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53話 長期休暇①

 ぱち、といつもの時間に目が覚める。

 見慣れた寮の天井の代わりに、天蓋てんがいが目に入った。


――この感じも懐かしいな。


 軽く伸びをして体を起こす。青い髪がシーツに広がり、相変わらず鮮やかな色だなと寝起きの頭で考えた。だいぶ伸びてきたため、ベッドに手を着くとたまに髪を押さえてしまう。

 ゲームのアレンは、何か理由があって髪を伸ばしていたんだろうか。少しくらいなら切ってもいいかな、と思いつつベッドから降りる。


 タイミングよく部屋の扉がノックされ、ジェニーが入ってきた。


「おはようございます、アレン様」

「おはよう、ジェニー」


 いつものように挨拶を交わして、さっと身支度を整える。この数日は制服を着ていない。学園ではないから当然なのだが、なんとなく違和感を覚えてしまう。


――学園にいた時は、休みの日でも図書館に行くために制服を着ていたしな。


 髪を整えてもらい、眼鏡を掛けたところで気付く。今日はいつもより豪華な服を用意されているようだ。

 外出の予定があっただろうかと首を傾げていると、ジェニーが言った。


「本日は奥様から、おふたりで街にお出かけになると伺っております」

「2人って、私と母様か?」

「はい。せっかくの長期休暇ですので、家にいるだけではもったいないと」


 いつの間にか予定を立てられていたらしい。他に予定があるわけではないが、突然だなとつい苦笑してしまう。それに気付いたジェニーが、眉を下げて笑った。


「お屋敷に戻ってからは、ゆっくりお休みになる暇がありませんでしたので……街で息抜きをされるのも良いのではないでしょうか」

「まぁ、それもそうだな」


 長期休暇に入って今日で4日目。クールソン家の屋敷に戻って、3日はあっという間に過ぎてしまった。

 母様と父様に怪我の心配をされつつ学園の話をして、リカードを含む使用人たちにも聞かれる度に話をして。護衛兵に新しい魔法を見せて、ゴーレムの話をして……と、とにかく屋敷のあちこちで話していた気がする。


 魔法で作った剣に護衛兵たちは目を輝かせた。その流れで戦闘訓練に付き合ってもらったのが昨日のことだ。おかげで、氷の剣を使う戦い方を試すことができた。


 魔法を放つより、走りながら剣を使ったほうが早い場合もあること。魔法を使うために剣を解くと、どうしても数秒は無防備になってしまうこと。

 まだオリエンテーションでしか使ったことはないが、魔物に対して使う時は気を付けなければときもめいじておく。


 部屋を出て食堂に向かい、母様父様と揃って朝食を取る。ジェニーが言っていた通り、今日は母様と街に行くことになっていた。

 ニコニコと楽しそうに笑いながら、母様が言った。


「アレンと2人で街に行くのは初めてね。とても楽しみだわ」


 その言葉に目を丸くする。確かに母様と2人で行ったのは、王宮と神殿くらいしか記憶にない。

 そもそも、街に行ったことすらほとんどないような気がする。何かが必要になった時は、屋敷に商人を呼ぶのが当たり前だった。


「行きたいところはもう決めてあるの。ごめんなさいね、付き合ってくれる?」


 母様は申し訳なさそうに眉を下げると、首を傾げた。私だって母様と街に行くのは楽しみだ。そう言われて断るわけがない。小さく笑って頷く。


「はい、もちろんです」




===




――もっと考えて頷くべきだったかもしれない。


 目の前に並べられた服がどんどん増えているのを見て、顔が強張こわばるのを感じる。

 その横で、母様は店員の女性と盛り上がっていた。


「アレン様はお美しいので、何でもお似合いになりますね」

「そうよね。本当にそう。私もそう思うわ」

「こういったものはいかがですか? 女性に多いデザインですが、最近では男性にも人気なんですよ」

「あら、かわいいじゃない! じゃあそれも追加で」


 屋敷から馬車で街に来て、劇を見て昼食を取ったまでは良かった。その後いろんな店が並んでいる通りに入ったところで、母様が既製品のドレスを売っている店の前で立ち止まった。そこから服屋を点々として、すでに3店目だ。


 母様が試着をする分には良い。しかし、気付けば私も巻き込まれていた。もちろん選ばれるのはちゃんと男性ものだが、さすがに3店目ともなると疲れてくる。

 一緒に来ていた護衛兵のイサックとフレッドも、店の外で苦笑を浮かべていた。


――母様が楽しそうだから、嫌なわけではないんだが……。


 これも親孝行かと思っていたところで、店員に試着室へと案内される。「ダニエルにも何か贈ろうかしら」と母様が言ったことで、背丈の近い私が父様の分も試着することになった。


 普段着から社交界用の燕尾えんび服まで並べられ、店員数人の手を借りながら着替えていく。着替えるたびに母様に見せて感想をもらって、また着替えてと繰り返しているうちに、何着目か分からなくなってしまった。


 これじゃ着せ替え人形だなとぼんやり考えつつ、タキシードを着た状態で母様を待つ。この服は母様が試着しているドレスとペアになっているらしい。

 女性の着替えは時間がかかる。アクセサリーや髪型まで簡単に合わせるらしく、店の端に置かれたソファーに座って待つことにした。


 店の外で待っているイサックとフレッドは、ずっと立ちっぱなしで大丈夫なのだろうか。そう思って店の窓から外を見たところで、たまたま外を歩いていた人物と目が合った。


 肩につく黒い髪と紫の瞳。普段と違って白衣は着ていない。

 彼は驚いたように目を丸くすると、足を止めた。


「……リリー先生?」


 彼の名を呟いて立ち上がる。目が合ったのにこのまま無視するのはどうかと思い、近くにいた店員に一声かけて店の外に出る。

 タキシードを着ているせいか視線を感じるが、気にしないようにしつつ先生に駆け寄る。リリー先生は目をぱちくりとして、口を開いた。


「……あんた、その格好で来たの? 似合うじゃない」

「試着中なんです。これは父の分ですが」

「あら、わざわざ店から出てこなくてもよかったのに」


 呆れたように笑って、先生は腰に手を当てた。次いで店の前にいる護衛兵に目を向け、首を傾げる。


「護衛が2人いるってことは、1人じゃないの?」

「母と一緒に来ています。リリー先生は……」


 何故ここに? と尋ねようとして気付く。この街の中心には神殿がある。リリー先生のお姉さんであり、現神官様のアデルさんに会いに来たのかもしれない。

 言葉に詰まったことで私の考えがわかったのか、先生は頷いた。


「想像通りよ。一応親戚だから、長期休暇の間は神殿の手伝いに来てるの。といっても人手は足りてるし、そんなにやることはないんだけどね」


 考えていた理由とは少し違っていたが、神殿があるからというのは間違いじゃなかったようだ。今は買い出しに来ているらしい。

 そう言うわりには何も持っていないようなと思っていると、先生はあごに手を当てて首を傾げた。


「うーん……それにしても、普段制服姿を見てるから変な感じがするわね」


 それがタキシード姿に対して言われているのだと分かり、苦笑してしまう。父様用だから、少し年齢的にも合わないのかもしれない。

 と、リリー先生がふいに右手を伸ばした。


「アレンはこういう格好なら、横髪は耳に掛けたほうが……」


 さら、と先生の手で、耳に髪を掛けられる。


 そこで彼は、何故かハッとしたように手を離した。しっかり掛かっていなかった青い髪が、するりと重力に従って落ちる。


「……いや、ちゃんと専門の人にやってもらった方がいいわね」


 ばつが悪そうに顔をそむける先生に、きょとんとしてしまう。リリー先生は美容系の知識もあるのだろうか。正直私はそういったことにはうといから、教えてもらえるのは素直に助かるのだが。

 とりあえず女性に限らず、社交界に出るような格好をするときは、髪型に気を遣うべきだと覚えておくことにする。


「ミルトン! よかったぁ、やっと見つけたー!」


 突然、道の端から聞き覚えのある声がした。ぱっと振り返ったリリー先生は、呆れたように言った。


「姉さん、どこ行ってたの? 探したわよ」

「ええ? どこにも行ってないわよ! ぼーっとしてたら、いつの間にかミルトンがいなくなってたんでしょ?」

「なんで歩いてる途中でぼーっとしてんのよ……」


 ため息をつく先生越しにかばんを持ったアデルさんが見える。彼女も私に気付いたらしく、驚いたような顔をした。


「あ、アレン・クールソン様!? え、どうしてここに……そ、その格好は?」


 街中でタキシードを着ていたら驚くよなと思いつつ、事情を説明する。アデルさんは納得したように頷いて、リリー先生を見た。


「そっか、学園でミルトンと……すみません、弟が無礼な態度を」

「いえ、こちらこそ。リリー先生にはお世話になってばかりで」


 態度については、むしろ話しやすいから有り難い。それよりも医務室担当医としての仕事を増やしてばかりで申し訳ない。

 軽く会釈したところで、ふと彼女の手に指輪がめられていることに気付く。前は何もなかった気がする、左手の薬指に。


「もしかして、ご結婚されたんですか?」


 あまり意識したことはなかったが、母様と父様も時々同じ位置に指輪を着けていた気がする。この世界でも、結婚したら指輪を付ける風習があるのだろう。

 尋ねると、アデルさんは照れたように笑った。


「はい、2年ほど前に」

「そうだったんですね。おめでとうございます」

「あ、ありがとうございます。アレン様に祝っていただけるなんて光栄です」


 この数年は神殿に行くこともなかったから知らなかった。最後に訪れたのは、前神官様の告別式が行われた時だ。あれからもう4年も経っているらしい。

 アデルさんも同じことを思い出したらしく、少しだけしんみりしてしまう。複雑な顔をして黙っていたリリー先生が「じゃあ」と口を開いた。


「あたしは姉さんと買い物に戻るから。あんたも早く店に入りなさいよ。試着中なんでしょ? 汚れるわよ」

「ちょっとミルトン! またそんな言い方……」


 と、言いかけたところで、アデルさんはあくびを手で抑えた。やっぱり神官様の仕事は忙しいのだろうか。リリー先生が呆れたように、彼女から鞄を受け取る。


「まったく、そんなに眠いなら神殿に戻っていいって言ったのに」

「おかしいなぁ。ちゃんと寝てるんだけどな」


 その会話に、ふっと既視感を覚えた。


 誰かがそうやって、ちゃんと寝ているはずなのにひたすら眠いと言っていた気がする。誰だったっけと首を傾げる私の前で、リリー先生は小さく息をついた。


「どうせまた、寝る前にお酒飲んでたんでしょ」

「それが飲んでないのよねぇ。最近なんか飲む気になれなくて」

「え? あんなに好きだったのに?」


 そこでも既視感を覚える。確かあの人も、お酒を飲む気にならないって言っていたような。毎日飲んでいたのに体が拒否するようになったって。

 きっとそれは、本能的に……。


――あ、思い出した。会社の先輩が言ってたんだ。


 ということはもしかして、とアデルさんを見る。彼女はまたあくびをしている。


「さっきもぼーっとしてたし、熱でもあるんじゃない?」

「うーん……確かに若干熱っぽいような。元気なんだけどなぁ」

「もう、無理しないでよ。さっさと買い物して帰りましょ」


 リリー先生の言葉で、アデルさんは何かを思い付いたように手を叩いた。


「あ、それじゃあ。さっきあっちに珍しく海のお魚を売ってるお店があったから、そこで買おうかな」

「お魚? あんまり好きじゃないんだけど……」

「いいじゃない、たまには違うものも」


 話を聞きながら、この近くに海はあったかと考える。確か地図では、隣国のさらに向こうが海だったような気がする。

 海の魚ということは、そこから運んできたのだろうか。かなり離れているが、魔法があるこの世界なら不思議ではない。


――まぁ、さすがに海もないヨーロッパ風の国で生魚を食べることはないよな。


 挨拶をして店に戻ろう。

 と、口を開きかけたところでアデルさんが言った。


「新鮮だからお刺身にしてくれるって。それなら骨も気にならないでしょ?」


 それを聞いて固まってしまう。海に面していないこの国にも、魚を生で食べる文化があるのだろうか。日本以外ではあまりないと聞いた気がするのに。

 いや、でもここは実際のヨーロッパじゃない。日本で作られたゲームの世界だ。そういうところは日本基準なのかもしれない。


 ちらりとリリー先生を見ても、特に嫌そうな顔はしていない。「そうねえ、それなら」とむしろ乗り気に見える。


――この世界ではどうかわからないし、神殿にいれば大丈夫かもしれないけど……今のアデルさんに、生魚はちょっと怖いかもしれない。


 少し迷ったが、もしものことがあってからでは遅い。刺身に決定しそうな彼女を手招きする。アデルさんはきょとんとして、駆け寄って来た。


「アレン様、どうかなさいましたか?」

「あの、アデルさん。間違っていたらすみません」


 会社では女同士だったから問題なかったが、今の私は男だ。この体で言うのは勇気がいるなと思いつつ、そっと彼女に耳打ちする。


「もしかして……ご懐妊かいにんされているのでは」

「えっ!?」


 彼女は驚いたようにこちらを向くと、両手でほおを挟んだ。しばらく考えて、はっとしたように顔を上げる。どうやら心当たりがあるらしい。

 念のため、続けて声をかける。


「可能性の話ですが、生魚はやめておいた方がいいかと」

「そ、そうですね……!? ありがとうございます!」


 慌てている彼女を見て、リリー先生は怪訝けげんな顔をしている。アデルさんは彼に顔を向け、せわしなく手を動かしながら言った。


「あの、ごめん。生魚はやめよう! 焼いて食べ……いやっ、他のにしよ!」

「別にいいけど……」

「で、ではアレン様! ありがとうございました! 私たちはこれで!」


 アデルさんは勢いよくリリー先生の腕を掴み、引きずるようにして去っていく。


――余計なお世話だったら申し訳ないけど、後悔するよりいいよな。


 何度もこちらを振り返っているリリー先生には、小さく手を振っておいた。

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