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61話 芸術祭①

 ウォルフが言っていた通り、後期はあっという間に過ぎていった。


 芸術祭当日。正午の鐘と同時に開始される演奏会に向かうため、ライアンとウォルフと並んで廊下を歩いていた。ライアンが辺りを見回して、口を開く。


「結構早く来たと思ったんだけど、誰もいないな」

「演奏会のために昼休みが1時間前倒しだったからなぁ。みんな昼食後に直接講堂に行ったんじゃない?」


 廊下の窓から外を見て、ウォルフが言った。私も同じように外を見る。廊下には誰もいないが、講堂の近くには何人か生徒が集まっているようだ。


「アレン君とライアンは、結局2人で座るんだっけ?」


 ウォルフに尋ねられ、少し考えて答える。


「正直、端の席に座ることしか考えていなかった」

「俺も。もう誰かに取られてるかもしれないけどな」

「ま、わざわざ離れて座る意味もないし、2人なら真ん中でもいいと思う。1人で挟まれるよりマシだよ」


 有りがたい先輩の言葉に苦笑する。改めて考えると、演奏と劇では観客の態度も違うのではないだろうか。去年は劇だったから好みが分かれただけで、演奏会ならみんな黙っている可能性もある。


「ウォルフは婚約者と一緒に座るんだろ?」

「そうそう。先に席を取っててくれるらしいから、俺は開始の鐘までに彼女を探さないといけないんだよな」

「それもそれで大変そうだな」


 ライアンとウォルフが話しているのを聞きながら、再度窓の外に目を向ける。ふと、講堂から離れた位置に誰かが立っているのが見えた。

 遠くて顔は分からないが、灰色の髪に黒いローブを羽織はおっている。


――学園長……?


 その人は何故か講堂ではなく、中庭の方へ向かって歩いていた。演奏会に学園長は参加しないのかと首を傾げる。わざわざ外部から有名な演奏団体を招いて開催するのに、そんなことはあるのだろうか。

 そのまま黒いローブは校舎に隠れ、見えなくなってしまった。昼の鐘が鳴るまでもう少し時間はある。足を止め、隣を歩く2人に向かって声をかける。


「すまない、忘れ物を思い出した。先に行っててくれ」

「え? また杖を忘れたとか?」


 ライアンが目を丸くした。首を振り、横目で学園長が行った方向を確かめる。


「いや、別のものだ」

「鐘と同時に始まるけど、大丈夫か? アレン君は芸術祭初めてなのに」

「ああ、大丈夫だ。すぐに向かう」


 不思議そうな顔をしている彼らに手を振って、駆け足で離れる。ちょっと無理やりすぎたかと思ったが、仕方がない。

 講堂には生徒たちだけでなく、ほとんどの先生も集まっているはずだ。つまり、今の校舎には人がいない。


――そんな中で講堂から離れていくのは、さすがに怪しいよな。


 廊下の角を曲がって、窓の外を確認する。黒い後姿だけが遠くに見えた。彼は早足で中庭を横切っていく。その先にあるのは、図書館だ。

 気付かれないように隠れつつ、ついでに周囲も確認しながら進む。誰かに声をかけられたりしたらその時点で見失ってしまう。


 幸い周りには誰もいなかった。図書館に入って行く姿を確認し、その場で少し考える。あれが学園長だとしたら、今図書館に来る意味はなんだろう。何かを調べに来たのか、それとも……何かを隠しに来たのか。


 小さく息をついて、図書館に入る。見える範囲には誰もいない。気配を探りながら、息を殺して近くの本棚に足を向ける。


「チッ、ここもか」


 呟く声が耳に届き、咄嗟とっさに棚の影に隠れる。ドサドサと乱暴に本を落とす音が響いて、次いで大きなため息が聞こえた。

 口調も態度も、普段の学園長とは違う気がする。なんとなく気付かれるとまずい気がして、そっと死角になる位置に身を隠す。


 本の隙間から黒いローブが見えたが、胴体から下しか分からない。彼が小さく何かを唱えると、風がふわりと数冊の本を運んできた。これは風魔法だ。どうやら棚の最上段に置かれていた本を回収して、別の段に入れ直しているらしい。

 では、元々その棚に置かれていた本はどうするんだろう。そう思ったところで、パキッと高い音がした。



 その瞬間、彼の足元にあった本がまとめて炎に包まれる。



「……!?」


 息をのんで見守ることしかできない。どういうことだ、と疑問で頭が埋め尽くされる。学園長は風魔法だけでなく火魔法も使えるのかと考えたところで、何かが記憶に引っかかった。


――ゲームのラスボスは闇魔法を使っていたが、杖も持っていたな。


 闇魔法に杖は必要ない。ということは、闇魔法以外に他の属性魔法も使っていたのだろう。覚えていないが、それが風魔法だったのだろうか。

 ウォルフは学園長が王家の血筋だと言っていたから火魔法が使えてもおかしくはない。しかしそうなると、彼は3属性以上の魔力を持っていることになってしまう。


 そんな設定だったかと首を捻ったところで、彼が動き出した。床に溜まった灰を雑に足で払い、スタスタと歩いていく。

 なんとか気付かれずに済んだようだ。黒いローブが離れていくのが見え、図書館の扉がバタンと閉まったところで息をつく。


 彼が先程立っていた場所に移動して、目の前の棚を確認する。ここの棚には歴史系の本が置かれているはずだ。普段から図書館にいなければ、1段丸ごと入れ替わっていても気付かなかったかもしれない。最上段がからの棚はいくつもある。


 この場所には何の本が置かれていただろうかと記憶をさかのぼり、はっとする。


――消されたのは……『聖女に関する伝記』か。


 前神官様の偉業が書かれた本が、元から1冊も置かれていなかったかのように丸ごとなくなっている。それが足元で灰になっているのだろう。思わず眉を(ひそ)める。

 人がいない時を見計らって聖女関係の本を燃やすなんて。やはり彼が、魔界の門を開放しようとしているラスボスに違いない。


――しかし、なんだか学園長とは別人のような……。


 そこで、12時の鐘が鳴り響いた。

 しまったと顔を上げる。もう演奏会が始まってしまう。


 急いで図書館を飛び出し、講堂へ向かって走る。校舎の中に入るより中庭を通ったほうが近道のはずだ。そう考えて渡り廊下を横切り、さらに中庭を横切る。


 講堂の近くまで来たところで、女子生徒らしき悲鳴が聞こえた。


「カロリーナ様……!」

「大丈夫、皆様は下がっていてくださいませ!」


 迷っている暇はなかった。講堂に向かう道を通り過ぎ、声のする方へ向かう。オリエンテーションの際、裏山への門があった辺りだ。街灯や植木の隙間から彼女たちの姿が見え、すぐに状況を理解した。

 倒れている女子生徒が1人、その周りに座り込んでいる2人。そして彼女たちを庇うように立つ、赤い髪が見えた。その周りを囲う複数の黒い影は、裏山で見た魔物と同じ姿をしている。


 ここからなら立ち止まって魔法を放つよりも、走ったほうが早い。懐から杖を取り出し、走りながら構える。

 視線の先で、カロリーナが呪文を唱えた。


切って(シザーズ)!」


 風の刃が飛び、魔法を受けた魔物がちりになって消える。同時に、彼女の背後から別の魔物が襲い掛かろうとしていた。

 女子生徒から声が上がり、気付いたカロリーナが振り返る。


 彼女が杖を向ける前に、その間に飛び込んだ。


氷の剣(ソード・ロック)


 一瞬で氷の剣が生成される。飛び込んだ勢いのまま魔物を横に斬り払う。何度も使っていたからか、魔法の発動が早くなったようだ。

 カロリーナの声を背中に受けつつ、飛び掛かって来た魔物も同様に倒す。


 獣のような唸り声をあげ、残りの2匹がじりじりと距離を取った。その隙に、カロリーナに目を向ける。


「怪我はないか?」

「ええ、大丈夫です」


 彼女は小さく息をついて、私の隣に並んだ。色々と聞きたいことはあるが、まずは魔物の対処からだ。

 杖を構え、それぞれ魔物に向き直る。数秒の間を置いて向かってきた魔物をかわし、振り向きざまに剣でつらぬく。カロリーナが放った魔法が残りの魔物を倒すと、辺りにただよっていた気配も消えた。


 魔物が完全にいなくなったことを確認し、疑問を尋ねようと顔を向ける。

 そこで、先にカロリーナが言った。


「お話しする前に、あの門を閉めましょう」


 彼女が指す方に目を向けて気付く。裏山へ続く門が、わずかに開いている。


 もしや魔物たちは裏山から来たのだろうか。不思議に思いつつカロリーナと共に門を閉め、へいに埋め込まれたスイッチに手を当てる。門はすっと溶けるように消えると、塀と同化して見えなくなった。


「アレン様が来てくださって助かりました。ありがとうございます」

「声が聞こえたからな。門は、君たちが開けたのか?」


 カロリーナは首を横に振った。女子生徒たちも首を振っている。じゃあ誰がと考えたところで、倒れている生徒がいたことを思い出した。


「その生徒は怪我を?」

「いいえ、魔物に驚いて気絶してしまっただけですわ」


 カロリーナの答えに「そうか」と胸を撫で下ろす。気絶している生徒の傍にいた2人が、ぱっと立ち上がって頭を下げた。


「申し訳ありません。公爵家の方々にご迷惑を……」

「まぁ! お気になさらないでくださいませ。お友達なのですから」


 アレン様は私のお友達ですし、と続けるカロリーナの隣で頷く。彼女たちは改めて深く礼をすると、顔を見合わせた。


「あの、私たちはこの子を医務室に運びますので。どうぞおふたりは講堂へ」


 その言葉を手で制して止める。医務室まではかなりの距離があるし、ここは男である自分に任せてほしい。さすがに女子を運ぶくらいの力はあるはずだ。


「私が運ぼう。君たちは演奏会に向かうと良い」

「えっ!? で、でも」


 慌てている彼女たちの横にしゃがみ込む。気絶している生徒を抱えようと手を伸ばして、ふと気付く。

 この学園の女子生徒は黒いタイツを着用しているが、スカートはかなり短い。貴族が多いのだからロングスカートのほうがいいのではと思うが、誰かが希望したのだろうか。彼女たちが制服以外でこんなに短いスカートを履いている姿は見たことがない。


――スカートの中が見えるのは、きっとタイツを履いていても嫌だよな……。


 そう思い、制服の上着を脱いで傍にいた女子生徒に渡す。


「すまない。私が彼女を抱えたら、それを脚に掛けてやってくれるか」

「は、はい! わかりました」


 彼女が頷いたのを見て、女子生徒を抱え上げる。まさかヒロイン以外を先に姫抱っこすることになるとは思っていなかった。

 頼んだ通り脚に上着をかけてもらったところで、カロリーナが口を開いた。


「私が医務室までご一緒しますわ。あなたたちは、アレン様がおっしゃったように演奏会に向かってくださいな」


 そう言ってにっこりと笑う。彼女たちは戸惑っていたが、申し訳なさそうに頭を下げてぱたぱたと走り去っていった。

 さて、と抱えた生徒に目を向ける。なんとなく見覚えがあるような気がする。どこかの授業で一緒だったのだろうか。


「では医務室に向かいましょう。申し訳ありません、お任せしてしまって」

「気にするな。セシルほどではないが、それなりに力はある」

「頼もしいですわ。私たちだけでは途中で休憩を挟まないと難しいですもの」


 そういえばオリエンテーションでも、カロリーナ達は数分で疲れていた。気絶している生徒を運ぶのはきっと難しかっただろう。

 風魔法で浮かせることはできても、常に風力を維持いじした状態で長距離を運ぶのは難しいらしい。彼女たちに出会ったのは偶然だが、役に立てたなら何よりだ。


 医務室に向かうため校舎に入ったところで、ふいにカロリーナが辺りを見回した。他に誰もいないことを確かめ、少しだけ声を抑える。


「長期休暇前にゴーレムが暴走した件、お兄様から聞きました」

「ウォルフから? 一応、他の生徒には話すなと言われていたんだが」

「何かを隠してらっしゃる様子でしたので、尋ねたら話してくださいました」


 それを聞いて苦笑してしまう。ウォルフは意外と口が軽いらしい。カロリーナ相手だからかもしれないが、公爵家の跡継ぎとしては、身内だからと秘密を話すのはあまり良くないのではないだろうか。

 呆れている私の横で、彼女が続けて言った。


「すべては、おそらく……巨大な『魔力溜まり』のせいですわ」


 それはずっと不明だった、魔道具暴走の原因についての話だった。

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