36話 オリエンテーション②
足を止めて振り返り、声の主を探す。すぐ後ろにいた女子生徒たちが驚いたように固まった。隣にいたセシルは不思議そうな顔をして、私に顔を向ける。
「アレン?」
「いや、今……」
そう言いかけて口をつぐむ。私が振り返ったことで諦めたのだろうか。まだ話している生徒はいるが、誰も杖を持っている様子はない。今すぐやるつもり、というわけでもないのかもしれない。
――個人で来た時に試すだけなら問題ないが……。
セシルに「気のせいだった」と返し、前を向いて歩みを再開する。何かあった時はすぐに対応できるよう周りに意識を向けつつ、息をついた。
先程先生が放った魔法は完璧に魔力調整がされていた。最初に最小限の魔力で魔物を呼び寄せ、次に放った矢も森には入らないよう地面に向けられていた。あの矢が森に入っていたら、さらに多くの魔物が出てくると分かっていたからだ。
もし誰かがふざけて森に魔法を打ち込んだりしたら。どうなるかは想像に難くない。範囲攻撃魔法でなんとかなる程度ならまだマシだが、中にはパニックになって杖を振る生徒もいるかもしれない。そうなったらもう無限ループだ。
不審なことを言っていた生徒たちは、そこまで考えが及んでいるのだろうか。万が一それで王族のセシルが怪我をするようなことがあれば、軽い懲罰では済まされないというのに。
そんなことを考えながら進んでいると、急に視界が開けた。正面には青い空が見える。道は右へ続いているようだが、先頭を歩いていた先生が振り返って言った。
「では、ここで一旦休憩となります」
え? と声が漏れてしまう。まだ歩き始めて10分も経っていない。セシルも隣できょとんとした顔をしている。そのさらに隣で、カロリーナがふうと息をついた。
「おふたりとも、さすがですわね。お疲れではないのですか?」
「いや……」
私たちのグループが広場に着いたことを確認し、前のグループが移動を開始する。空いたベンチに生徒たちが座り、汗を拭いているのが見える。先生に手渡された水筒を受け取っている生徒もいる。
後方から来た先生がセシルにベンチを勧めたが、彼は苦笑いで断っていた。確かに緩やかとはいえ坂道を上ってきたから、多少疲れるのは分かる。……でも。
「さすがに体力がなさすぎないか?」
「きっと、僕たちみたいに普段から訓練をしているわけじゃないんだろう。女子生徒は特にね」
セシルが小声で言った。それを聞いて、なるほどと納得する。人によるが、この世界の貴族は乗馬やダンス以外でほとんど運動をする機会がないらしい。
これではいざという時に走って逃げるのも大変そうだ。こうなることが分かっていて、あえて参加しなかった生徒もいるのかもしれない。
そこでふと、森に近付く生徒の姿が視界の端に見えた。
はっとして顔を向ける。2人の男子生徒が、手に握った杖を森に向けていた。すでに呪文詠唱が完了したのか、杖の先に魔力が集まっている。
おそらくさっき話していた生徒は彼らだったのだろう。先生方は森に背を向けていて、気付いていないようだ。眉を顰め、どうすれば止められるかを考える。
――ここから呼び止めても間に合わない。
そう判断すると同時に杖を取り出し、彼らに向ける。セシルが驚いたようにこちらを見た。脳内でイメージを描き、間違っても彼らに当たらないよう、しっかりと狙いを定めて唱える。
「アイスウォール」
昔アイススピアと一緒に覚えた呪文。他の呪文をイメージと結び付けるまでは、頻繁に訓練で使用していた。1からイメージする他の魔法に比べると、発動までのスピードは段違いだ。
瞬く間に、彼らと森を隔てる氷の壁が現れる。地面から上へ伸びるように生成されたそれは勢いよく彼らの杖を弾き飛ばし、発動前の魔法ごと空に持ち上げた。
突然現れた壁に、2人は驚いて後退る。高い位置で魔法が弾けたのを確認して壁を消すと、彼らの目の前にそれぞれの杖が降って来た。
一瞬の出来事に辺りがしんと静まり返る。先生たちは戸惑ったように私を見て、2人の生徒に駆け寄っていく。懐に杖を仕舞う私に、セシルが言った。
「……よく分かったね。彼らが森の中に魔法を放とうとしていると」
「危険なことを話していた気がしたからな」
「さすがだね。君がいきなり魔法を使うからびっくりしたよ」
「すまない。説明する暇がなかった」
驚かせたかと苦笑して、彼らに視線を向ける。2人の男子生徒はここからでも分かるほど顔を青くしていた。先生と何かを話しているようだが、会話内容までは聞こえない。
確認をして戻ってきたもう1人の先生が、私に向かって唐突に頭を下げた。
「クールソン様、お手数をおかけして申し訳ありません。止めていただきありがとうございます」
私も注意される側かと思っていたのに、自分より身分が上と認識していた先生にそう言われて目を丸くしてしまう。なんとか「いえ」とだけ返して口ごもる。何と言うべきか戸惑ってしまい、つい隣のセシルに視線を向ける。
彼は視線に気付いて小さく笑うと、私の代わりに応えてくれた。
「好奇心は仕方がないよ。でも周りに他の生徒がいない時のほうがいいね。彼らにはそう言い聞かせておいてくれるかい? オリエンテーションは続行で構わない」
「はい、かしこまりました」
制服姿のセシルが『先生』に命令している図に若干の違和感を覚えつつ、話をまとめてくれたことに感謝する。先生が離れていくのを確認して、彼に顔を向けた。
「ありがとう、セシル。助かった」
「君は意外と混乱しているのがわかりやすいからね。頼ってくれて嬉しいよ」
今の先生はきっと公爵家より下の身分なのだろう。とはいえ私の中では、先生はどうしても『先生』だ。敬語の使い分けにはだいぶ慣れたつもりだったが、学園内だとまた違う意味で難しいかもしれない。
先生側に敬われる可能性を考えていなかったなと息をつく。リリー先生はタメ語だったからこそ、違和感なく敬語で話せたのだろう。
その後先生に連れられて来た男子生徒2人に勢いよく謝られ、もうやらないと言質を取ってからオリエンテーションは再開した。
好奇心旺盛な生徒が、他のグループにもいるとは知らずに。
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何度か休憩を挟んで坂を上り、ようやく頂上に着いた頃には、私とセシル以外の生徒はへとへとになっていた。セシルがカロリーナの手を取ってベンチに誘導しながら、辺りを見回す。
「みんなかなり疲れているようだね」
「最初の休憩の時点でだいぶ消耗していたからな」
わざわざ山を訓練場にしているのは、体力を付けるためでもあるのかもしれない。そう思いながら私も周囲に目を向ける。
前に進んでいたグループの生徒がいるかと思っていたが、見える範囲には誰もいない。すでに散開して他のルートから山を下りているらしい。
頂上とはいえ、丘程度の低い山だ。辺りの景色が見えるわけでもなく周囲は森に覆われている。ここに長居する意味はないのだろう。
山を下りるルートは、上って来た道を含めて5つあった。ここから2、3人の組に分かれてそれぞれ山を下りていく。途中で魔物が自然発生することがあれば対処し、無事に学園に戻ることができればオリエンテーションは終了だ。
生徒同様に散開した先生方がわざと魔物を誘い出すこともあるようだが、本当に危険な時は手助けしてくれるらしい。道は整備されているから駆け下りることもできるが、周囲にいる生徒の邪魔をすることは禁止されている。
先生の説明を聞いていたカロリーナが、休憩を終えてベンチから立ち上がった。
「私は他のご令嬢方と組もうと思います。おふたりもどうぞお気をつけて」
男女で組むと良いところを見せようとした男子生徒が無茶をしやすいらしく、オリエンテーションだけは、基本的に男女で分かれるようになっているそうだ。
ウォルフが言っていた通りだなと思いつつ、頷く。
「じゃあ、僕とアレンで組もうか」
「そうだな」
セシルに同意を返して振り返る。山に入ったのは私たちのグループが一番遅かったようで、後ろからは誰も来ていなかった。
出発するカロリーナの組を見送り、私たちは最後に山を下りることに決める。他の生徒たちが対応すべき魔物まで倒してしまわないようにと、誰かの魔法がセシルに飛んでくるような事態を起こさないためだ。
前の組とぶつからないよう間隔を空けて、生徒たちは山を下りていった。5つもルートがあるため、頂上からはみるみる人がいなくなっていく。
気付けば私とセシル以外に、3人の男子生徒と先生1人だけが残っていた。他の先生や生徒会役員は、道のどこかで待機しているという。
もしかしたら残っている先生は、セシルの護衛として一緒に来るのだろうか。それだとセシルと私のオリエンテーションにならないかと考えていた、その時。
山の中腹辺りから、女子生徒の悲鳴が聞こえた。
カロリーナの声ではない。しかし、もし彼女と組んでいる女子生徒だったら。反射的に杖に手をかけたところで、ぐっと堪える。ここで私が向かったらそれこそオリエンテーションの意味がない。
セシルを見ると、彼も真剣な顔でカロリーナが下りて行った道を見ていた。
そのうち、生徒たちの騒ぐ声と魔法を放つ音が頂上まで届き始めた。さすがに異変を感じたのか、1人残っていた先生がこちらを向いて口を開いた。
「申し訳ありません、少し確認して参ります」
慌てたように頭を下げ、声が聞こえた方角へ続く道を駆け下りていく。頂上に残された3人の男子生徒が、不安そうに顔を見合わせていた。
「ただ自然発生した魔物に驚いただけ、ならいいけど」
セシルの言葉に、先生が向かった道から目を逸らさず頷く。
それと同時に、嫌な気配を感じた。
ぞわ、と気持ち悪くなるような空気が辺りに漂い始める。晴れていた空は雲に覆われたかのように暗くなり、周囲の闇がより一層濃くなったようだ。
風もないのに、森がざわざわと揺れた。
「……どうやら、それだけではなさそうだな」
そう呟いて杖を握る。隣でセシルも杖を構えた。
先程まで感じていなかった何者かの視線がこちらに向けられる。それは1つから2つ、4つ8つと徐々に増えているようだった。
あっという間に囲まれ、逃げ場がなくなったことを理解する。そして、おそらくこれが自然発生ではないということも。
――さっきの悲鳴。誰かが森に魔法を放ったのか。それとも単に外したのか。
魔界の門が開きかけている影響かとも思ったが、それにしては急すぎる。本編が始まっていない今起こるイベントとも思えない。攻略対象の私たちだけならともかく、他の生徒も巻き込まれて……と、残された彼らに顔を向けて、気付いた。
3人の男子生徒は魔物の気配に怯えているようで、その場で固まっている。1人の生徒が2人を守ろうと立ち塞がっているが、手に杖すら持っていない。
獲物を見つけたというように、ぬっと1匹の魔物が森から姿を現した。
「な……何してる、杖を構えろ!」
思わず彼らに向かって声を上げる。3人はその声にはっとして、制服から杖を取り出そうとする。が、魔物の方が早かった。慌てている彼らに向かって地面を蹴り、勢いよく駆け出す。
遅かったかと舌打ちをして、短く唱える。
「氷の弾丸!」
杖の先から円錐状の氷がまっすぐ飛び、彼らに向かっていた魔物を貫通した。黒い影はその穴から四方に霧散して消える。
「アレン!」
セシルの声で、今度は自分に向かってくる魔物に気付く。私が魔法を使ったことで魔力に反応して、狙いが移ったようだ。
走って来たその魔物に杖を向けたところで、ふっと頭の上に影ができた。反対方向の森から別の魔物が飛び出してきたのだとわかったが、反応が遅れる。
私が呪文を唱える前に、彼の詠唱が聞こえた。
「焼き払え!」
ボッと音がして、私の周囲に火の玉が2つ現れる。火の玉は流れるような動きで魔物に吸い込まれた瞬間大きく燃え上がり、魔物もろとも灰となって消えた。
今までも時々セシルと魔法を見せ合うことはあったが、これは初めて見る魔法だ。命中させなくても、自動で魔物に追尾するようになっているのだろうか。
彼は苦笑いを浮かべて、首を傾げた。
「余計な手出しだったかな」
「いや、ありがとう。助かった」
そう言っている間にも、森からはゾロゾロと魔物が現れている。セシルと顔を見合わせて頷き、3人の男子生徒に駆け寄る。
このままここで戦っていてもきりがない。魔物がどれくらいで発生しなくなるのかもわからないし、先にこちらの魔力が尽きたら終わりだ。山全体で同じことが起こっているなら、先生方も他の生徒で手一杯だろう。
杖を魔物に向けたまま、彼らに向かって尋ねた。
「君たち、山を駆け下りるだけの体力は残っているか?」




