46話 魔道具の授業②
ざわざわと生徒たちが顔を見合わせる。リリー先生の剣幕に押されて、みんな戸惑いながらも各テーブルから離れた。
他の先生が怪訝な顔をして、こちらに駆け寄ってくる。
「リリー先生? 一体何を」
と、言いかけた瞬間。
バチッと一際大きな音がして、テーブルに置かれた『すべての』魔道具が同時に作動した。いや、テーブルだけじゃない。箱に入って端に置かれていた物や、地面に置かれていた物もすべてだ。
途端に辺りが騒がしくなり、あちこちで悲鳴が上がる。
「せ……生徒たちの避難を!」
真っ先に状況を理解したらしい魔道具担当の先生が声を上げる。何人かの生徒は異常事態を察して、すでに駆け出していた。
ミキサーのような魔道具がテーブルの上でガタガタと揺れている。球の魔道具が真っ赤になって煙を上げている。地面に置かれた金庫のような魔道具が、バタンと大きな音を立てて扉を閉じた。
暴走だ、と誰かが叫んだ。
「あんた達も逃げなさい!」
リリー先生は私たちにそう言って、懐から杖を取り出した。それを合図にしたかのように、魔道具がさらに激しく動き始めた。
そんな動作をするものではないはずなのに、飛んで弾んでとスーパーボールのような動きをしている。硬いものは地面に当たるたびにバラバラと分解したりヒビが入ったりしているが、止まる様子はない。段々目では追えなくなってくる。
離れるべきかと考えたが、縦横無尽に跳ねまわる魔道具のせいで1歩も動けない。下手に動き回る方が危険だ。先生方は暴れ回る魔道具の回収と、避難した生徒を守るので精いっぱいのようだ。
それならと杖を握ったところで、女子生徒の悲鳴が聞こえた。
いつの間にか枠が壊れてプロペラ部分だけになっていた扇風機が、地面に蹲った彼女に向かって飛んでいく。
「氷の盾!」
高い音が響いて、氷でできた盾がプロペラを受け止める。そんなに固い素材には思えなかったのに、深く氷に突き刺さっているのを見てぞっとする。
――もしあれが彼女に当たっていたら……。
「アレン! ッ土よ守れ!」
ライアンの声に、はっとした。瞬く間に足元から土が盛り上がり、完全に囲まれる途中でガキンと鈍い音がする。ザラザラと崩れていく土に、金属製の蓋らしきものが埋もれていた。
これも飛んできたのだろうか。危なかった。守ってもらったことに礼を言おうとしたが、そんな暇はなかった。
ガラスが割れるような音がして反射的に顔を向ける。さっきまで転がっていたミキサーが割れ、中の刃が回転しながら地面削っているのが見えた。
あれは危険すぎる、と顔から血の気が引く。あの勢いのまま、目で追えない速度で跳ね回られたら。掠るだけでも致命傷になりかねない。
「氷の箱!」
四角い氷が刃の上に落ちる。が、それでは止まらない。ドリルのように回転する刃は、じわじわ氷を削りながら進んでくる。どうしたら、と手に力を込め、再び同じ魔法を重ねて放つ。
氷の壁が分厚くなったことで刃が引っかかったらしく、ギギッと嫌な音をたてて回転が止まった。
小さく息をついたところで、再びライアンの魔法に守られる。先生方の魔法で徐々に暴走する魔道具の数は減ってきているが、まだ油断はできないようだ。
生徒たちの姿はほとんど見えなくなっていた。とはいえ全員が避難できたわけじゃない。土で壁を作って閉じこもっていたり、水で魔道具の勢いを殺して耐えている生徒もいる。
生徒に被害が出る前になんとかしなければ。と、先程蹲っていた女子生徒に視線を向ける。彼女はいつの間にか、すぐ傍にしゃがみ込んでいた。腰が抜けて立ち上がれないらしく、ここまで這って移動してきたようだ。
涙目の彼女と目が合う。そこで、背後からパキンと音がした。止まっていたはずのミキサーの刃が、回転しながら彼女に向かって飛ぶ。
彼女が悲鳴を上げたのと、思わず私が飛び出したのは同時だった。
「アレン!?」
ライアンの驚いたような声が鼓膜を揺らす。
それと被せるように短く唱える。
「ッ氷の盾!」
女子生徒の前に立つ私の正面に、氷の盾が現れた。
回転する刃は氷にぶつかって火花を上げる。
そしてそのまま、盾を貫通する直前。
「落ちろ雷の矢よ!」
真上から雷が降ってくる。その眩しさに目を瞑る。ズズンとわずかに地面が揺れ、瞼越しに白い光が瞬いた。
そっと目を開けると、何故か視界は茶色だった。ザラザラと崩れていく土壁を見て、またライアンが守ってくれたのだと気付く。雷魔法を受けた刃は、地面に落ちて煙を上げている。
土がなくなって見えた氷の盾には、大きな穴が空いていた。
――守られてなかったら、危なかった。
そう理解して頭が冷たくなる。ライアンは慌てたように走ってくると、私の肩を掴んで声を上げた。
「アレン! 大丈夫か!? 何してんだ、危なすぎるだろ!?」
「す、すまない」
我ながら危険なことをしてしまった。乙女ゲーム本編が始まる前に何度死にかければ気が済むのだろう。心配して怒ってくれている彼に苦笑いしかできない。
雷魔法を放った先生が、真っ青な顔をして駆け寄って来た。
「クールソン様! 遅くなり申し訳ございません、大丈夫ですか!?」
この先生も公爵より下の身分なのかと考えながら、とりあえず頷いて返す。周囲の魔道具は完全に落ち着いたようで、辺りは静かになっていた。
ふと、足元の方から泣きそうな声が聞こえてくる。
「も、申し訳ございません……! わ、私のせいで、クールソン様を危険な目に」
振り返ると、座り込んでいた女子生徒が地面に手をついて頭を下げていた。これでは土下座だ。彼女も貴族の令嬢なのにと慌てて止める。
「私が勝手にしたことだ。気にするな。君は大丈夫か?」
「は、はいっ! 大丈夫で……」
顔を上げた彼女が固まった。そして、震える手で口を抑える。どうしたんだろうと思っていると、ライアンが顔を強張らせた。
「お、おいアレン! 手! 怪我してるぞ!」
「え?」
彼に指摘された右手を見てみる。いつの間に切ったのか、小指から手首に向かって手のひらに赤く線が入り、血が垂れていた。
「本当だ。気が付かなかった」
何で切ったんだろうと考えている私の周りで、3人がおろおろと青い顔をしている。見た目ほど痛くないから大丈夫だと言う前に、雷属性の先生がリリー先生に顔を向けた。
「リリー先生! クールソン様を早く医務室へ!」
そういえば魔道具が暴れ回っていた間、リリー先生の声を聞かなかった気がする。最初に逃げろと言われたきり、1度も詠唱が聞こえなかった。不思議に思ってリリー先生を見ると、彼は杖を握ったまま青い顔をして固まっていた。
何度か声をかけられ、ようやく我に返ったらしい。はっとこちらを見て、杖を懐に仕舞いつつ歩いてくる。
「……来て。医務室で治療するわ」
「いえ、そんな大した傷じゃ」
「いいから」
先生は俯いたまま私の左手を掴んだ。彼に手を引かれるようにして歩き出す。「今日の勉強会は無しでいいからな!」というライアンの声を背中に受けながら、掴まれた手に目を向ける。
リリー先生の手は、何故か小さく震えていた。
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リリー先生が医務室の鍵を開ける。案内されるまま中に入ると、そこは思っていたより広い部屋だった。
ベッドが両側の壁に沿って4つずつ並んで置かれている。治療用の椅子も大きくて立派だ。医務室というより病院みたいだなと思いながら、椅子に座る。
先程の呆然とした様子とは違い、テキパキと棚から包帯などを取り出して、リリー先生が言った。
「手、出して」
言われるまま右手を差し出す。何やら塗り薬のような物を塗った上から布を当て、包帯を巻かれる。ちょっと大げさなのではと思っていると、彼が呟くように口を開いた。
「ごめん、守れなくて」
「えっ?」
突然の謝罪に驚いてしまう。リリー先生は丁寧に包帯を巻きながら続けた。
「生徒を守るためにあたし達がいたのにね。逆に守られちゃって……情けないわ、ほんと」
そう言って苦笑する。それがなんだか苦しそうに見えて、慌てて首を振る。
「先生が魔道具から離れろと言ったからこそ、怪我人が出なかったんですよ」
「怪我人なら目の前にいるんだけど」
「私以外の、です」
包帯を切り、縛って止める。それで治療は終わったが、手は握られたままだ。
「オリエンテーションの時も思ったけど、あんたって自分の扱いが雑じゃない? 貴族なんて自分が怪我しないために、他人を盾にするような奴が多いのに」
そうだろうかと首を傾げる。確かに今日の行動は自分でも危なかったと思う。でもオリエンテーションの時は、とそこまで考えて頭に疑問が浮かんだ。
「先生も、貴族ですよね?」
なんでそんな言い方をするんだろう。彼はさっきの授業でも杖を持っていたし、親戚である前神官様も貴族だったはずだ。
リリー先生は少しだけ間を置いて、目を伏せた。
「一応、ね」
「一応……?」
それ以上答えず、彼は手を離して立ち上がる。腰に手を当て、座ったままの私を見下ろして言った。
「はい、治療終わり。3日経っても痛かったり痺れてたりしたら神殿に行くわよ」
「えっ」
思わずうろたえてしまう。神殿には、まだ前神官様の聖魔力は残っているのだろうか。私が送った魔力はおそらく私には効かないだろう。
神殿を介せば効くようになるのかもしれないが、今まで試したことがないから分からない。聖魔法を受けても傷が治らなかったら怪しまれてしまう。
「それが嫌なら、傷が完治するまで極力右手を使わないこと。水に濡らすのも駄目よ。明日の昼に包帯を変えるから、また来てちょうだい」
「……わかりました」
そのまま背中を押されるようにして医務室を出る。リリー先生は軽く手を振ると、パタンと扉を閉めた。少し気になることを言っていたが、あまり深く詮索しないほうがいいだろう。
手に巻かれた包帯を見て、小さく息をつく。魔道具の授業が途中で終わったから時間が余ってしまった。
ライアンが今日の勉強会は無しでいいと言っていたが、あまり早く帰ってもジェニーに心配されてしまうだろう。そんなに大した怪我じゃないのに、早退するほどなのかと思われても困る。
顔を上げると、廊下の窓から図書館が見えた。自然と足が渡り廊下の方へ向かう。時間が空いたら何をするかなんて、自分の中の選択肢は1つしかない。
盾だけでは危険だと判断して咄嗟に飛び出してしまったが、下手したら大怪我を負うところだった。ライアンにも心配をかけてしまった。自分で自分にヒールはかけられないのだから気を付けないと。……と、分かってはいるのだが。
――なんか、深く考えるより先に体が動いちゃうんだよな。
ある意味、反射神経が良いのかもしれない。でもクールキャラは頭脳派のイメージもあるから、反射的に飛び出してばかりなのはよくないかと反省する。
ただこうやって反省したところで、実際抑えられるかはまた別問題だというのもわかっている。それで止められるなら転生なんてしていない。
図書室の扉を開け中に入る。いつものように魔界の門について調べようとして、氷魔法の強度がいまいちだったなと思い出した。
魔法の強度に自信があれば、自ら生徒の前に飛び出す必要はなかっただろう。発動がいくら早くても強度が弱ければ意味がない。いざという時にヒロインを守るためにも、シールド魔法は強化しておかなければ。
しかし何故魔道具が暴走したんだろうと考えていると、聞き慣れた声がした。
「あれ? アレン君だ。早くない? 授業は?」
声の方に顔を向けると、予想通りウォルフが本棚の間で手を振っていた。
「ウォルフ。それはこちらのセリフでもあるんだが」
「今日は特に受けたい授業がなかったから、午後はずっと本を読んでたんだよ」
なるほど、と返して近寄る。彼が抱えていた本を棚に戻すのを手伝いながら先程の事件について話すと、ウォルフは驚いたように目を丸くした。
「そりゃまた災難だったな……ってアレン君、右手を怪我したのか? 大丈夫?」
「ああ。少し大げさに包帯を巻かれているが、動かせないわけじゃない」
「でも利き手を怪我したのはまずいな。無理して怪我の治りが遅くなっても良くないし、勉強会は今日だけと言わず、念のため数日お休みにしようか」
そう言われ、残念に思いながら頷く。ペンを握らなくても勉強会自体はできるだろうが、2人に心配をかけるわけにはいかない。
彼は続けて言った。
「それにしても、魔道具の暴走か。今までも稀に起きることはあったけど、全部同時にってのは変だよな。誰かがその範囲に影響するような魔法を使ったくらいしか思いつかないよ」
「……誰か、って?」
ウォルフは腕を組んで、首を傾げた。
「そんな広範囲に影響のある魔法を使えるのなんて、学園長くらいじゃないか? セシルなわけないし、アレン君もライアンも魔力は多いけど、被害者側だからな」
なんとなく、魔道具の暴走にも例の門が影響しているのではとは考えていた。しかし、ここで学園長の話が出てくるとは思わなかった。
学園長とは入学式で話しただけで、それ以降会ったことはない。実はヒロインが入学する前から、すでに裏で動いているのだろうか。不安に思いつつ尋ねる。
「学園長ってどんな人なんだ?」
「どんな人? そうだなぁ……一言で表すなら、優しいおじいさんって感じかな。王家の血筋らしいけど別に偉そうでもないし、アレン君みたいに身分とか気にしてなさそうだし。怒ったところも見たことがない」
それは、私が学園長に抱いた印象と似た答えだった。学園2年目のウォルフがそう言うなら、きっと誰から見てもそうなのだろう。
やっぱりゲームのラスボスとは似ても似つかない。確かゲームの彼はもっと不機嫌で偉そうで、見るからに怪しい人物だったはずだ。これから学園長に何か起こるのだろうか。もしくは、もう何かが起きているのだろうか。
ウォルフは「だからさ」と苦笑いを浮かべた。
「そんなことできるのは学園長くらいだって言ったけど……とても学園長が犯人だとは思えないんだよね」
結局、魔道具暴走の理由は、現段階では不明なままだった。




