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4話 使用人と主

 どうやら嫌な予感は当たったらしい。

 急いで部屋に飛び込む。予想通りそこに立っていた父ダニエルは、ナタリーが止めるのも聞かずにカーテンを開いていた。


「何をなさっているのですか……!」


 思わず声を上げると、彼がこちらを見た。驚いたように一瞬目が丸くなったが、すぐに無表情に戻る。アレンの無表情はこの人に似たのかと思うと複雑な気分だ。


「なんだ、元気そうじゃないか。リカードのやつめ、大げさに言いおって」

「……どうしてここにいらっしゃるんですか? 夫婦とはいえ、ここは女性の寝室です。男性が許可なく立ち入るのはどうかと思います」


 つかつかと近寄って、見上げる。ゲームのアレンも背が高かったはずだが、子供目線だからか、それよりもかなり大きく感じる。こんなに身長差のある子供を階段から落としたのかと思うと、先ほどまで気にしていなかったはずなのに妙に腹が立ってきた。


「許可が何だ。私はこの屋敷の主だ」

「主なら何をしてもいいわけではありません。親しき仲にも礼儀ありです」

「陰気臭い部屋だったからわざわざ明るくしてやったんだ。何が悪い」

「体調不良は眩しさによって悪化するものもあります。母様が辛くないように暗くしていたんです」


 ナタリーが視界の端で心配そうにこちらを見ている。斜め後ろにいるジェニーからの視線も背中に感じる。だからだろうか。前世でも怒っている男性はそれなりに苦手だったのに、目の前の父親のことはちっとも怖くない。


「何だそれは。暗くした方がいいだと? なんの知識だ」

「……本で読みました」


 なんとなく、記憶喪失の件はリカードとジェニーしか知らない気がした。ナタリーも怪我の心配はしていたが、記憶については何も聞かれなかった。

 彼はフンと馬鹿にしたように鼻を鳴らした。


「なんだ本か。じゃあその本が間違ってるんだろう」

「では父様は、どこでその知識を得られたのですか?」


 今度はぐっと言葉に詰まる。医者に言われたというわけでもないなら、彼の独断と偏見だろう。そんなもので母様の体調を悪化させてほしくない。できれば早くこの部屋から出て行ってほしい。


 何と言えば出て行ってくれるだろうかと思案していると、廊下のほうからバタバタと足音が聞こえてきた。次いで、開けっ放しになっていた扉から気の弱そうな男性が顔を覗かせた。


「だ、旦那様……! 急にいなくなられては困ります。もうすぐお客様がお見えになりますよ」


 片手に束ねられた書類をたくさん抱え、懐中時計をちらちらと確認している。父様の秘書のようなものだろうか。視線を上に向けてみると、ちょうど不機嫌そうな目でこちらを見下した父ダニエルと目が合った。何も言わず、私を避けてずかずかと入口まで歩いていく。


「まったく、お前が応対すればいいだろう」

「いやぁ、そういうわけには……」

「時間の報告しかできないなら時計と変わらんな」

「も、申し訳ございません」


 そのまま彼らは扉を閉めることもなく部屋から出て行った。遠ざかっていく声と共に、無意識のうちに張っていたらしい緊張の糸が緩んでいくのを感じる。ふうと息を吐いて、まだ固まっているナタリーとジェニーに声をかける。


「ナタリー、ジェニー。もう一回カーテンを閉めてもらえる?」

「あっ、は、はい! すぐに」

「かしこまりました」


 2人は再度てきぱきとカーテンを閉め、部屋の明るさを調節してくれた。その間に母様の様子を見てみたが、どうやら今は眠っているようだ。うるさかっただろうな、もう少し早く戻ってきていればと思ったが、私が部屋にいても父様は躊躇ためらいなく入ってきただろう。

 仕事を放ってまで時々様子を見に来ているのなら、完全に悪気があるわけではないのかもしれないけど……いや、それでも体調不良で寝込んでいるのは知っているはずだ。大声を出すのはいただけない。大きな音も偏頭痛の原因になるのだから。


 まぁ、偏頭痛って見た目にはわからないから人に理解され難いよな、と勝手に同情しつつ母様の毛布をかけなおしていると、ジェニーが近寄ってきた。


「アレン様、そろそろ昼食のお時間です」


 それを聞いて思い出した。はっとしてナタリーを呼び、先ほど厨房でほぼ独断で決めてしまったことを説明する。


 血糖値が上がらないように食べる順番に気を付けてほしいことと、ついでに寝る際に目元を覆うものを用意してもらえたら……と話していると、何故か彼女の目が潤んできた。

 何か余計なことをしてしまったかと慌てる私に、ナタリーは首を振る。


「嬉しいです。アレン様が、奥様のことをここまで想ってくださることが……奥様はずっと、体調が悪くてアレン様にお会いできないことを、悔やまれていたので……」


 どうやら、母アレクシアは産後すぐ体調を崩してしまったため、ほとんどアレンと触れ合うことができなかったらしい。心配をかけないためにも体調が改善してからと先延ばしにしているうちに体調はさらに悪化し、気付けばこんなに時が経ってしまっていたようだ。


――この歳まで母親にほとんど会えなかったなんて、『アレン』も寂しかっただろうな。


 父親はあんな感じだし、と覚えていない数年間の記憶に思いを馳せる。こんなに広いお屋敷で、家族と一緒に過ごす時間もなくひとりぼっちだったのだろうか。記憶はないはずなのにぎゅっと胸が苦しくなってきて、大きく息を吸った。


「……食事の時にでも、母様に伝えて。早く元気になって一緒にピクニックでもしましょうって」

「はい。きっと奥様もお喜びになります」


 ナタリーが涙目で嬉しそうに笑う。これからは今までのアレンの分も、母様との思い出が作れたらいいなと思った。そのためにも、できる限りのことはしなきゃ。


 また明日、と部屋を出る。護衛兵は私たちが出たのを確認し、礼をして扉を閉めた。できれば父様が入るのも止めてほしいが、そういうわけにもいかないのだろう。母様は1日中部屋にいるから、あの護衛兵も1日中扉の前に立っているのかもしれない。本当に大変な仕事だと思う。


「お食事は、またお部屋にお持ちしましょうか」


 廊下を歩きながら、ジェニーが言った。少し考えて、尋ねてみる。


「今までは、やっぱり食堂かどこかで食べてた?」

「そうですね。食堂で召し上がることが多かったかと」

「食堂ってどこにあるの?」

「先ほど向かわれた厨房の近くにございます」


 ということは朝食は、普通なら食堂まで運べばいいところを、わざわざ部屋まで運んできてくれたのか。何も考えずにお願いしちゃったけど、1人分とはいえ大変だっただろうな。昼食も、となるとジェニーはまたあの距離を往復することになる。それはさすがに申し訳ない。


「じゃあ、昼食は食堂で食べることにするよ」

「……アレン様。憶測おくそくで申し上げることを、どうかお許しいただきたいのですが」


 改まって、なんだろう。足を止めて振り返る。頷いて続きを促すと、ジェニーは「ありがとうございます」と軽く頭を下げ、口を開いた。


「もしや、お部屋まで食事をお持ちすることを『申し訳ない』と感じていらっしゃるのではないかと思いまして」


 図星を突かれ、ぽかんと口を開けてしまう。まるで心を読まれたみたいだ。黙っているのを肯定と受け取ったらしく、ジェニーは目を伏せた。


「どうか、お気になさらないでください。公爵家の跡継ぎとして、使用人を動かすことを躊躇わないでください。……私たちは使われるために、この場所にいるのですから」


 そう言われて、気付く。この世界には身分がある。上司や部下なんてものじゃない、もっと根が深い場所で。そんな時代に生きていなかったから、ちゃんと分かってなかった。


――申し訳ない、って思うほうが彼女たちに失礼なのかもしれない。


 じっとジェニーを見る。前世の私と同じくらいの歳に見えるのに、仕事に対する覚悟も誇りもきっと段違いだ。今までしてきた経験や苦労も、まったく比べ物にならないんだろう。それを否定してしまうのは、優しさとは違うなと反省する。


「……わかった。じゃあ、昼食も部屋まで運んでもらえる?」

「かしこまりました。お時間を取らせてしまい申し訳ありません。……最後に、ひとつだけ」


 綺麗な礼をして、彼女は続けた。


「もしアレン様がよろしければ、『申し訳ない』よりも『ありがとう』と思っていただけると……思っていただけるだけでも、とても嬉しいです」


 なんだかそれは、彼女の本音のように聞こえた。私としては昨日出会ったばかりだが、ジェニーは『良い人』なのだと既にわかっている。もしアレンが生まれた時から傍にいるのだとしたら、記憶がないと分かってかなりショックだっただろう。


 それなのにこうして本気で心配して、大事なことも教えてくれる。ジェニーがいなかったら、この世界に来た時からずっと1人だったら、私はここまで平静を保てなかったはずだ。

 感謝してもしきれない。大きく頷いて、返す。


「次からそう思うことにするよ。ありがとう、ジェニー」


 彼女は少しだけ目を丸くして、それから「こちらこそ」と微笑んでくれた。




===




「ジェニー、アレン様はもうおやすみになったのか」


 ちょうどアレン様の部屋の灯りを消し、廊下に出たところで声をかけられる。廊下の角からリカードさんが姿を現した。こちらへ歩いてきたため、その場で礼をする。


「お疲れ様です。はい、先ほどおやすみになりました」

「そうか。ご様子は昨日と変わりないか?」


 様子と言うのは怪我のことか、それとも記憶のことかと一瞬迷ったが、どちらも悪化はしていないため「お変わりありません」と答える。リカードさんは少し残念そうにアレン様の部屋の扉を見た。


「今日は神殿に、記憶喪失を治療した事例はあるか確認しに行っていたのだが……残念ながら、前例はないようだ」


 その言葉を聞いて、ずっと疑問に思っていたことを口にする。


「アレン様は、本当に『記憶喪失』なのでしょうか?」

「……どういうことだ?」


 怪訝な顔を向けられ、今日の出来事を大まかに説明した。奥様に会いに行かれたこと。食事についてわざわざ自ら厨房に赴き指示を出されたこと。そして、奥様の部屋に入ってこられた旦那様を冷静にいさめてらしたこと。


「とても記憶のない子供だとは思えません」

「話を聞く限り、まるで別人のようだな」


 彼は信じられないというように呟いた。当然だ。私も今日アレン様と行動を共にするまでは、記憶喪失だと思っていたのだから。

 別の人格が出てきたということは、以前のアレン様は消えてしまったのだろうか。……しかし、もし別人だとして、昨日今日知ったばかりの『他人の母親』のためにあれほど動けるものなのだろうか?


「……ここからは、私の考えなのですが」


 リカードさんが頷いたのを確認して、続ける。


「私は今のアレン様も、アレン様なのではないかと思っています。奥様を心配する眼差しも、旦那様に対する怒りも、演技ではなく本心のように感じました。他人であれば、あそこまで感情を込めるのは難しいのではないかと。記憶がなくても、アレン様の中に『以前のアレン様』もいるのではと、そう思います。……私の身勝手な考えでございます。失礼いたしました」


 つい熱が入ってしまった。ただ私個人がそうであればといいと思っているだけで、確証があるわけではない。アレン様に以前の記憶がないのは確かなのに、これではまるで、このままでもいいと言っているようなものだ。咄嗟に頭を下げると、彼は静かに首を振った。


「いいや、1日共に過ごしたお前にしか分からないこともあるだろう。……もしかしたら、何かがきっかけで記憶が戻るようなこともあるかもしれない。もうしばらく様子を見ることにしよう」

「はい、ありがとうございます」


 以前のアレン様は、使用人を嫌っていらっしゃった。それはご両親にお会いになることを、使用人たちが理由を付けて止めていたからだ。旦那様からは仕事の邪魔だと、奥様からは心配をかけたくないからと、どちらからも会わせないようご命令を受けていた。


 旦那様はお仕事がお忙しいのですよとなだめる度に睨まれていたこともある。聡明なアレン様は、お二人が自分を避けているのだと感じていたのだろう。だからこそ使用人を拒絶することで、ご自身の心を守っておられたのだ。


 しばらくしてご命令すらもなくなった頃には、アレン様から会いたいとおっしゃることもほとんど無くなっていた。奥様はなんとかアレン様と共に過ごそうと無理をなさって、結局お会いする前に余計に体調を崩してしまわれることも多かった。


『母様は体調がよくないんだろ。わかってる、もういいよ』


 そう言いながら、お部屋で薬草の本をご覧になっていたことも知っている。使用人よりも信頼なさっている旦那様に奥様のことをご相談し、冷淡にあしらわれていたこともある。普段なら、それで断念されていた。


 しかし今日のアレン様は、完全に独断で動かれていた。ご自身の知識に自信を持って、堂々と旦那様と渡り合ってらっしゃった。もしかしたら普段眺められている本に、厨房前で呟かれたような知識が書かれていたのだろうか。それとも、あの知識も人格に付随ふずいするものだろうか。



『ありがとう、ジェニー』



――私は『アレン様』に言っていただいたのだと信じたいだけなのかもしれない。


 以前のアレン様のことが嫌いだったわけではない。当然記憶を取り戻せるのなら取り戻したい。でも、今のアレン様でいることが悪いとも思えない。


 リカードさんが時間を確認し「そろそろ向かうとしよう」ときびすを返した。これから使用人全員で集まり、情報交換や1日の出来事などを報告し合う。

 きっとアレン様のお話も出るだろう。専属メイドの私にも、色々と質問されるかもしれない。以前と違う部分に気付いた者はいるだろうか。記憶に関しての情報は、うまくごまかさなければ。


――記憶があってもなくても、別の人格だとしても。私はただ、『アレン様』にお仕えするのみでございます。


 心の中で決意を呟く。改めて部屋の扉に一礼し、リカードさんの後を追った。

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