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52.5話 普通 ◇

 誰かの声で目が覚めた。カーテンの隙間から見える空はまだ薄暗い。枕元のスマホに手を伸ばして、時間を確認する。

 朝の4時過ぎ。さすがに早すぎるなと布団に潜り込む。


 久しぶりに祖母宅に泊まったから、あまり深く眠れなかった気がする。寝返りを打った先に見える布団は綺麗に畳まれていて、すでに祖母の姿はない。


「……なら、よかったのにねえ」


 (ふすま)の向こうから聞こえた声に、なんとなく耳を澄ませる。祖母の声だ。誰かと話しているのだろうか。こんな朝早くから電話をしているのかと思ったが、違った。


じいさん、ちゃんと見守っててな」


 続けて聞こえた言葉で、それが仏壇ぶつだんに向けられているものだと分かる。


 数か月前、祖母と暮らしていた祖父が亡くなった。かなり顔が広い人だったから、私も会社を休んで来客の対応をしたり、名簿を確認してあちこち連絡したりと忙しかったのを覚えている。

 祖母はしっかりしているけど、まだ1人にするのは心配だった。最近まで親戚が交代で泊まりに来ていたらしい。今週は連休ということもあり、特に予定のない私が泊まりに来ていた。


 数年前までここで暮らしていたのに、もう懐かしく感じる。線香の香りがして目を閉じる。祖母がぽつぽつと近況を祖父に報告している。ふいに、私の名前が出てきた。


ゆいはもうすぐ21になるのに、まだ恋人もできんで」


 む、とつい眉をひそめてしまう。そんなことまで気にしなくていい。未だに女性は20代で結婚するのが当然という風潮ふうちょうが残っているのは、田舎だからだろうか。

 そのせいで余計に心配されているのかもしれない。都会じゃ30代の独身女性も多いと思うんだけどな。


 そう思っていると、祖母が続けて言った。


「もう結婚せんのかねえ。誰も好きにならんのやって」


 そこで、はっとして目を開ける。同時に昨夜のことを思い出す。


 祖母と久しぶりにお酒を飲んで、結婚の話を出された。ちゃんと良い人を見つけて結婚して、子供を産んで幸せになれと。

 それに対して、酒の勢いで言ってしまった。


『うーん。でも私、そういう意味で人を好きにならないからなぁ』


 何をわけわからんこと言ってんの、と流されたから気にしてないと思ってた。覚えてないと思ってた。

 ドクンと心臓が高鳴る。祖母は少しだけ声を抑えて、言った。


「あの子、なんか病気なんやろか。変な風に育ってしまったんかな。やっぱり親がおらんと……私らの育て方が、駄目やったんかね」


 息が止まりそうだった。


 病気じゃない。そういう個性なんだって……なんて、言っても伝わるわけがない。祖母はネットにすら触れたことがない。近所にいた私の同級生はみんな都会に行ったから、結婚しててもしてなくてもわからない。


 周りと違うことを変だと言うなら、祖母の中で私は『変』なんだろう。


――でも、2人に育てられたことは関係ないのに。


 じわ、と目の奥が熱くなる。

 そんな風に思われたくない。勘違いされたくない。でも、なんて言えばいい? なんて言ったら納得してもらえる? 理解してもらえる?

 どうやって説明すれば、私を認めてもらえるんだろう。


 こんな風に受け取られるなら、うっかりでも話すべきじゃなかった。きっと心の中で期待してたんだ。ずっと一緒に暮らしてきた祖母なら、受け入れてくれるんじゃないかって。そんなわけないのに。


「あの子にはちゃんと幸せになってほしいのにねえ。人を好きになれないなんて、かわいそうだわ」


 祖母が鼻をすする音が聞こえた。ばっ、と勢いよく起き上がり、ふすまを開ける。

 こちらを向いた祖母の隣に座って、ぎゅっと抱きしめた。


「昨日のは、冗談だよ。おばあちゃん」


 冗談? と目を丸くする祖母に笑いかける。


「うん、ごめん。漫画……で、見たセリフを真似しただけ。ごめんね、本気にしないで。大丈夫だよ。私はちゃんと幸せになるから安心して」

「あら、なんだそうなの。私はてっきり……」


 ほっと安心した表情を見て、胸の奥が痛む。これでもう2度と、祖母に打ち明けることはできなくなってしまった。

 でも、大丈夫。嘘をつくのはわりと得意だから。祖母の前で『普通』を演じることくらいできるはず。


「今度会社の先輩が合コン開いてくれることになっててね。私も行くんだよ」

「そうかそうか、もういい歳やからね。行っておいで。あーよかったぁ、安心したわ。良い報告待ってるわ。それにしても、早よ起きたなぁ」


 目が覚めちゃって、と笑って返しながら、気付かれないように息をつく。


――人を好きになれないと『変』なんだな。


 胸が苦しい。強く圧迫されてるみたいで泣きたくなってくる。『普通』ってなんだっけ。どうやらこの世界は、みんなと同じじゃないと、幸せだってことも認めてもらえないみたいだ。


 無理にでも誰かと結婚して子供を作れば、私は幸せに見えるだろうか。それは、祖母孝行こうこうになるのだろうか。

 冗談みたいな話だけど、本気で祖母を想うなら、いつか本当にその覚悟が必要になるのかもしれない。大事な祖母を悲しませないように。孫が『変』に育ってしまったと、祖母が何の罪もない自分を責めることがないように。


 普通になりたいわけじゃない。

 でも普通だったら、もっと生きやすかっただろうなとは思う。


 その後どれだけ祖母と話しても、胸に溜まった苦しさが消えることはなかった。




===




「アレンってさ、思ってたより普通だよな」


 昼休みの食堂は生徒で溢れ、がやがやと賑やかだ。話し声が聞こえやすいようにと端の席に3人固まって座ったところで、目の前のライアンが呟くように言った。

 思わず目を丸くしてしまう。


「いきなりだな。どういう意味だ?」

「あっ、すまん。悪い意味じゃないぞ。なんというか、庶民的? というか」

「それも貴族に向けて言うと、あんまりいい言葉じゃないけどなぁ」


 隣でウォルフが笑う。そうだった、とライアンが頭を抱えた。

 それを見て、小さく笑う。


「なんとなくだが、君が言いたいことは伝わった」

「そ、そうか? よかった」


 ライアンは胸を撫で下ろして、改めて口を開いた。


「前に流行ってたうわさのせいもあるけどさ、アレンの属性って氷だろ? だからなんとなく、最初はもっと冷たい奴なのかと思ってたんだよな」


 そういうことかと納得する。氷属性は石属性や金属性、雷属性と同じくらい少ないらしい。学園でも今のところ見かけたことがない。

 だからこそ、そういう『属性』からくるイメージがあるのだろう。そう思っていると、ウォルフが言った。


「まぁ噂だけ聞いてたら、最年少魔力開放者だの天才だの、孤高(ここう)の存在って感じがするなとは俺も思ってたよ」

「なんだそれは……というか、天才というのも誇張こちょう表現だからな」


 呆れて苦笑してしまう。そこで、思い出した。


――ああ、でも……ゲームのアレンはそんな感じだったな。


 無表情で冷たくて、人を寄せ付けない。そうやって常に1人で行動しているのが『クール』なんだろうか。

 と、そんなことを考えていたところで、3人分の食事が運ばれてきた。


 本日の日替わりランチはカレーだった。前世のヨーロッパでカレーが出てきたのはわりと遅かった気もするが、日本で作られた乙女ゲームだからか、こういうところはゆるいらしい。クールソン家の屋敷じゃ出てこないし、この世界でカレーが食べられるなんてと嬉しくなってしまう。


 前世でもカレーは好きだった記憶がある。匂いだけで美味しそうだとそわそわしていると、いつの間にか2人の視線がこちらを向いていた。


「実際はこうだもんなぁ」

「孤高どころか、髪色を隠せばどこに行っても(まぎ)れられそうだよね」

「……ウォルフ、それは褒めているのか?」

「褒めてる褒めてる」


 やや適当な返事に呆れつつ、椅子に座り直す。2人も同じランチだった。口に出さずに「いただきます」と呟いて、さっそく食事を開始する。甘口というのは恥ずかしくて中辛程度にしておいたが、あまり辛くなくてよかった。


 でもさぁ、とウォルフが続けて言った。


「話を戻すけど、アレン君を『普通』って言葉で表すの難しくないか? 貴族としてはちょっと変わってるし」


 その言葉に一瞬だけ手が止まる。変わっていると言われても、どの辺りがおかしいのか分からない。何と言うべきか迷っていると、ライアンが頷いた。


「あー、まぁ確かに。他の貴族となんか違うって感じはするな」

「そうそう。普通の貴族ならメイドの仕事を率先して手伝ったりなんかしないし、学園内でも身分の上下はめちゃくちゃ気にするもんな」


 それを、真っ先に敬語はいらないと言い出したウォルフが言うのはどうなんだろう。今だって彼は、ライアンの身分を全く気にしていない。


 それなら、と私も口を開く。


「その定義ていぎだと、ウォルフも普通の貴族とは言えないな」

「あれ? そういやそうか。俺も身分はそれほど気にしてなかった」

「俺からしたら、アレンもウォルフも普通じゃないけどな」

「えー? さっきはアレン君のこと普通って言ってたのに?」


 2人の話を聞きながら、ふといつかの記憶が頭をよぎる。ライアンが言った『普通じゃない』という言葉が、何故か妙に耳に残った。


 それが自分のことだったのか、どこかで読んだ本の、主人公の心情だったのかは覚えていない。でも、何かとても苦しいと思ったことだけ覚えている。苦しくて悲しい。普通がいいわけではないが、変だなんて言葉で区別しないでほしい、と。


 もしかしたら、前世で見たドラマか何かだったのかもしれない。どんな内容かは忘れたが、それならどう言い方をすれば、その人は救われたんだろう。


「……普通じゃないってことは、『変』ということだろうか?」


 思考が記憶に寄っていたせいで、ついその疑問を含めて呟いてしまった。

 2人はきょとんとして顔を見合わせた。ライアンが首を傾げる。


「変って言うと、なんかまた違うよなぁ」

「俺も変な奴って言われたら嫌だな。まぁ、そう言う人もいるだろうけどさ」


 ウォルフはそう言って、そうだ、と何かを思いついたように指を立てた。


「どっちかと言えば『個性的』の方がいいな」

「個性的も若干良くない意味に聞こえないか?」


 苦笑いを浮かべるライアンに、彼は指を振る。


「良い意味で、個性的なんだよ。俺もアレン君も」

「『良い意味で』ってつけるなら、何でもよさそうだけどなぁ……」


 良い意味で普通じゃない。良い意味で変? と3人で頭を捻る。もっと良い表現があればいいのだが、多数派と違うことに良い意味を含ませるのは難しい。


「ま、普通って1種類じゃないからね。難しく考えるより、俺たちが新しい普通になればいいんだよ。それまでは『良い意味で個性的な』貴族ってことで」


 ウォルフがざっくりとまとめて、そこから話題が変わった。

 来週からの長期休暇のこと。ウォルフの婚約者のこと。ウィルフォード家付近の観光のことなどあれこれ話しているうちに、あっという間に昼休みが終わる。


 午後はライアンと一緒だった。今日は早めに寮に戻って長期休暇に備えるというウォルフを見送り、並んで廊下を歩く。


「……なぁ、さっきの話だけどさ」


 彼が少し迷いながら、こちらに視線を向けた。さっきの話とはどれのことだろう。そう尋ねる前に、ライアンが言った。


「あの、あれだ。普通がどうとかって話。正直途中からよくわかんなくてさ」

「ああ……まぁ、あれは仕方ない。普通じゃないと言う時に、良い意味を持たせるのは難しいからな」

「それなんだけど」


 彼は頬を掻いて私を見た。水色の瞳と、ぱちりと目が合う。



「『特別』じゃ駄目なのかなって」



 それを聞いた途端、何かがストンと胸に落ちたような気がした。


 どうして思いつかなかったのだろう。彼を見詰めたまま固まってしまう。

 ライアンは慌てたように手を振って、目を逸らした。


「いや、あの! アレンが俺にとって特別とかそういう意味では、ええと……その、アレンも、ウォルフもさ。変に『良い意味で』ってつけるより、『特別』の方が俺としてはしっくりくるっていうか」


 特別な友達というかなんというか……と続ける彼の言葉を聞きながら、その単語を心の中で復唱する。『特別』なら『変』よりずっと良い意味に聞こえる。


――ああ、そうか。


 さっき思い出したあの人は、きっと大事な人にそう思われたかったんだ。『変』でも『普通じゃない』でもなく、『特別』に育ったのだと。……育った? あれ、どんな話だったんだろう。覚えてないはずなのに。


「……アレン、どうした? やっぱ嫌だったか?」


 ライアンに声をかけられ、我に返る。いいや、と首を振って小さく笑う。


「さすがだな、ライアン。私も『特別』の方がいい」

「そ、そうか? よかった……いや、よかったって俺が言うのも変か?」


 頭を捻っているライアンを見て、また笑ってしまう。

 なんだか、いつの間にか胸が軽くなっている気がした。

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