63話 寮の部屋
芸術祭からしばらく経った休日。いつものように制服に着替えて図書館へ行こうとしていると、部屋にノックの音が響いた。
扉を開けたジェニーの声がわずかに弾んだのに気付き、顔を向ける。扉の向こうにスティーブンの姿が見え、それで嬉しそうなのかと理解する。
――彼が来るのは珍しいな。
何の用事だろうと首を傾げたところで、ジェニーがこちらを向いて言った。
「アレン様。今からセシル王子のお部屋にご招待されているようですが、いかがなさいますか?」
「そうか。わかった、先にセシルの部屋に行く」
ようやく彼の話が聞けそうだとほっとする。芸術祭からずっと気になっていたがなかなか時間が合わず、気付けばかなり間が空いてしまった。
ジェニーはスティーブンと何かを話した後、部屋に残ることになった。付いてこないのは意外だと思いつつ、それだけスティーブンを信頼しているのだろうと納得する。2人の距離が徐々に縮まっているようで微笑ましい。
スティーブンと共に6階に上がる。この階には談話室がなく、廊下は左右に分かれていた。片方がセシル、もう片方が護衛兵のスティーブンとメイド2人の部屋に続いているようだ。
さすがに王子であるセシルには、常に使用人が付いているらしい。
彼に案内され、セシルの部屋に向かう。ノックに反応して内側から扉が開けられたが、何故かそこにいたのはセシルではなかった。
「やぁアレン君、いらっしゃい」
「ウォルフ? 君も招待されていたのか?」
よく見ると、部屋の中にはライアンもいる。ちらりとスティーブンを見ると、彼は不思議そうな顔をしていた。とりあえず、ウォルフに招かれるまま中に入る。
部屋の奥にいたセシルは渋い顔をしていたが、ぱっと顔を上げた。
「いらっしゃい、アレン。すまない。突然予定外の来客があって」
「ああ、そういうことか」
私は構わない、と言いかけて思い出す。セシルが話したいことは、彼らがいる前でも大丈夫なのだろうか。
目で尋ねると、彼は黙って首を振った。話をするのは彼らが帰った後になりそうだ。セシルは小さく息をついた。
「それにしても、ウォルフ。何故急に僕の部屋に来たんだい? しかもライアンまで引き連れて」
どうやら、ライアンはウォルフに連れられて来たらしい。寮とはいえ、王族の部屋に入って緊張しているのだろう。部屋の隅で置き物のように固まっている。
そんな彼の背中を叩きながら、ウォルフが笑った。
「今日は用事がなかったから、せっかくならセシルの部屋が見たいなぁと思って。6階には俺も入ったことがなかったし、別に見られて困るものもないだろ?」
「それはいいんだけど……タイミングが悪すぎないか?」
「タイミングが良いって言ってくれよ。セシルはほとんど部屋にいないんだから」
セシルは複雑な顔をしている。彼らが話している間に、ライアンに声をかける。
「大丈夫か、ライアン。ウォルフに無理やり連れてこられたのか?」
「い、いや。大丈夫だ。ただちょっと、俺には身分不相応というか」
ライアンはどうしたらいいか分からないようで、おろおろと視線を動かした。誰もソファーに座らないため、部屋に待機しているメイドたちもお茶を出すか迷っている様子だ。ウォルフはライアンをちらりと見て、手を叩いた。
「わかったわかった。じゃあちょっとだけ見学させてくれ。そうしたら今日は大人しく退散するからさ」
「……仕方ないな」
セシルは呆れたような顔をして、小さく頷いた。
そこから、彼は自ら部屋の案内をしてくれた。大きな窓からは学園前の街が一望でき、遠くに小さな山々も見えた。
3つほど部屋が横に繋がっているらしく、隣の部屋は棚や机が置かれ、書斎のようになっていた。さらに奥の部屋はベッドルームになっているらしい。あちこちに装飾がされていて、他の部屋よりも豪華な造りになっている。
「わざわざ改装しなくても、他の生徒たちと同じでいいと言ったんだけどね」
セシルが苦笑したところで、ふと気付く。入学式前日に贈った、ガラス細工の猫は置いてないんだろうか。
――なんとなく、セシルも寮の部屋に飾っている気がしたんだが。
どこかに仕舞ってあるのだろうか。もしくは、王宮に置いてきたのかもしれない。あまり良くないと分かっていながら、つい辺りを見回してしまう。
それに気付いたセシルが、口を開いた。
「ああ、君に貰った猫ならベッドのサイドテーブルに置いているよ。毎日必ず使用する部屋だからね」
何を探しているかよくわかったなと思いつつ、「そうか」と短く返す。王宮にはいくらでも装飾品があるはずなのに、あの猫を選んで持ってきてくれたらしい。
会話を聞いていたウォルフが首を傾げた。
「猫ってなんのことだ?」
「入学祝いに、互いにガラス細工の置物を贈ったんだ」
私がそう言うと、ライアンが目を丸くした。
「もしかして、アレンの部屋の机に置いてあったアレか?」
何度も部屋に来ているライアンは覚えていたらしい。頷いて返すと、何故か彼ではなく隣にいたウォルフが「なるほど」と呟いた。セシルが怪訝な顔をする。
「部屋の案内は終わったけど……どうする? 紅茶でも飲んでいくかい?」
「いや、これ以上邪魔してるとさすがに怒られそうだしな。これで失礼するよ」
ウォルフはライアンの背中をぽんと叩いて笑った。え? と戸惑っているライアンの腕を掴み、廊下に続く扉へ引っ張っていく。
「じゃ、またなアレン君」
「お、お邪魔しました」
返事をする間もなく、あっさりと手を振って部屋を出ていった2人にきょとんとしてしまう。ウォルフは、セシルから私に話があると知っていたのだろうか。
静かになった部屋でこほんと軽く咳をして、セシルが言った。
「せっかくだから、ついでにアレンの部屋にもお邪魔させてもらえるかい? そこで例の話をするよ」
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ジェニーに出された紅茶を飲んで、ふうと息をつく。
目の前のソファーに座ったセシルは眉を下げて笑った。
「ごめんね、急に。この機を逃したら、もう君の部屋は見られないかと思って」
「そんなことはないと思うが……まぁ、そうだな」
話す機会はいくらでもあると思っていたが、この部屋訪問すら彼から誘われなければ叶わなかった。強く否定もできず苦笑する。
同じ学園に通っているというのに、思っていた以上に出会うことがない。それだけ彼が忙しいということだろう。
セシルは机に置かれた猫の置物を見て微笑むと、静かにカップを置いた。顔を上げてこちらに向き直る。
「気になっていると思うからさっそく本題に入るけど……アレン。2年に上がったら、生徒会に入ってくれないか?」
「……生徒会?」
その言葉に一瞬だけ考える。ゲームのアレンは生徒会に入っていただろうか。まったく覚えていないが、セシルの側近として入っていたかもしれない。
彼は頷いて、話を続けた。
「僕は2年になると同時に生徒会長を任されるらしい。その補佐として、生徒会副会長を2名選ぶよう学園長に言われてね。もう1人はカロリーナに頼もうと思っているんだ」
「なるほどな。……わかった。私でよければ」
目を合わせて大きく頷く。セシルは嬉しそうに笑った。
「よかった。君ならそう言ってくれると思っていた」
「ただ、生徒会が何をしているのかはあまり知らないが」
「今まで直接関わってこなかったんだから、仕方ないよ」
彼はそう言うと、大まかに生徒会の仕事を教えてくれた。オリエンテーションの監督と新入生の護衛。大きな式典の準備と、壇上での挨拶。時々学園内の見回りをしたり、学園生活についての会議を開くこともあるらしい。
すべて生徒会役員のみで行うというよりは、生徒会が中心になって、希望した生徒たちにも協力してもらうのだという。
「マークスのような生徒が例外なだけで、基本的にみんな大人しいからね。本来は、そこまで生徒会の仕事という仕事はないんだけど」
「本来は?」
彼の言い方に違和感を覚え、首を傾げる。セシルは小さく頷いた。
「これはまだ公になっていないから、内密にしておいてほしい」
そう前置きして声を落とす。空気を読んだジェニーがそっと離れていく。
私にだけ聞こえる声で、彼が言った。
「平民から聖魔力保持者が見つかった。僕たちと1つ違いの女の子だそうだ」
はっとして息をのむ。セシルは小さな声で続けた。
「仕事中に同僚の怪我を治療したことで発覚したらしい。すでに来年度から学園に入ることが決定している。初めて平民が入学するから、きっと身分を重視している一部の生徒は荒れるだろう。彼女のサポートも、生徒会の仕事になる」
「……それは、忙しいだろうな」
いよいよか、と心の中で呟く。2年になったらセシルが生徒会長になり、聖魔力保持者の『ヒロイン』が入学してくる。
今度こそ本当に、乙女ゲームの本編が始まるということだ。
ぎゅっと拳を握って、彼に尋ねる。
「彼女の名前はもう聞いているのか?」
「ああ。『ルーシー・カミン』というらしい」
「ルーシー、か」
聞いたことがある、と思うのは当然だろう。ゲームではヒロインの名前を変えられたはずだが、自分は変えずに進めていた。何度も呼ばれていたから記憶に残っている。ビジュアルは、残念ながら桃色の髪しか覚えていないが。
「もしかして、知っているのかい?」
「いや。念のため、生徒会として関わるなら覚えておこうと思ってな」
「そうか。さすがだな」
セシルも街で出会った彼女だとは思っていないだろう。初対面で色々と話していたようだが、名前は聞いていなかったらしい。
でも、再会したらすぐに気付いてしまうかもしれない。
――少なくとも、ゲーム通りにはいかないだろうな。
それがいいのか悪いのかはわからない。出会い方も違っていたようだし、ゲームのように互いに大きな想いは抱いていないかもしれない。とりあえず、本編に影響しないようにと祈っておく。
まぁでも、と彼が言った。
「まだその前に、ダンスパーティーがあるけどね」
「ああ、そうだな」
全学年合同のダンスパーティーまで、あと数日。芸術祭から連続で行事が入ることになるが、前世でも運動会や文化祭は近かったから、そういうものなのだろう。
ダンスパーティーの後にはすぐに卒業式があり、3日ほど休みを挟んで新学期が始まる予定だ。
もうまもなく本編が始まると知ってしまったから、正直ダンスパーティーにはあまり集中できそうにない。次の入学式を考えるだけで、若干緊張している。
こんなことで立派なクール担当として振舞えるのだろうか。
と、紅茶を一口飲んだセシルが躊躇いがちに口を開いた。
「その……アレンは、誰かと踊る予定はあるの?」
そう言われ、はたと気付く。そうだ『ダンスパーティー』だ。みんなはきっと婚約者候補や婚約者と踊ることになるのだろう。
ゲームでもヒロインは攻略対象と踊っていた。来年はそれでいいとして、今年はどうしよう。少し迷ったが、正直に答えておく。
「今のところ踊る予定はない。相手もいないからな」
当日は壁際でみんなを見守ることになりそうだ。
しかし、婚約者がいない相手はみんなそうしているのだろうか。それとも、誰でもいいから経験として踊るべきなのだろうか。
頭を捻っていると、彼が言った。
「学園のダンスパーティーは実際の夜会と違って、女性から男性を誘うこともできるらしいけど。相手がいないってことは、誰かに誘われたら踊るのかい?」
「誘われたら? ……そうだな」
難しい質問だ。断ったら相手に失礼だろうと思うが、ヒロインと出会う前に他の生徒と踊るのも迷う。1度踊れば、来年も同じ相手に誘われるかもしれない。
いや、その前に。そもそも誘われる前提で考えるのがおかしい。公爵家の長男とはいえ、高位の貴族は他にもたくさんいる。私は女子生徒と関わったこともほとんどない。だいたいの生徒は、すでに婚約者の目星を付けているはずだ。
――それに、もしこの機会に普段踊れない相手を誘う生徒がいるとしても……。
「セシルならともかく、わざわざ私と踊りたがる物好きはいないだろう」
「へ……?」
部屋の端でガタンと音がして目を向ける。ジェニーが片付けようとしていたトレイを落としたらしい。「失礼いたしました」と深く頭を下げた彼女から、目の前のセシルに視線を戻す。
彼は何故か目を丸くしたまま固まっていた。今の音に驚いたのだろうか。
「き、君がそう思っているうちは……大丈夫かな」
セシルはそう言って、苦笑いを浮かべる。
何が大丈夫なのだろうと思ったが、結局彼が帰るまでその答えは聞けなかった。




