47話 最悪な再会
勉強会が中止になったため、ウォルフは婚約者を寮まで送っていくらしい。ついでに街にも行くから早めに帰るね、と図書館を出て行く彼を見送る。
私はどうしよう。せめて魔法を強化する方法だけでも調べて帰りたい。万が一寮で魔道具が授業のように暴走しても、ジェニーや他の生徒を守れるように。
――正直、授業の時の暴走は怖かったな……。
前世ではホラーが苦手だったから見たことはないが、ああいうのはパニックホラーというのではないだろうか。怪我をするかもしれない怖さより、異常すぎる状況の方が怖かった。
さすがにこの体で悲鳴は上げないが、あの状態ですぐ動けたのは訓練のおかげだろう。あの女子生徒が座り込んで固まっていたのも仕方がない。目の前で跳ね回る魔導具がトラウマになってないだろうかと勝手に心配してしまう。
棚を見て回り、さっそく氷魔法の本を手に取る。目次から強度の上げ方を探して、ざっと目を通す。わかったのは魔力の密度を増やすことと、温度を下げるイメージを持つことだった。
どちらも今まであまり意識したことがない。イメージしていたのはスピードと形状、あとは飛ばす方向くらいだ。これにさらに硬さまで変えるとなると、呪文から考え直す必要がありそうだ。
と、そこで左手に抱えていた本がバランスを崩した。そのまま落ちそうになったところを、思わず右手で支えてしまう。
「っつ……」
電流のような痛みが走り、顔を顰める。さっきまで何ともなかったのに、今になって痛みが出てきたようだ。利き手で無理はしたくない。今日はこれくらいにしておこうと本を棚に戻す。
普段なら勉強会をしている時間だが、授業自体は終わっている。寮に帰ってもおかしくはない。ジェニーに対する言い訳は……歩きながら考えよう。
誰もいない図書館を後にする。夜は閉まっているだろうが、人がいなくても扉の鍵は開けたままでいいのだろうか。
学園内に衛兵はいないが、どこかに防犯用の魔道具があるのかもしれない。そういえば寮の窓にも防犯用の魔道具が使われてるんだっけ、と頭を捻りつつ渡り廊下を歩く。校舎に入る直前、リリー先生の声が聞こえてきた。
「何考えてんのよ!? 可哀想だと思わないの!?」
「はぁ? お前に関係ないだろ」
どうやら誰かに怒っているようだ。相手の声は聞き覚えがない。しかし、口調からしても良いイメージは抱けない。
そのまま無視して帰る気にもならず、声のする方へ向かう。
中庭からさらに奥、いわゆる校舎裏に彼らはいた。校舎の壁に背を付け、気配を消して様子を伺う。リリー先生の前には生徒が3人立っていた。真ん中の1人が杖をくるくると回しながら、馬鹿にしたように言った。
「半分平民のくせに偉そうにすんなよ。魔法の練習してただけだろ?」
「だからって子猫を標的にする必要ないでしょ!?」
「間違って飛んでっただけだって。しつこい奴だな」
リリー先生は悔しそうに拳を握った。後ろにいる2人はニヤニヤ笑っているだけで何も言わない。先程から話しているあの生徒の取り巻きのようだ。
今何と言った? 子猫を標的に? とリリー先生の方に目を向けて気付いた。彼の後ろで灰色の子猫が座り込んでいる。まさか、と息をのむ。
――わざと魔法を当てたのか……!?
思わず赤毛の生徒を睨み付けたところで、はっとした。体格も声も記憶とは違っているが、あの跳ねた赤毛は見覚えがある。できれば出会いたくなかった相手の名が頭に浮かぶ。取り巻きの1人が楽しそうに声を上げた。
「マークス様! せっかくなら先生に魔法を見てもらいましょうよ」
そこで、彼がマークスであることが確定してしまう。
王宮のお茶会で会った時から10年は経っている。多少はまともに成長しているかと思っていたのに、取り巻きが増えたことで以前よりも悪化しているようだ。
マークスは杖を構えてにやりと笑った。
「そうするか。おい、どけよ。正面から見たいのか?」
「また間違えて飛んだって言い訳するつもり?」
「言い訳ぇ?」
杖の先がリリー先生に向けられる。先生が顔を強張らせるのが見えた。何故彼は杖を握っていないのだろう。生徒には向けられないのだろうか。
なんにせよ、これ以上大人しく眺めていられるわけがない。かといってマークスの前に飛び出すのは、先ほど反省した意味がない。
懐から杖を取り出し、左手で握る。
「練習に失敗は付き物だろ? あんまりしつこいと、もっと手が滑るかもな」
マークスが杖を振り上げた。
彼が呪文を唱える前に足を踏み出す。人に向かって杖を構えるなんて良い気はしない。わざと大きく狙いを外し、声を抑えてアイススピアを唱える。
空中に小さな氷の槍が1つだけ生まれた。それはマークスの眼前を横切ると、その先に生えていた木の幹に突き刺さる。
その場にいた全員の視線が、こちらを向いた。
「すまない、手が滑ってしまった。危険だから魔法の練習は人がいないところでやったほうがいいな。お互いに」
「お前……!」
私に気付いたらしいマークスが目を見開いて、小さく唸った。彼の目を見返しながら、リリー先生との間に入る。本当はすぐに杖を仕舞うつもりだったのに、彼が構えているから互いに戦闘態勢のままだ。
最悪な再会だ、と思わずため息をついてしまう。
「変わらないな、マークス。少しは成長しているものと思っていた」
「あ? お前も変わらねぇだろ、女面野郎」
「それだけか? 私は内面の話をしているんだが」
互いに成長して大人になっていれば、少しくらい友として会話ができるかもしれない。そんな期待は一瞬で崩れ去る。
ケーキに目を輝かせていた頃の方がマシだった。あの時はフォークを人に向けるのが悪いことだと分かっていたはずなのに。
今では、もっと危険なものを脅しに使っている。
じっと彼を睨み付けて、口を開く。
「それはフォークとは違うぞ、マークス。怪我じゃ済まない」
「相変わらず偉そうな口利きやがって。今度こそ力づくで黙らせてやろうか?」
彼は負けじと睨み返してきた。この歳になってもそれなのか、と呆れてしまう。
身長差はほぼないが、体格的にただの力比べになってしまうと、マークスの方が有利だろう。しかしそんな泥臭いことをするつもりはない。これ以上魔法を使いたくもないが、ここで隙を見せるわけにはいかない。
構えた体勢を崩さず答える。
「本気か? 私は構わない。魔法のスピードには自信がある」
脅し文句に全く揺らがなかったのが効いたのか、彼がわずかに後退った。後ろで取り巻きが青い顔をしているのが見える。
マークスの予想外の言動に戸惑っているのだろうか。それなら早く彼を連れて行ってくれと思っていると、彼らが震える声で言った。
「な、なぁ……あれ、アレン・クールソン様じゃ」
「8歳で人身売買組織を壊滅させたって噂の……!?」
情報が古いな、と小さく呟く。彼らには訂正された噂は入ってきていないらしい。自ら肯定したくはないが、今は利用させてもらおう。
そう考えて黙っていると、マークスはさらに後退った。分が悪いと思ったのか、そのまま大きく舌打ちをして踵を返す。
「お前らうるせぇぞ! クソッ、……覚えてろよ」
使い古された捨て台詞を吐いて、不機嫌そうな足取りで去っていく。残された2人は慌てて彼の後を追っていった。それを見て杖を下ろし、ふうと息をつく。
こんなところでマークスと再会することになるとは思っていなかった。妙な遺恨を残してしまった気がする。どこかで清算できるだろうかと考えたところで、後ろから声がした。
「驚いたわ。あんたも誰かと言い争ったりするのね」
振り返ると、リリー先生が目を丸くしていた。彼の後ろにいる子猫に気付き、慌てて尋ねる。
「先生、子猫は無事ですか?」
「だ、大丈夫よ。魔法にびっくりして転んだけど、怪我はしてないみたいだし」
それを聞いてほっとする。子猫は元気そうに立ち上がると、足元に寄って来た。しゃがみ込んで灰色の毛を撫でる。何故か一部の毛が濡れているようだが、確かに怪我をしている様子はない。
同じようにしゃがみ込んで、リリー先生が言った。
「もう寮に帰ったのかと思ってたわ」
「氷魔法の強度が弱いことを痛感したので、図書館で少し調べていました」
「強度って……もしかして、今日の授業で?」
頷いて返す。先生は少し黙って、躊躇いがちに口を開いた。
「ねえ、ちょっと聞きたいんだけど」
そこで、近付いてくる気配にはっとした。
咄嗟に手を伸ばし、リリー先生に向かって飛んできた水の玉を受け止める。それはバシャッと弾けて地面を濡らした。
狙われていたことに気付いた先生が驚いて顔を上げる。水が飛んできた方向に目を向けると、3人の生徒が走って行くのが見えた。
「い、っ……!」
ズキンと痺れるような痛みが走り、右手を押さえる。しまった。つい利き手で受け止めてしまった。マークスの属性が水だったとは。
しっとりと濡れた包帯に、じわじわ赤い染みが広がる。そういえば濡らすなと言われていた。完全に傷が開いてしまったようだ。
「ちょ……ちょっと! 出血してるじゃない!」
リリー先生は私の左手を掴んで立ち上がった。そのまま引っ張られるように医務室に向かう。慌てる先生の背中を見ながら、数時間前にも同じことがあったなぁと心の中で呟いた。
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「はい、これで良し。一応、防水加工の手袋なんかもあるけど。使う?」
「いえ、大丈夫です」
「あんたの大丈夫はあてにならないのよねぇ」
苦笑いを浮かべ、リリー先生は手にしていた手袋を棚に片付けた。医務室には夕陽が入り込んでいる。どこかで演奏をしているのか、音楽がかすかに聞こえる。
放課後の教室を思い出して懐かしく感じていると、彼が言った。
「聞いてた?」
「え?」
「……あたしが半分平民だって」
「ああ、聞いてましたよ」
確かマークスがそんなことを言っていた。だから先生は黒髪なんだろうかと思いつつ頷く。リリー先生は目の前の椅子に座って、首を傾げた。
「どう思った?」
どう、と言われても。半分平民って初めて聞く呼び方だなとか、何故マークスが知っているんだろうとは思ったがそれくらいだ。
まぁ半分ということは、おそらく。
「ご両親のどちらかが、平民なんだろうと思いました」
「……そういう意味で聞いたんじゃないんだけどね」
リリー先生は小さく笑った。今度は私が首を傾げてしまう。先生は軽く目を伏せて続けた。
「半分は平民のくせに貴族学園の先生だなんて、おかしいと思わない?」
「別に、思いませんが」
他の先生はどうなのか知らないが、リリー先生は医務室の『担当医』だと言っていた。養護教諭ではなく担当医。つまりお医者様だ。この国では、お医者様は試験を受けて資格を持っていないと名乗れない。
それはリリー先生が、それだけ努力をしたということを表している。そこに身分なんて関係ない。
しっかり先生の目を見て否定すると、彼は目を丸くして、次いで苦笑した。
「ほんとに態度変わらないのね、あんたは」
「先生は先生ですから」
「……聞いていい? 今日の授業で、なんであの女子生徒を助けたのか」
それは、さっき水が飛んでくる前に聞こうとしていたことらしい。なんでと聞かれて再び答えに迷ってしまう。
咄嗟に、なんとなく、勢いで? どれもしっくりこない。考える前に動いてしまったし、はっきりした理由なんてなかった。
「あの子、確か子爵家でしょ。あんたの身分の方が上なのに」
「関係あるんですか?」
「そりゃ大ありでしょうよ。例えば王族が男爵家の子を庇って怪我したりなんかしたら、かすり傷でも大変よ? 責任問題よ」
「王族はそうかもしれませんが……」
国を存続させていかなければならない王族は特別だ。当然、誰かを庇う方がよくないこともある。でも私は別にと言いかけたところで、リリー先生が言った。
「何かあの子に特別な思い入れでもあったの? 助けなきゃならない理由とか」
「……助ける理由は特にありませんが」
少しだけ考えて、答える。
「助けない理由も、特になかったので」
「なるほどね。……そういう奴なのね、あんたは」
リリー先生はじっと私を見て、「嫌いじゃないわ」と納得したように呟いた。
椅子から立ち上がり、手を差し出される。その手を取って私も立ち上がった。
「寮まで送っていくわ。アレンは目を離すとまた怪我しそうだし」
「そこまで子供ではないのですが」
「あたしからしたら子供なのよ」
そう言うと先生はいたずらっぽく笑った。その表情から、昼間に感じた影は消えていた。『一応』と言っていたのは、きっとこのことだったのだろう。
まだ少し気になることはあるが、今はやめておく。
どこか嬉しそうな彼と共に、医務室を後にした。




