44話 杖の代金
「それではアレン様、おやすみなさいませ」
「ああ、おやすみ」
ジェニーが礼をして部屋を出て行く。ベッドに入る前にソファーに座り、胸の前で祈るように手を組む。カーテンがしっかり閉まっていることを確認し、聖魔法を発動させる。
これは、前神官様に指輪を貰った時からの日課だ。
神殿に向かって聖魔力を送りながら、ヒロインが現れたらこの役目も終わるのだろうかと考える。彼女が神殿の手伝いをするようになれば、私の魔力は必要なくなるかもしれない。でもなんとなく、私は本編が始まっても、こうやって魔力を送り続ける気がしていた。
――屋敷にいた頃のように訓練ばかりできないし、結構魔力は余ってるんだよな。
ただ聖魔力を保持しているだけではもったいない。それなら誰かの怪我や病気を治すのに役立ててほしい。
そう思って、できるだけ多くの魔力を送るようにしている。
この指輪も、講堂の椅子と似たようなものなのだろうか。決められた場所に魔力を転送する魔道具。
具体的にどの程度の距離までなら届くのかは聞いていないが、ここから神殿へ魔力を送ることができるなら、学園の端から端は余裕で届くだろう。
もしかしたら魔界の門は、講堂からかなり離れた場所にあるのかもしれない。今日も1日図書館に籠って本を読んでいたが、どれを見ても『学園のどこかにある』としか書かれていなかった。
手を離してふうと息をつく。私がこのゲームをやり込んでいたら、こんな風に色々と調べる必要もなかったのだろう。全員のルートやイベントも分かるし、やっていいことと駄目なこともわかる。
私は全部うろ覚えだ。もしかしたらもう何か余計なことをしているかもしれないし、何かが足りていないかもしれない。逆に私がわざわざ調べたりしなくても、ヒロインさえ入学すれば、物語は勝手にハッピーエンドに向かうのかもしれない。
次々浮かんでくる想像を、頭を振ってかき消す。あまり考えていても眠れなくなってしまう。ヒロインが入学してくる前にやるだけやっておいて、必要なさそうなら本編が始まった時点で流れに任せればいい。
それまでは自分にできることをしておこう、とソファーから立ち上がる。そこで部屋の扉がノックされた。
「こんな夜にすまん、ライアンだ。起きてるか?」
控えめに声をかけられ、急いで扉に駆け寄る。鍵を回して扉を開けると、何故かライアンは一瞬だけギクリと顔を強張らせた。
「どうした? とりあえず入ってくれ」
「えっ、あ、ああ。お邪魔します」
彼が部屋に入ったのを確認して扉を閉める。手を離すだけで勝手に鍵が閉まるオートロック仕様だ。
お茶の用意をしようとすると「すぐに帰るから大丈夫だ」とライアンは慌てて手を振った。とはいえ、部屋の中で立ち話というのもどうだろう。
ひとまず部屋の中央に置かれたソファーに向き合って座る。ライアンはそわそわと目線を逸らして、口を開いた。
「……ごめん、一瞬間違えて女子の部屋に入ったのかと思った」
そう言われ、きょとんとしてしまう。そしてすぐに、自分が髪を下ろしていることに気が付いた。腰辺りまである青い髪は、母様にそっくりだと我ながら思う。
「もうすぐ寝ようとしていたからな」
「そうなのか。悪い、すぐ済ませる」
ライアンは目の前のテーブルにそっと布の袋を置いた。促されるまま袋の口を縛っていた紐を外す。中には数枚の金貨が入っていた。
「昨日の、杖の代金だ。足りなかったら言ってくれ」
「……気にするなと言ったのに」
苦笑いして、小さく息をつく。別れ際にもすぐに返すと言われ、いつでもいいと答えたはずだ。
昨日の今日でこんなに金貨を集められるわけがない。もしや何か別のものを質に入れたのではと疑ってしまう。彼は座ったまま深く頭を下げた。
「家族に手紙を出すより先に、近場にいた父さんの方に話が伝わったみたいでさ。『クールソン様に杖を買い戻してもらうとは! すぐ謝礼を!』って騒いでたんだけど……アレンはあんまり大事にしたくないかと思って、とりあえず金だけ受け取って来た」
それを聞いて納得する。彼が無理をしたわけじゃないならよかった。お父上に頂いたということは、ウィルフォード家としての返金になるのだろう。
ここで遠慮して受け取らないのは失礼だ。貴族間の金の貸し借りは問題になることもあるし、これでしっかり帳消しにしておこう。
「なるほどな。君がまた何かを質に入れたのかと思った」
「まぁ、俺も最初はそうしようと思ってたんだけどな。杖以外に出せるような物がなかなか見つからなくてさ。せっかくアレンが取り戻してくれた杖は、もう手放したくないし」
ライアンはそう言って頬を掻いた。予想通り、他の何かを質に入れるつもりだったらしい。彼のお父上が近くにいてよかったと改めて思う。
「父さんもめちゃくちゃびっくりしてたよ。俺も含めて、家族みんな水魔力しか持ってないと思ってたからさ。そういえば爺さん世代の親戚に、1人だけ土魔法を使う人がいたような気がするって言ってた」
「そうか。やはり親戚に土属性の方がいたんだな」
ライアンはいわゆる先祖返りだったのだろう。となると、神殿で魔力確認をしなかったのはむしろ良かったのかもしれない。
みんなが水属性と思いこんでいる状態で両親とも祖父母とも違う魔力があると分かったら、調べがつくまで家がギスギスしていた可能性もある。
ライアンは少しだけ間を置いて言った。
「それでさ、アレンがよかったら……ちょっと距離があるけど、長期休暇の時にでもうちの屋敷に遊びに来ないか?」
「ウィルフォード家に?」
「ああ。周辺の広い畑が観光地になっててさ。父さんも礼がしたいって言ってたし、俺もちゃんとお礼がしたい。アレンは恩人だから歓迎するよ。……って、公爵家の方をそんな辺境にお招きするのは、礼というより失礼かもしれないけど」
苦笑する彼に、首を振る。ウィルフォード家の農場は観光名所としても有名だ。いつか行ってみたいとは考えていた。彼の誘いに嬉しく思いつつ、答える。
「ありがとう、是非行きたい。でも、礼なんて考えなくていい。杖の代金はこうして受け取ったし、他に礼をされるようなこともない」
「え? いや、そんなことないだろ。俺の魔力が土ってのも気付いてくれたし」
「それは、遅かれ早かれ明らかになっていたはずだ」
まもなく交流目的ではない、本格的な授業が開始される。魔力調整などで実際に魔法を使う機会も増える。そうなればライアンも、どこかで自分の本当の属性に気付いていたかもしれない。ゲームでも、彼は普通に魔法を使っていたはずだ。
小さく笑って、続ける。
「長期休暇ではクールソン家の屋敷にも帰るから、長居はできないが……できればその時は『恩人』ではなく『友達』として、よろしく頼む」
私がそう言うと、ライアンはぱっと顔を輝かせた。
そして、嬉しそうに笑った。
「そっか、そうだな! 友達として家族に紹介するよ。俺、今までちゃんとした貴族の友達なんていなかったからさ。アレンと友達になれてよかった」
「ああ、私もだ」
「兄貴たちにも会うかもしれないし、その前にしっかりアレンの噂を訂正しておかないとな。俺の友達だから、って普通に失礼なこと言いそうだし」
彼の言葉を聞いて、そうだと思い出す。噂といえば、昨日の街での出来事もしっかり噂になっているようだ。
お医者様の薬を置いていた倉庫で火災があり、ウィルフォード家の令息が魔法で火を消してくれたと。かなり詳しい話が広がっているらしい。今朝ジェニーから、あの時街にいたのかと心配されて知った。
使用人の間で噂になっているということは、図書館でライアンを馬鹿にしていた彼らの耳にもさすがに届いているだろう。
「あっ、すまん! すっかり遅くなっちまったな。そろそろ部屋に戻るよ」
ライアンは時計を見て慌てて立ち上がった。
彼を見送るため、私も立ち上がって口を開く。
「ライアン、明日からは周囲の目も変わっているかもしれないな」
「え?」
「今朝ジェニー……うちのメイドから聞いたんだ。君の活躍が噂になっていると」
私がそう言うと、彼は目を丸くして、きゅっと口を結んだ。
図書館で陰口を言われていた時も、笑ってはいたが辛そうだった。きっと私が知らないところでたくさん心無いことを言われてきたんだろう。それも、もう我慢する必要はない。
よかったなという気持ちを込めて、彼に笑いかける。
「もう誰も、君のことを落ちこぼれだなんて呼んだりしない」
ライアンは何も言わなかった。
代わりに腕が伸びてきて、机越しに抱き締められる。突然のことに、今度は私が目を丸くしてしまう。彼はぎゅっと腕に力を込めた。
「ありがとう……っありがとう! アレンのおかげだ。アレンと出会ってなかったら、たぶん俺はずっと変わらなかった。明日も明後日も、半年後も自分は落ちこぼれなんだって、落ちこぼれだからどうせ誰の期待にも応えられないんだって思い込んでた……!」
声が震えている。それだけ辛い想いをしていたのだろう。誰かに兄2人と比べられたり、自分で比べて落ち込むこともあったのかもしれない。
水魔法は使えているから、きっかけがないと属性を疑うことも難しい。授業で魔力を使っているうちに気付くかと思ったが、途中から水属性の杖を使っていたらそれもなかっただろう。本当に、今のうちに気付くことができて良かった。
と、そこまでは真剣に考えられていたのだが。
――た、体格差があるせいで、地味に苦しい……。
ライアンの身長が大きいから、完全に頭を包まれている。今も続いている話を遮るのはとても申し訳ないが、このままでは私が先に酸欠になってしまう。
できるだけ耐えてから、ぽんぽんと彼の腕を叩く。ようやく気付いたらしい彼が腕を緩めた。ぷは、と息を整えて、彼を見上げる。
「す、すまない。ちょっと体勢が」
「い、いや! 悪い! こっちこ、そ……?」
ライアンの言葉が不自然に止まる。
不思議に思って見上げた彼の顔は、影になっているせいか妙に赤いような気がした。酸欠になりかけた私はともかく、何故ライアンもと首を傾げる。
彼も体勢的にきつかったのだろうか。もしくは素直で純粋な彼なら、勢いで友人に抱き着いたことが恥ずかしくなったのかもしれない。
「ライアン?」
固まっている彼に声をかける。そこでようやく我に返ったらしい。ライアンは慌てて離れると、手を忙しなく動かしながら、後ろ歩きで扉に近付いていった。
「ご、ごめ、その……っ明日! また明日な! 本当にありがとう! じゃ!」
そのまま器用に後ろ手で鍵を開け、そそくさと部屋を出て行ってしまう。
急にどうしたんだろう。顔を赤くして、何かに耐えているようにも見えた。もしかしたらお腹が痛くなったのだろうか。言ってくれればトイレくらい貸すのだが、身分を気にして言いだせなかったのかもしれない。
まぁ、また明日と言ってくれたので気にしなくてもいいだろう。本当にお腹が痛かったとしたら、詮索するほうが失礼だ。
ガチャリと自動的に鍵が閉まる音が、静かになった部屋に響いた。
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ちょっと遅くなっちゃったなぁと思いながら、5階に上がる。せっかくの休日だからと婚約者と遠出をして、帰ってきたらこんな時間になっていた。それもいい思い出かと思いながら廊下を歩いていると、見慣れたオレンジ色の髪が目に入った。
「ライアン? 珍しいな5階にいるなんて。アレン君の部屋に行ってたのか?」
ライアンは何故かギクッと肩を跳ねさせて振り向いた。その顔がやけに赤く見えて首を傾げる。彼は俺に気が付くと、ほっと息をついた。
「な、なんだ。ウォルフか」
「なんだとは失礼な。どうした? なんか顔、赤くないか」
俺がそう言うと、ライアンは慌てて両手で頬を挟んだ。自覚がなかったのだろうか。何かあったのかと聞く前に、ぽつりと呟くように彼が口を開いた。
「な、なぁ……アレンって、男だよな?」
「え?」
突然飛び出した疑問に目を丸くしてしまう。まさか酔ってるのかと思ったが、そういうわけでもないらしい。ふむ、と顎に手を当てる。
「まー確かに綺麗だけど、今はちゃんと男に見えるな」
「そう、だよな」
昔は本当に女の子みたいだったけど、と心の中で付け足しておく。公爵家のお茶会の時なんか、女の子も招待されてるのかと思ってしまったくらいだ。
正直、俺を含めて何人かはそわそわしていた。マークスが声をかけたからすぐに男だってわかったけど、黙っていたら本当に勘違いしたままだったと思う。
でもその当時のことを言っているわけじゃなさそうだし、ライアンは最近のアレン君しか知らないはずだ。やっぱり何かあったんだろうか。
彼はもにゃもにゃと言葉を濁しながら呟いた。
「わかってんだけど、なんか……アレンって、髪下ろしたら……」
そこで、はっとしたように顔を上げる。ライアンは慌てて手を振った。
「いやっ、いや駄目だ! 今めちゃくちゃ失礼なことを言おうとしてる気がする。すまん、忘れてくれ!」
それだけ言って顔を真っ赤にして走って行くライアンに、とりあえず「おやすみ」と声をかけて見送る。
それにしても、なんだか妙なことを言っていた。アレン君が髪を下ろしても、俺には普通に男の子にしか見えないけど。
――ライアンには、違って見えたって?
「おやおや。これはもしかして」
去っていく彼の背中を見ながら、なんだかおもしろそうな予感がした。




