38話 選択授業①
裏山でのオリエンテーションから数日後。
調理の授業を選択した私は調理室にいた。事前に言っていた通り、隣にはセシルもいる。エプロンを着けた王子の姿はなかなか見られるものじゃない。さすがに先生も生徒もざわついていた。
この数日間は全員同じ授業を受け、改めて学園創設の歴史や各魔力の属性、魔力調整の重要性などについて習った。
魔界の門についての話も出てきたが、全部知っている内容で新たな情報は得られなかった。できれば門の封印について詳しく知りたいのだが、こればかりは自分で調べるしかなさそうだ。今日もまた放課後に図書館へ向かおうと頭の隅で考える。
合同授業は講堂で行われた。以前カロリーナが言っていたように『お祈り』の時間があり、初めて門に魔力を送った。講堂の椅子が魔道具になっているらしく、背もたれの部分に属性のない透明な魔鉱石が埋めてあった。
確かに魔力を吸い取られた感覚はあったが、それだけだ。なんとなくでも門の場所が分かるかと期待していたが、魔力の行先は不明だった。そこで簡単にわかってしまうような封印はされていないのだろう。
学園は講堂も教室も魔道具だらけだなと思いながら手を洗う。特殊な加工をした魔鉱石には特定の魔法を設定できるらしく、魔力を通せば使える普通の魔道具以外にも、様々な魔道具が至る所に使用されていた。
魔力を使うことに慣れるため、敢えてこういう作りになっているようだ。
前世の感覚で調理の授業を選択するのは女子が多いかと思っていたが、実際は男子の方が多かった。みんなシェフやパティシエを目指しているのかもしれない。
少し興味があるだけで受けるのは冷やかしになってしまうかと心配していたが、セシルが参加したことでそれどころじゃなくなったようだ。
――まさか、学園に入って1回目の選択授業が調理実習になるとは。
魔法を使うような訓練や専門的な授業は、1か月ほど経ってから開始するらしい。最初は友達を作る期間なのかもしれない。そのためか、特に午後は交流系の授業が集中していた。
今日のこの時間も、他の教室では男女ペアで催し物を考えたりマナーを学ぶ名目でお茶会をしたりと、それは本当に授業なのかと言いたくなるような授業が行われている。
婚約者を探すのが第一目標なので仕方ないが、早く勉強という形で授業を受けたいと思ってしまう。まぁこれも、ある意味勉強ではあるのだが。
「本日は簡単なクッキーを作りながら、自由にご交流いただければと思います」
前に立った先生が緊張しつつ口を開いた。あくまで美味しいものを作るわけではなく、調理を通した交流が目標らしい。
楽しみだね、とセシルが笑った。彼が甘いもの好きなのは昔から知っていたが、作ることにも興味があるとは知らなかった。
王子である彼が、他の生徒と一緒の授業を受けることにも驚いた。王族は王族として専門の授業が詰め込まれていると聞いていたから、必須科目以外は別行動なのかと思っていた。
初めての選択授業に友達がいるのは嬉しいが、周囲から緊張が伝わってきて苦笑してしまう。
クッキーの生地はすでに用意されているらしく、ただただ型抜きをして焼いて食べるだけだと説明される。お茶会と変わらない気がすると心の中で呟きつつ、相槌を打つ。
「もう生地があるなら、僕らでもそれなりに美味しいものが作れそうだ」
セシルの言葉に「そうだな」と返しつつ、少しだけ残念に思う。前世では1人暮らしだったため、得意ではないが一応料理はしていた。オーブン機能のある電子レンジでクッキーを焼いたこともあった。
せっかくなら生地から作ってみたかったと思ってしまうが、普通の貴族には難しいだろう。当然ながら貴族に生まれた今は、私も厨房に入ったことはない。
そういえば電気がないということは、焼くのはフライパンで直火か窯になるんだろうか。それともオーブンのような魔道具があるのだろうかと辺りを見回す。
壁に沿って食器棚が並んでいるが、見える範囲にオーブンのようなものはない。気になるのは見慣れない大きな箱だけだ。
あれはなんだろうと首を傾げていると、先生が箱に近付いて蓋を開けた。その中から生地を取り出したのを見て、それが冷蔵庫の代わりなのだと気付いた。
4人ずつの班に分かれ、まだ冷たい生地を渡される。調理用の机に生地を置いて、めん棒で伸ばすところから調理開始だ。
セシルがいるからか、数少ない女子生徒の内2人が私たちの班に入っていた。まずは彼女たちが挑戦するが、生地が固いのか棒が転がるだけで一向に伸びない。
「難しそうだね。貸してくれるかい?」
見かねたセシルが自然な流れでめん棒を受け取り、力を込めてしっかりと生地を伸ばしていく。彼も初めてのはずなのにかなり上手だ。さすがだなと呟いて、他の班に視線を向ける。
だいたいは男子生徒なので、特に問題なく生地を伸ばしているようだ。それを見ながら、ふとウォルフが『調理の授業は気になる子の手料理が食べられる数少ない機会』だと言っていたのを思い出す。
完成後は、女子生徒と王子がいるうちの班のクッキーは狙われるかもしれない。
「このくらいでいいかな。アレンもやってみる?」
セシルに声をかけられ、生地を見る。だいたい1センチくらいだろうか。どうやって焼くのかはわからないが、オーブンで焼く時はもう少し薄かった気がする。
彼からめん棒を受け取って、仕上げのつもりで生地を伸ばす。長年やってなくても意外と覚えてるものだなと思いつつ、だいたい5ミリ程度の厚さになるよう調整する。他の班より薄いのか、かなり生地が広がっていた。
「上手いな。もしかしてやったことがあるのかい?」
「いや、なんとなくだ。これで無事に焼ければいいが」
「きっと大丈夫だよ」
そこからは金属でできた型を使って抜いていく作業に入る。大きい順から丸、四角、三角の型がそれぞれ渡された。
4人いるのだから生地を4等分してやれば……と考えたところで、交流目的の授業なのにセシルとしか会話をしていないことに気付く。これでは一緒の班になった彼女たちがかわいそうかもしれない。
とはいえ、クッキー作りでどうやって交流すればいいのだろう。少しだけ考えて、近くにいた女子生徒に声をかける。
「君は、どの型がいい?」
「えっ!? あっ、ええと……」
突然声をかけたせいか、彼女は慌てていた。
しばらく迷って、丸型をそっと指さす。
「お、大きいほうが良いかと……セシル王子もクールソン様も、男性なので」
そう言われ、目を丸くする。どの形がいいかを聞かれて私たちのことを考えてくれるとは。そうか、と小さく笑って彼女に丸の型を手渡す。
「じゃあこれを頼む。君は?」
もう1人の女子生徒に声をかけると、彼女は元気よく答えた。
「せっかくなので、型を組み合わせて模様がつくれないかと思いまして!」
「いいじゃないか。四角と三角を両方使ってみるか?」
「そうですね! こんな感じで、四角で抜いた後に角を三角で……」
元気な子だなと微笑ましく思いつつ、彼女の型抜きを見守る。彼女のおかげで他グループとは違う、独創的な形のクッキーが出来上がりそうだ。
普通に作るのではなく、こうやって相談すれば交流になるようだ。それならもう少しいろんなクッキーを作ってみてもいいのかもしれない。生地が余ったらジャムを混ぜてみるとか、他の味付けもできないだろうか。
そう考えていたところで視線を感じ、顔を上げる。セシルが不思議そうな顔をして私たちを見ていた。
「どうした?」
「いや、ごめん。君が女子と話しているのが珍しくて」
「そうか? カロリーナとも普通に話しているつもりだが」
「それは、そうなんだけどね」
セシルは言葉を濁して苦笑した。確かにヒロインと出会うまで、女子生徒とは交流しすぎないようにしている。しかし、一切関わらないのもおかしい。できるだけ広く浅く、婚約者候補には選ばれない程度に関わっておきたい。
そういう考えで行動しているからこそ、彼には珍しく見えたのかもしれない。まだ選択授業が1回目だからというのもあるだろう。
セシルと話している間もしっかり丸の型を抜いていた女子生徒が、ふいにこちらを振り返った。どうやら生地の端から端まで1列分終わったらしい。
「ああ、交代するか」
「は、はいっ、よろしくお願いします」
「セシル、やってみるか?」
彼女から丸の型を受け取って、セシルに顔を向ける。彼が「僕は後でいいよ」と返してくれたため、そのまま型抜きを開始した。懐かしい気持ちになりつつ、途中でちらりと他の班に目をやる。
元々生地をあまり広げていなかったこともあり、いくつかの班はすでに焼く段階に入っているようだ。黒い板にそのまま型抜きした生地を並べている。それを先生が別室に運んでいるのを見て、焼くのも先生がやってくれるのだとわかった。
――本当にただ型抜きして食べるだけなんだな。
初めてと言っても、小学校の調理実習ですらもう少し凝ったことをしていた気がする。若干物足りなさを感じながら2列目を終えたところで、他の班から困惑したような声が聞こえてきた。
「え、どうして? 穴が空いてしまっているじゃない!」
その女子生徒は、型抜きした生地を並べている途中で手を止めて騒いでいるようだった。つい気になってしまい、声の方に目を向ける。
彼女は丸く型抜きした生地を持っているが、その真ん中に三角の穴が空いていた。一緒の班らしい男子生徒が青い顔をしている。
「私が型抜きをした上から穴を空けたの?」
「も、申し訳ありません」
女子生徒に睨まれて、男子生徒が頭を下げた。彼の方が身分は低いのだろう。女子生徒が丸で型抜きをしたことに気付かず、そこに重ねて三角で型抜きをしてしまったようだ。女子生徒は完全に腹を立てているらしく、乱暴に生地を板に置いた。
「今から穴を埋めても不自然だし、もういいわ。私には欠けたクッキーがお似合いということね」
彼女自身も悲しそうな顔をしているため、男子生徒はひたすら謝るしかない。同じように彼らを見ていたセシルが隣で呟いた。
「穴が空いているクッキーも面白いと思うけど、彼女はそうではなさそうだね」
「セシルがそう言ってやれば落ち着くんじゃないか?」
「だとしても、せっかく彼女が型抜きをしたものを台無しにされたというのは変わらないだろう?」
そう言われ、そういうものかと首を捻る。正直そんなに騒ぐことでもないとしか思えない。穴が空いていてもいなくても味は変わらないし、焼き上がりを食べればそれなりに美味しいはずだ。
でも、そんなことを言っても彼女は納得できないだろう。
そこで、そういえばわざと穴を空けて作るクッキーがあったなと思い出す。
「そんなに見た目にこだわるなら、ステンドグラスクッキーにする手もあるが」
「……ステンドグラスクッキー?」
セシルが驚いたように目を丸くした。その声が聞こえたらしく、周りの生徒たちも不思議そうな顔をしてこちらを向く。
急に注目が集まったことに内心驚きつつ、セシルに答える。
「知らないか? クッキーの中心に穴を空けて焼いて、中に飴を入れて溶かすんだ。飴が冷えて固まったらステンドグラスのようになる、らしい」
「初めて聞いたよ。そういうクッキーがあるのかい?」
「……ああ。そういう本をどこかで読んだことがある」
知識の元については誤魔化しておく。カラフルな飴はあるはずだが、ステンドグラスクッキーはこの世界にはないのだろうか。確かに前世でも、SNSで流行るまではあまり見かけなかった気がする。
私の大雑把な説明を聞いたセシルは、ぱっと目を輝かせた。
「いいねそれ。僕もやってみたい」
「あ……でも、飴がここにあるかどうか」
最悪砂糖と水があればべっこう飴は作れる。ただしそれでは色が限られるため、ステンドグラスと呼べるかは微妙だ。そう思っていると、いつから聞いていたのか、別室から戻ってきていた先生がにっこりと笑った。
「フルーツ味のキャンディでよければすぐにご用意できますよ」
それを聞いて、周りの生徒たちがそわそわと顔を見合わせている。
ただの思い付きにこれほど反応されるとは思っていなかった。言い出したのは私だが、あれは好みがあるから、期待されているほど美味しくないかもしれない。
それに、気を付けて食べないと口を切ってしまう危険もある。グミがあればよかったが、まだこの世界で見たことがない。飴は固まるとガラスのようになるため、『調理の授業で怪我をした』なんて問題にならないだろうか。
と、今更心配したが遅かった。
セシルを含む生徒たちの表情は、すでに期待と好奇心に溢れていた。




