれ、平民先生じゃないか。こんな夜に出歩いて大丈夫なのか」
「魔法も使えないなら、この場にいる意味はないんじゃないかしら」
クスクスと笑い声が響き、つい眉根を寄せてしまう。睨まれたと思ったのか、彼らは慌てて目を逸らした。
そのまま廊下の先へ歩いていくのを見送って、黙っている先生に尋ねる。
「リリー先生、魔法が使えることを伝えなくていいんですか?」
このままでは、彼らに勘違いをされたままだ。平民先生なんて呼ばれているのも初めて知った。こんなに優しくて立派で素晴らしい先生なのに、明らかに馬鹿にした口調にモヤモヤしてしまう。
しかし、先生は特に気にした様子もなく口を開いた。
「いいわよ、別に。ちょっと前まで魔法が使えなかったのは事実だし、わざわざ訂正するようなことでもないから」
それに、と紫の瞳がこちらに向けられる。
「あんたが知っていてくれるなら、それで十分よ」
「でも……」
もし彼らが3年生なら、先生が魔法を使えないと思い込んだまま卒業してしまうのではないだろうか。
そう思ったが、先生は私の隣に並ぶと背中に手を添えた。
「ほら。2人きりもいいけど、そろそろホールに戻りましょ。あんたのこと探してる人がいるかもしれないし」
そう言われ、ライアンとウォルフに何も言わずに出てきてしまったことを思い出した。彼らは私が裏庭に向かったとは知らないはずだ。
急いで戻ろうと思ったところで、ふと気付く。先程すれ違った2人は裏庭の方へ歩いていってしまったが、大丈夫なのだろうか。
「先生、さっきの2人は止めなくてよかったんですか?」
「え? あ、あー……そうね」
リリー先生は何かを考える素振りをして、頷いた。
「まぁ、いいのよ。たぶん見回りの先生もいるだろうし」
「そうなんですか。……?」
――あれ? じゃあなんで私たちは止められたんだ?
疑問に思ったが、尋ねる前にホールの扉からオレンジ色の髪が見えた。ぱっとこちらに顔が向けられ、彼が声を上げる。
「あっ、アレン!」
「え、アレン君いたの?」
ライアンの後ろからウォルフも姿を現す。彼らが駆け寄ってくると同時に、リリー先生は私の肩を軽く叩いてホールに入っていった。
「どこ行ってたんだ? 探したんだぞ。先生と一緒だったのか?」
心配そうな顔をしているライアンに、ここまでのいきさつを話す。ダンス練習のことは伏せて、アンディーには話があると誘われたことにしておく。
隣で話を聞いていたウォルフが、渋い顔をした。
「アンディー・ギレットか、なるほどな。それは予想外だった」
「頼むから、今度からは躊躇わずに声をかけてくれ」
「すまない。気を付ける」
ライアンとウォルフに挟まれる形で、3人並んでホールに入る。そんなに心配をかけてしまったんだなと申し訳ない気持ちになる。
これだけ人がいれば、見失った相手と再会するのは困難だろう。下手をすれば、ダンスパーティーが終わるまで会えないかもしれない。
ちゃんと再会できてよかったと思っていると、突然生徒たちがざわついた。顔を見合わせ、口々に「まさか」「どういうこと?」と呟いている。
ウォルフが楽しそうに顔を上げて笑った。
「お、いよいよだ。間に合ってよかったな、アレン君」
移動しようと言う彼に続いて、天井を支える柱に近寄る。その周りなら生徒たちの視線の先が見えるだろう。背の高いライアンは、申し訳なさそうに肩をすくめて付いてくる。人の間を通って前に出ると、中央には2人の生徒が立っていた。
赤いジャケットに金の装飾は、彼の目と髪の色に合わせたのだろう。それに対する彼女の赤いドレスは、バラの花びらのように広がっている。
広いダンスホールの中心に立つ彼らは、それだけで絵画のようだった。
曲が変わり、彼らは手を取って踊り出す。数年前に練習した時とは全く違う息の合った完璧なステップに、先程までざわついていた生徒たちも言葉を失っている。
床を踏む音と布擦れの音も曲の一部のように聞こえてきて、思わず息をのむ。
――セシルもカロリーナも、とても……。
綺麗、という言葉では言い表せない。回る度にカロリーナの赤い髪が広がり、セシルの髪がシャンデリアの光を受けて金色に輝く。2人揃って宝石のように美しくて、いつまでも眺めていたいと思ってしまう。
おそらくみんな同じように思っていたのだろう。曲が終わって彼らが礼をするまで、誰も言葉を発しなかった。一瞬の間を置いて、わっと拍手が起こる。
私たちも拍手をしていると、こちらに気付いたらしい彼らが近付いてきた。空になった中央には、また他のペアが数組並んで待機している。
「さすが、かわいいなぁカロリーナ」
真っ先に声を上げたウォルフに、カロリーナは苦笑いをして「ありがとうございます」と返した。その隣にいたセシルが、こちらを見て微笑む。
「アレン、やっと会えたね。その格好もとても素敵だ」
「ありがとう、セシルも。カロリーナとのダンスも素晴らしかった」
「君に見られていたと思うと、なんだか恥ずかしいな」
彼が頬を掻いたところで、カロリーナが首を傾げた。
「ところで、アレン様はどなたとも踊られていないのですか?」
「ああ。今日は見ているだけだ」
私が答えると、彼女は眉を下げて笑った。
「せっかく着飾ってらっしゃるのに、見ているだけなんてもったいないですわ」
カロリーナはそう言って、手を差し出した。この場でそうする意味は知っている。顔を上げると、彼女はにっこりと微笑んだ。
「よろしければ、私にお友達と踊る機会をいただけませんか?」
「……喜んで」
カロリーナに気を遣わせてしまったようだ。これが学園のパーティーでよかった。女性から誘われるとは、と少しだけ情けなく思いつつ彼女の手を取る。
中央に移動して礼をして、再度手を取って、曲に合わせて足を踏み出す。こんなに大勢の前で踊るのは初めてで、緊張してしまう。
顔が強張っていたのだろう。目の前のカロリーナは、ふふと笑った。
「緊張してらっしゃいますか?」
「ああ、まぁな」
視界の端で景色が流れていく。あまり周りを見ていると酔ってしまいそうだ。小さく息をついて、カロリーナに視線を向ける。
幼いころから見ている彼女も、昔に比べるとかなり女性らしさが増していた。控えめに施されたメイクが、普段よりさらに美しさを際立たせている。
「綺麗だな、カロリーナ」
「ありがとうございます。アレン様にそう言っていただけると嬉しいですわ」
「きっとセシルも惚れ直しただろう」
「どうでしょう。セシル様は他の方ばかりご覧になっていますから」
返された言葉に、目を丸くしてしまう。とてもそんな風には見えなかったが、彼にはヒロイン以外に想い人がいるのだろうか。
「セシルが? そんなに浮気性とは知らなかったな」
「ええ、本当に。……ですが、彼が幸せならそれで良いのです」
彼女はちらりとセシルの方に目を向けて、それから私を見上げた。紫の瞳は嘘をついているようには見えない。それが彼女の本心だと知って複雑な気持ちになる。
「カロリーナは優しいな。私は君にも、幸せになってもらいたいんだが」
「私は今、十分幸せですわ」
大きくステップを踏んで、くるりと回る。
「だって、こんなに素敵なお友達と踊ることができているんですもの」
「……そうか」
カロリーナは昔からずっと、強くて優しい素敵な女性だ。来年になって乙女ゲームが始まっても、彼女とは変わらず友達同士でいるのだろう。
それはとても心強いなと、改めて思う。
「それなら君と踊っている私も、同じく幸せだな」
「まぁ。一緒ですわね」
彼女と顔を見合わせて、小さく笑った。
===
「仲良いなぁ、あの2人」
隣に立つウォルフの言葉に、黙って頷く。アレンとカロリーナは本当に楽しそうだった。友達として仲がいいんだろうけど、どうしても羨ましくなってしまう。
――僕もアレンと踊りたい、なんて言えたらいいのに。
もっと幼い頃に、練習でも何でも恥ずかしがらずに頼んでおけばよかった。自分の気持ちに気付いた時には、もうそんなことを言い出す勇気もなかった。そしてきっとこれから先も、そんな機会は訪れない。
そう思っていると、ライアンが呟いた。
「アレンは男性パートも上手いなぁ」
男性パート? と首を傾げてしまう。ダンスが上手い、なら分かるけど。
そんな言い方をしたら、まるで……
「まるで、彼が女性パートも踊れることを知っているみたいだね」
無意識のうちに、言葉が口から漏れていた。すぐ後ろでライアンが固まる。その反応はなんだろう。隣のウォルフに視線を向けると、彼は苦笑いをしていた。
まさか、と嫌な予感がする。
「……アレンに女性パートを踊らせたの? 誰と?」
自分でも思った以上に低い声が出てしまった。ウォルフは「いやぁ」と誤魔化すように頭を掻いて、顔を逸らす。
「無理やり踊らせたわけじゃないよ? ただ少し手伝ってもらっただけというか」
「彼が本気で頼まれたら断れないのを知っているだろう?」
つい視線が鋭くなってしまう。彼はこちらを向かず、踊っている2人に目を向けたまま言った。
「あの時は頼んだというか、アレン君が自ら立候補してくれたというか」
ねえ? とウォルフに声をかけられたライアンが、ビクリと肩を跳ねさせた。やはり彼か、とため息をつく。どうもウォルフは、ライアンとアレンの仲を近付けさせようとしているらしい。
――その動機が、理解できないわけではないけど……。
そうやって心の中で呟いた時だ。
生徒の誰かが天井を見上げて、声を上げた。
「なぁ、あの影みたいなのは何だ?」




